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其の5 体の自然と整体の 「快」 (指田)

“ 自然は、時として過量なものとして振る舞うものなのだ・・・ ”

自然は、確かに時として過量なものである、と感じる。

人間にとっての程良い調和、快適で平安な状態が、自然にとっての常ではない。いつでも穏やかな晴天、ということはなく、嵐もあれば竜巻も起こる。日照りもあれば、落雷もある。

人間も、自然の一部である。やはり、いつでも快晴というわけにはいかない。風邪による発熱、インフルエンザ、じんましん、急な激しい下痢・・・、これらは体にとって、まさに青天の霹靂である。

しかし、稲光によって稲穂が実るが如く、自然の大いなる荒振りが、新しい生命の息吹を吹き込むという重要な役目を果たしていることも知らなければならない。

雨が降り、風が吹き、季節が移り変わるからこそ、自然の生育というものがある。そして、時に台風が襲来し、川が氾濫し、山火事が起こることで、自然環境が停滞することを防ぎ、生態系が多様化することを助けていたりもする。

人間の体も、季節の移り変わりを始めとする外部環境の変化や内部環境の諸事情によって、いろいろに変動するものである。風邪を引いたり、熱を出したり、皮膚に湿疹を出したりすることで、停滞する体に変化をもたらし、生命活動のバランスを取っているのだ。

いつでも、痛いところも痒いところも不快なところも一つもない。全く風邪も引かなければ、お腹をこわすこともない。
そういう 「健康体」 を求めるとしたら、それは理想ではなく、幻想である。
現実に存在するのではなく、誰かの頭の中に幻想としてあるだけだ。一年中穏やかな陽気で毎日が快晴、そんな気候、天候が無いのと一緒なのだ。

しかし、毎日が平穏無事・・・、そんな幻想に似た、疑似健康体があるにはある。
それは、非常に鈍ってしまった体である。例えば、ガンになるような人の体である。

ガンになった人に訊いてみると、病気が見つかるまで、長期間全く風邪を引かなかったという人が非常に多い。風邪も引かないし、熱も出ない、取り立てて異常も起こらないので、丈夫になったものだと思っていたら、突然ガンが見つかったという。
ガンというものは、体の鈍りの果てに起こる病気である。一見、無病で健康、息災と見えたものは、実は丈夫になったのではなく、体がどんどん鈍くなって、変化を起こせなくなっていたのだ。異常がなかったのではなく、体が鈍って異常を感じ取れなくなっていたのだ。

生きているものは、全て揺らいでいる。その揺らぎこそが、生きていることの証なのである。

人間の体も、いつでも 「やじろべえ」 のように揺らいでいる。
大事なのは、傾かないことではなく、常に中心へ戻ろうとする力を失わないことである。

それでも、もし傾いたまま固まっても、鈍っても、ともかく全く異常感も症状も無いまま寿命が来るまで無事でいられる薬が発明されたらどうだろうか。
それはそれで、そういう薬にも需要があるだろうし、それを選択するのもまた一つの生き方である。

しかし、整体は、そういう道は選択しない。生命力を精一杯発揮して、己の生を全うするのが整体である。

力一杯生き切るという整体の生き方、体の自然に添っていく整体の生き方、そこには、「生」 の快感がある。この 「快」 を身を以て知ることが、整体で生きていくことの一つの大きなモチベーションになると言える。

整体というと、体を整える身体調整の技術、という意味が一般的だが、その整体によって整った体のことも、「整体」 という。

「整体」 であれば、生きていくことそのものに 「快」 がある。快適であり、快感があり、愉快なのである。
何か特別なイベントがあるから楽しいというのではない。生きていること自体がそこはかとなく愉しく、ゆったりと息をしているだけでも、その中に快感がある。

「整体」 になると、体を動かすことが愉しくなる。エスカレーターがあっても、階段で上りたくなる。
動くことに快感があり、動いても疲れず、疲れても心地よい。
夜はぐっすりと眠れ、朝の目覚めは爽やかである。
食べては味が鮮明で、おいしさの種類が増える。
力を出し惜しみする気は失せ、どんどん出し切りたい。
嫌なことがあっても、引きずらない。
伸びや欠伸にも気持ち良さがあり、排便や排尿にさえ、快感がある。

たとえ無病が保障されても、ただただ病気でないという鈍い体で生きるなど、「整体の感じ」 を知ってしまったら、とても選択できるものではない。

ただし、繰り返しになるが、毎日が晴天ということはない。整体=無病、ではないのだ。熱も出れば、お腹もこわす。変動は、体の常である。時には、変動が長期にわたることもある。人生が楽ばかりでないのと同じだ。
しかし、台風一過、嵐の後には、また抜けるような青空が待っている。

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