其の20 可動域の狭窄 ~全てを生かす、全生の至難(柳澤)
長い休暇を利用して
芭蕉のように古道の山道を
歩いてきた。
芭蕉は、10時間で30キロあまりの道のりを
踏破する健脚であったという、、。
決して平たんでない、山坂を
黙々と、、、
否、ポツリぽつり
時として軽口や箴言を
呟きながら、進んだのだろう、、。
私も、
今にして思えば、
何でもないと鷹揚に構えていた節があった、、
日頃の自分の身体の動きから
妙な自信を持っていたのだ、、、。
20分も歩くうち、
おかしいなと思い始めた、、、。
平たんな道ではない、、
石が敷かれてあったり、
数日前の大雨に、土が流れていたりする
デコボコな道が、
上ったり下ったりであるので、
やおら足元に慎重になり、
カツカツと頭の上で燃えさかる
日の照りつけに、体力を
かなり費やしながらの行程なので
下肢の筋肉や腰の運動の
かなり限定された動きになっていたのかもしれない、、、、。
1時間も行かぬうちに
右膝に違和感を覚え始めた、、。
経年の蓄積疲労が気づかぬ間に
身体の裏側にため込まれていたのだろうと
フと、思った。
これは、なかなか厳しい道行に
なりそうだなと、珍しく
不安がよぎる、、。
数十分も行かぬうち、
急速な悪化で、ほぼ体重が
掛けれないほど、
激しい痛みが走る。
ずいぶん酷使してきたんだなと思う。
仕事がら、ひざを折り曲げて使う
正座姿勢が多い、
毎日、この姿勢を取り続け、
正座を起点に、所作の動線が
描かれる生活だ。
膝の弾力は、保っているし
大丈夫だと、妙な自負が
いっぺんに覆される、、。。
道は大きく下り道となり、
この勾配のある坂道を進むのは
かなりの困難を呈しはじめる、、
もはや、
趣きのある森の中の古道を
フィトンチッドに抱かれながら
ゆったり、葉のさざめきや
鳥の声や蝉しぐれに身心をゆだねて、、、、
などと云う、当初の
目論見は一挙に崩壊し、
悲鳴と苦行の
道行となってしまったのだ、、、。
時々、道は平たんな舗装道路を
横切ったり、少し進行したりする、、
この時が、痛苦によじれる下肢の
わずかな休息の時である、、。
道が平たんであれば、
痛みはずいぶんと遠のく、
このような小休止や
途中何度か立ち止まり、立ち止まりして
何とか、
「騙しだまし」の行脚が続く、、、、。
途中の舗装道は、
車道でもあり、バスが運行している。
残りの行程を、何度
バスに乗って、近回りしようかと云う、
誘惑に駆られたかしれない、、、
我慢を重ねて、3時間を経ようと云う辺りで
やっと、中継点である宿場近くの
里道らしい道なりになってきた、、。
行く先の目途、、
目標へのわずかな手がかり、、
手が届く範囲、と云う確信めいたもの、、
このような道しるべが
萎えて萎みきった身心に
活力と希望を与えるものである、、。
けれど、、、
これほどの痛みを
身体は、どのようなメカニズムと
方法論で、仕舞いこんでいたのだろう、、、?
表面化すれば、明らかに
使い物にならない膝なのである、、
そのデッドストック化されたジャンク部位が
ごく限定化された運動帯域で、
いまや表面化してしまった、、、
ほのかな先行きの希望が
灯ったすぐ後に、また土面の流れた
下り坂が始まった、、、
ここで、そろそろと足を運びながら
何とか前に進もうとしていると、
フと、ある感覚がにわかに、、
突然に閃くように身体に落ちてきた!
思わず、腰を開き
がに股の大股歩きで、
街道をワラワラーと、闊歩するかのように
坂道を下りだす。
大腿部の大きな外転と
腰椎中央の捻れを合わせた
大きな身体の運用である、、。
不思議と身体に快適な感覚が
生まれている、
快活で躍動感が出て、
さかさかと、足を運んで行ける、、、
なんといっても、
驚くべきことだが、
膝の痛みがまったく消失してしまっている、、!!
人が二足歩行によって得た
運動領域の拡大は、
他の生き物からすれば、
驚異の発展だったに違いない、、、。
型フォームによる体捌き(サバキ)から
生み出される自在な動き、
動きの要求から開拓される道具、
身体の延長としての道具は
やがて思念の生活形態化へと
発展してゆく、、、。
すべて、動きの自由さが
生み出した進化なのであった。
動きの開拓、
能力の最大限の開花!!
