其の18 隔てるものとしては近い!!(柳澤)
何日か前に、ある報道が
TVニュースで流された。
私は、ネットの動画ニュースで見たのだが、、
マッサージや整体による骨折被害、、注意を呼びかけ、、。
と云うものである。
国民生活センターが、
発表したところによると、
ここ5年間で、マッサージや整体、カイロプラクティックの施術による
被害相談が825件も寄せられており、
そのうち4割は整体、カイロなどの国家資格のいらない施術法に
よるもので、
骨折や神経損傷などの重度の被害ケースも
あるという、、、。
ネット記事では、その下欄に
コメントが数件寄せられており、
その多くは医療関係者によるものである。
リハビリ関係の療法士から、栄養士、医師。。?などの
面々が、それこそ鬼の首でも取ったように
批判的なコメントを寄せている。
彼らの主張は、
国家資格のないものは
本来、人の体に触ってはならない!のだ
と云うもので、、、
それみたことか!!と、
鼻息が荒い、、。
この10年で、
○○整体の看板を掲げる
治療院は急増した。
多くは、バブル崩壊から始まり、
世界同時不況の金融崩壊に至った
資本社会の危機が放った
国内景気への打撃に
打ち飛ばされてしまった人々が
なけなしの虎の子を
民間資格取得で、開業!!の
看板に吸い寄せられ、
脂汗のひねりのごとくに、
数か月か1年くらいで
多額の出資金を、吐き出さされ、開業した
人たちである。
「整体」は、一時
資格研修ビジネスに、
荒らされ放題であったのだ。
不思議なもので
ちょうど、同じ頃、、
こつこつと修養し、
手技徒手法の道を目指す人たちも
独立している。
誰が掛け声をあげたでもないのに
同時期に、
謎めいて集中したのである。
そのお蔭か
「整体」と云う業種は
目を見張るほどの
市民権を得た。
腰痛や肩こり、身体のリフレッシュに、と
人々の選択肢にのぼり、
日常的な何でもない会話にも
「整体」の二文字が
するっと顔を出してくるようになっていた。
けれど、その中身は
危ういものである。
身体(カラダ)と云うものは、
半年や1年で簡単に触れられるものでは
ないのである。
掴み方、挙げ方、着手の角度、
圧の度合いから、
お互いの体の向き合いの方向まで
すべてが深い意味を持って
お互いの身体に影響を及ぼす
気の抜けないコミュニケーションなのである。
身体のコミュニケーションは、
しかしどんなに、簡便な技法にしろ
人々を真摯にさせ、
身体そのものの奥深くに
心を振り向かせようとする。
そのため、
開店して閑古鳥であっても
何の得にも儲けにもならなくても
技術を磨こうとし、
具合の悪い人に奉仕しようとする
人たちが生まれる。
身体とは、
不思議なくらい求道に
誘い込む森なのである。
森には、分け入ろうとも
触れようともしない
一群の身体「スペシャリスト」の
人たちもいる。
入り方はそれぞれ、一ヵ所しか知らないし
だいいち、木々や鬱蒼とした草むらが
邪魔なので、、
切り倒し、引っぺがさないと
何も知りうるものでないと
考える一群の人々である、、。
そこで、とりあえず、
小型ジャイロ式探査機を
森の無線操作の届く範囲で
データ収集させ、
届いたデータを
PCのモニターで眺めやる
人たちである。
彼らも、経験と知識を積み重ねれば
身体コミュニケーションの
感覚と云うものを知らず知らずに
身につけ、
患者の顔色や様子からだけでも
ある程度、状態を掴めるようになる。
しかし、
回復期と云うものを
どう捉え、活かすべきかを
知恵として、知っている
医療技術者も有資格施術者も
少ない、、、。
否、、!!
身体全体を、見通せ
その深い森の深部も知る
技術がなければ、
まったくの当て推量となってしまう、、
そして、
それを体系化出来た手法も
限られるのである。
身体とは、
その深い森に小石を
ひとつ投げ入れれば、
必ずスポイっと
何らかの返事を
投げ返してくるものである。
深くても、浅くても、、、
実に興味深い答えを
それぞれに、
投げ返してくる
無尽蔵な、茫とした
虚なる森なのだ。
身体は
世界を隔てる森でありながら
すぐ真後ろで
お互いに、まったく
別の方法で検地しているほど、
ごく近い存在である伽藍でもある。
他者と自分を隔て、
自分と世界を隔てながら、
常に開いたコミュニケーションを
取り合う、
ごくごく近しい境界なのには
違いないのだ、、、、。