其の8 季節の変異と身体(柳澤)
この10年、梅雨は空梅雨続きだった。
梅雨であるのに、カラッとした日が続いていた。
やっとこの2~3年、湿度をともなう梅雨が戻りつつある、
動けば、ジトッと汗ばむ梅雨である。
日常動作や、歩くだけでも汗かく梅雨、
今は、梅雨前期と云える季節である。
この空梅雨であった何年かは、
身体にとっては、非常につらい時期であったといえる、
一般的には、カラッとしているので
過ごしやすい!!と、歓迎されていたが、
身体にとっては、苦行のような日々であった、、、、、。
4月から5月にかけて、日差しは急速に
強さを増し、じりじり容赦なく照り付けてくる。
この日差しと気温上昇に本来、湿度は
不可欠なのである。
よく知られているように
日差しの中の紫外線は、
皮膚に吸収されて、身体の中にビタミンDをつくる。
ビタミンDは、体内においてカルシウムの吸収を促し、
身体の中のカルシウムを定着させる働きをする、
免疫機能を活性化させ、
筋肉や神経系統にも影響するビタミンDは
紫外線のエネルギーを利用して
長い年月をかけて、人の身体が
獲得した体内育成物なのである。
かつては、紫外線ともども
日差しは敵ではなく、日光浴!と称して
皆、こぞって太陽の光を積極的に浴びようとしていたのである、
じりじり、肌を焼き、だらだらと、汗をかいて、、、。
しかし、近年
オゾン層の破壊にともなって、
紫外線内の有害物質も体表に届き、影響を
及ぼすにいたって、紫外線は一気に「悪役」に
成り代わってしまった。
2007年頃の、気法会のホームページを観ると
骨のマッサージ行気と云うものを
紹介している。
2007年は、すでに空梅雨となって
数年を経た頃である。
この年、今まで
空想にさえ起こらなかった
骨への直接の愉気、あるいは行気、
気を集める、と云う事を知らぬ間に
行なっていた。
とくに胸郭、、、
硬張った肋間筋、胸骨、、
何をしようにも弛まず、
さて、どうしたものかと、思っている先から
思わず骨そのものに
気を通していた。
当時は、明確な理由が
思い浮かばなかったが、
骨そのものをマッサージするように
行気してみると云うような
方法を提案した。
気を通すと、
胸の中に籠もった熱が
ふううと、発散されていった。
空梅雨で
じりじり焼かれるような
日差しは、皮膚を突きぬけ
骨に直接、影響を及ぼし始めていたのだろう、、、
ここら以降から
熱中症と云う、陽射しと暑さに
ダウンした身体が増え始め、
注意喚起の声が大きくなるごとに
倒れる人もまた、
急激に増加した。
人々の空想に
認知されたためである。
日本の梅雨は、
汗ばむように動かねばならない。
いや、汗ばむどころか
どかどか汗をかくのである。
梅雨前期は
動けば、汗ばむ。
このように
胸椎10番が動き、
胸椎5番が盛んに働いて
汗をかくことが
夏の前の養生なのである。
しかし、
胸椎5番は硬張り、
胸椎3番に痞えが生まれ、
肺の動きが阻害されてくる、、、
免疫系等の胸椎7番も
怪しげな途絶えを呈して、、
強力な陽射しに、身体は
大きなダメージを受けていた。
インドネシアに出向していたSさんが
3ヵ月ぶりに戻ってきた。
当初、1ヶ月は気候と食べ物の違いに
体調をやや、崩していたが
その後、2ヶ月いったきりの
久しぶりの彼の身体は、
現地人のごとく、黒々と日焼けし、
すっかり適応していた。
彼はサーファーでもあるので、
仕事の合間に、現地の海で
波に乗っていたらしい、、、。
陽射しが、こっちとは
異質なものらしくて、
半端ない照り付けに、
焼け焦げたようだと言う、、、。
確かに、日焼けした
肌の黒さが、日本人のものではない、、
黒々と芯から焼けているような
骨格のある黒さ!!とも云うべき
日焼けである。
しかし、面白い事に
彼の身体は、
とても水っぽい感じがした。
皮膚の下が
水を含んだ房のような感じなのである、
この事を話すと、
何でしょうね、、、、と、不可思議そうな
顔をしていた、、。
多少、戻りつつあるとはいえ
梅雨前期の今、
湿度感は、まだまだ、、である。
かつての、梅雨は
簡単には戻りそうに無い。
熱い風呂に浸かったり、
皮膚への刺激が
効果的なのは、
この変異してしまった
自然に身体を適わせる
自己保存としての防衛法だからである。
有害であると云う紫外線も
波長の長さにおいては有益だと言う、
細胞を活性化するのである。
メラニンを作り出し、日焼けする事で
身体も適応を図る、、
いずれも度合いの問題なのだ、
長く浴びれば
毒となる、
シミの原因となると喧伝されて
人は、太陽を
忌み嫌い始めたが、
何十年に一度とか、
リングの神秘とか言われれば、
こぞって日の光を
仰ぎ見ようとするのである。
身体は、
つねに自然の運航に
付き従っている、、、、。
人が作り出した
奇妙な自然の模造品の社会に
人は、足枷として捉えられながら
なお、
季節の変転に応えながら、
変異する自然に
今ある能力でもって最大の最適化を
ねらって、粉骨努力するのである。
一番の問題は
身体の持ち主の意識が、
この事にまったく、無関心か
鈍感である、という点なのである、、、、。