空想の中では
あらゆる関節は270度の
全方位の動作が可能なのである、、、
私たちの頭の暴走は
これを360度にまで開放して
現在の社会形態を作り出そうと
してきた、、。
けれど、
私たちも身体も、
そしてこの社会も
全方位の動きなど
出来はしないのである。
空想も、
全方位の自由さは
持ち得ていないのである、、。
あらゆる動きは
限定的にしか使われない。
思念の偏りは
限定的にイメージを
生み出すのである、、。
最も理想的な
空想上の筋肉の配分と関節の
自由さで、
動作できる人は
世界に存在しないのである。
限定的にしか使われない可動域は
個人の先天的な能力の偏りや
感受性の偏向によるもの
だけれど、、、
可動域が使われずに狭まるごとに
持っている能力さえも
使わずに済まそうという
狭窄化が進む、、。
使わなければ、能力も
可能性も萎んでゆく、、、
廃動萎縮、、
廃用性萎縮と云う
身体の効率化が
進められてしまうのである。
人の人生も、身体も
可動域の狭窄化によって
かなり、規定されてしまっているのだ。
私たちは、かなりの部分で
持てる能力の数十分の一くらいしか
使っていない、、、。
狭窄化によって、
限定的な一部の部分や方向の
使用頻度が増すばかりで、
やがて、過度な負荷が
機能疲労を起こし、
毀(コワ)れてゆく、、、。
この時にいたって、
やっと身体は使っていない機能や部位で
これを補おうとする、、
きわめて粛々と、、
当人の気づかぬうちに、、、。
可動域の狭窄とは、
環境における
人格や性質の規定についても
同じ構造を持っているといえる。
親や自分自身の
先入主や決めつけ、
認められ方によって
心も体もその方向性を
規定されてしまうのだ、、、
私は、こんな人間だ、とか
この子はこんなんなんでね、、、とか
言われながら、
限定された動きしかできない、
欲求しなくなれば、
使えるのに使わず、
そのまま萎縮して、
可動出来る幅は、どんどん狭まってゆく。
私たちの人生は
可動域の狭窄によって
知らぬ間に
自らの人生を規定して
狭い道を、狭い視野で
進むしかなくなっているのである。
私たちの持っている可能性、
十分稼働するはずの能力は
眠っているのだろうか、、?
否!!
身体は、可動性を狭めたその
部位ではなく、全く別の、、
その根っこのところと云うか
対応する離れた場処に
いつでも復元可能な
補完的な動作を受け持つ
修復体系を作って、
常に待機してあるのである。
私たちは、痛苦と云うものから
逃れるため、
いったん何処かに痛みを感じると
なるたけその部分を使わないよう、
動作を狭め、小さく使う傾向がある、
逆側の手足を用いたりして
庇(カバ)うのである。
これらは、
道理を得た方法ではあるが、
実は、その部分から遠い処に
それを補い、
動作を復元する
大きな動きによる修復的可動域が
必ずセットとして
準備されているのである。
かなり頭を柔らかくして
俯瞰(フカン)しなければ
見つからない、
オッと、びっくりするような
処に隠れているのである、、
けれど、
それは慣れれば
「見える」ものでもあるのだ、、、。
身体は、毀れたもの、
受容しきれない痛みを
ストック化し、
可動域を狭めながら、
生命の運用を続ける、、
可動域を限定化するのは
効率的で省力化でもあるし、
何事かの非常時には、
余力を有しておける、と云う
利点もある。
けれど、逆に
廃動萎縮を招き、
狭窄化して、自らの首を絞めるという
二律背反の
選択でもあるのだ。
全生とは、かくも
難しい道行きを目標としているのである、、、、。
嘘のように圧痛が消し飛んで
しまった膝を、難なく使って
すでに宿場らしい雰囲気の道なりを
何事もなかったかのように、
歩き続け、、
その日の行程を無事
終える、、。
理屈でわかっている
つもりでも、これだけの激変を
体験するのは、
生きてあることの不思議さを
まじまじと実感できた、と云う
言い難い「余韻」を
心に残した、、。
その翌日からは、
今度は前日の筋肉痛に悩まされつつ、
永遠と続く感のある古道を
歩き続けたのであるが、、
そういえば、
巨岩の重なる風光明媚な
名所に足を延ばしたとき、
ほぼ全身の動作を使わない限り
進めない岩場で、
これまた筋肉痛がまったく
消し飛んで、
全身の筋肉が躍動したことも
実に爽快な体験であった、、、。
« 其の19 「整体10年」 ~ 頚部操法 ~ (指田) | トップページ | 其の21 身体運動を術化する(指田) »