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其の6 健康生活のゲンリ (柳澤)

最近の薬と云うものは、それほど強力な効果を
あげるものなのだろうか、、、、。

30数年来、薬と云うものにお世話になったことがないので
とんと、見当がつかない。

しかし、処方された薬を1回、飲んだけれど
また、熱が上がったと言って、
5時間後に夜間救急にやって来る
若い母親が居ると云うし、
薬を飲めば、いっぺんに病状が改善してしまうと
思うほど、すばらしい効果を
今の薬はあげているのだろうか、、、、、。



人が、薬を必要とする理由は、何だろうか、、?

言うまでもなく、
それは、一刻も早い病状の改善である。

早く苦痛から、逃れたい。
苦しげな姿を見たくないと云う周りの家族の心情もあるだろう、
また、病気などになっていられない!という
忙しい人もいるに違いない、、、、

そこで、いかに手早に手軽に病気から
抜け出せるかが最も重要である、と云うのが
「病気」と云うものに関する一般の考え方なのだと、思う。

一方で、最近は
慢性的で精神的な病気に関して、
急がず、騒がず、ゆっくり、いたわりながら、
徐々に回復に努めましょう!、、、
動けそうでも、無理をせず、
「病気」なんだから、そんなに直ぐには
直りませんよと、、、
免罪符をいくつも胸にぶら下げた
ウツやらストレス性ナニナニの「病気も」
急増している。



ストレスと云うものは、
抜け出したり、逃げ出したり、
まったく負荷のかからないストレスレスな状況など
ほぼ、望む事ができないものである。

ストレスは、除いたり、減じたり、避けたりするものではなく
選び取るものだと、云うコトなのだ。


我が家の白のメス猫は、身体も小さく
臆病で、警戒心が強い。

彼女は、生まれてしばらく野良の生活を
余儀なくされていたため、
安定した食べ物が供給されて、
なおかつ安全で、不愉快で危険なものなど
皆無な屋内の「家中暮らし」に
満足している。

たまに外の空気を吸いたくなるのか、
窓べりに近づいて
風の匂いをかぐような仕草を見せるが、
彼女は、窓を開けてやっても
屋外に出て行こうと、しない、、、、。


「家中生活」を始めて、彼女はしばらく
花粉症になったり、変動がごたごた続いた。

しばらく、落ち着いたかと思っていたら
最近は、夏の身体に適うように
毛の抜け変わる時期であるけれど、
ごっそり、前足の付け根から、前胸のあたりも
ゴルフボールくらいの大きさに毛が抜けてしまった、、、、。


肌が露出されてしまっている処は
案外きれいなのだけれど、
痒いのか、爪をたてて掻くので
切れて血が滲んでしまっている、、、

この皮膚疾患は、たぶんに
ストレスからきている、、
ストレス性の脱毛症である。

けれども、彼女は
このストレスを、自ら選び取っている。

不安定な野良での狩猟採集より、
ずっと食いっぱぐれる事の無い
この安定して、のんびりした、外敵の来襲の不安もない
家中の快適生活を選りどったのだ。


過去の遠い記憶の切れぎれに
野生の屋外生活の、
快活で伸びやかな「動的生活」の思い出が
身体の何処かにあるので、
本人は十分満足していても、
身体の要求は、この安寧な状況に
ストレスを感じている、、、、。


しかし、この身体の無意識に背負っている
ストレスによる脱毛症状があろうが、無かろうが
本人は、何処吹く風で
さほど気にせず、家中生活を満喫している。

最近になって、やっと少し折り合いを付けたのか
ときたま、半日くらいの
冒険に屋外に出るようになった。



人が、この現代社会に生きる限り
ストレスと云うものから、逃れる事は出来ない。

特に、この不正直で、直裁で、揶揄と短絡の、かさついた時代に
ノンストレスで生きる事は
不可能である。

良心と云うものを基本的に持たない
独善の人は、ストレスなんて感じないで
ゆうゆうと、やりたい放題に生きているのでしょう、
と、思うけれども
彼らでさえ、不安と焦りに常にさいなまれている。



整体生活と云うものも、また
能動的に、変動を選び取ってゆく道である。

病気と云うもの、身体にある日、ふと襲いかかる
変動と云うもの、それは、
不安と危険がいっぱいの外部から、もたらされる
外敵による来襲なのでは無い。


病気と云うものは、
身体の都合による、身体自身の要求に基づいた
再生運動なのである。

病状、症状そのものが問題なのでなく
鈍って滞った系統の再生のための
改修工事なのである。


本来の目的は、この系統的な
復活なので、
症状は、十分に最後まで全うされなければならないのであり、
数時間で簡単に
突貫工事で、否!、工事を放りっぱなしで
途中で補修をして、ポイっと良し!!、、、では、
長い準備を重ねて
やっと変動にまで、こぎ着けた身体にしてみれば、
あれっと、肩透かしを食って
新たなストレスを負わされたようなモノなのである。



健康生活と云うものは、何であろう。

少なくとも、現代の「健康」観は、
整体生活の、山あり谷ありの
とにかく、全力で物事や局面に立ち向かわせようとする
身体の自然と云うものとは、
正反対の方向を眺めているように思える。

山や谷を出来るだけ避けてとおり過ごせるような
どんな心配も不安も起こらないように、
先に先に、先手を打って、
保護し、庇いながら、の「健康」なのである。


充電池の残り時間が、目盛二つになって
無くなるのは嫌だからと、
常に充電して、アップアップしている状態である、
使い切ってしまえば、また十分に
容量いっぱいに満たせられるものを、
常に、豊満状態にしているため、
やがて、容量そのものの許容範囲を
狭めているのである。



これでは、「健康生活のゲンリ」ではなく、
「健康生活のゲンナリ」、、、である。

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