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2012年4月

其の3 運動系の調整ということ

人間は、動物である。動物である人間は、動くことで要求を果たしていく。

人間が生きているということは、動いている、ということだ。

運動器系を用いて要求を果たしていく人間にとって、動きの停滞は、すなわち生命活動の停滞を意味する。

運動というと、手足や体幹部の動き、― 立つ・座る・歩く・走る・投げる・跳ぶなど ―、つまりは骨格筋の運動が連想されやすい。しかし、人間の生命活動は、もっと広い意味での運動である。

例えば、呼吸も一つの運動である。一般に呼吸器というと、気管・気管支・肺などの器官を指す。これらの器官は、酸素を体内に取り込み二酸化炭素を体外に排出しているが、自力で空気を取り込んだり吐き出したりしているわけではない。息を吸ったり吐いたりするには、胸郭が拡がったり、横隔膜が上下したりする広い範囲の骨格筋の運動が必要である。もっと言えば、呼吸(外呼吸)は、体中が寄せては返す波のように、緊張(吸)と弛緩(呼)を繰り返す全身運動なのである。

また、くしゃみも、咳も、欠伸も、瞬きも身体運動であるし、排尿や排便も広い意味では身体の運動である。心臓の鼓動も、胃や腸の蠕動運動も、血管の拡張・収縮も、生命の営みはまさに運動そのものである。

整体操法は、運動器系の調整である。

これは、人間の生命活動である 「動き」 を改善するという意味であると共に、文字通り 「運動器系」 、すなわち骨格・関節・靭帯・腱、そして骨格筋による身体の運動系に働きかけて、全体の働きの調和をとるということである。

体の様々な働きの異常は、運動系の違和として現われる。整体では、それを特に脊椎及び、その周囲の筋肉の状況で触知する。

頚が回らない、腕が上がらない、膝に痛みがあるなどの、いわゆる身体運動の問題が、脊椎の歪みや硬直と関係しているということは最近では広く知られてきているが、臓器の変動もまた、関連する脊椎の動きに反映する。
例えば、肝臓の働きの変動は、第9胸椎の異常として現われる。脳の血行の状況は、第2頚椎に変化を起こす。
それぞれ対応している椎骨及び、椎側と呼ばれる脊椎外側の筋肉に、いろいろと変化が現われる。硬直したり、弛緩したり、転位したり・・・。感覚も、過敏になったり、鈍麻したり、圧痛が生じたり・・・。

もちろん、異常が現われる運動器は脊椎だけではない。消化器の疲労が下肢の筋肉を硬直させたり、子宮の問題が手首の関節を狂わせたりすることもある。心臓の具合が悪くて、左の腕に痺れが出ることは、一般にもよく知られていることだ。

そして、その異常が現われている運動器系を調整することで、逆に関連する内臓・神経系・内分泌系などの働きを調整することができるのだ。例えば、逆上せや脳貧血など、脳の血行異常は、第2頚椎を調整することで正常に復することができる。胃の収縮による痛みなどは、第11胸椎への押圧刺激で緩和される。また、手首の関節調整で子宮の位置異常(後屈など)を治したり、痔になり易い体の傾向を足の小指を調整することで無くしたりする。

整体では、いつでも 「動き」 に働きかけ、体を調整していく。そして、「動き」 の閊えを改善させることは、すなわち、「気」 の停滞を解除することであり、「要求」 の中断を回復させることである。

それを実現するには、動きの悪い処を一つ一つ見つけて、片っ端から治していくというのでは上手くいかない。ただ悪いところ、硬直しているところを追いかけ追いかけ治しているだけでは、いつも後手後手に回っていることになり、到底相手の体をリードしていくことはできない。

整体操法においては、常に体の変化の半歩先、一歩先を読んで、動きをリードしていかなくてはならない。それは、「気」 を読むということでもあり、体が志向しているところ、すなわち体の 「要求」 を読むということでもある。そこが何より整体の難しい所でもあり、同時に整体の醍醐味でもある。

常に相手の体を先導していくところに、整体の整体たる真面目がある。そして、それが整体操法が、「整体指導」 とも呼ばれる所以なのである。
言語を超えた身体技法という領域において、心と体に働きかける整体の 「指導」。そこで求められるスキルを習得するために重要となるファクターを、整体の世界では、「機」、「度」、「間」、と表現する。技術の中に、その 「機」、「度」、「間」、というものを掴まなければ、形だけは整体でも、ただの体の修理屋になってしまうのだ。

季よみ通信 ~気法会サイド~

其の1 始めに 「気」 ありき

「季よみ通信」 ~白山⇔気法会往復ブログ~

これは、白山治療院 指田(私)と身体気法会の柳澤先生とで、整体 ・ 気 ・ 身体などについて、ブログ上で気の向くままにあれこれと語り合ってみようという試みである。

同名のブログを行き来しながら、お互いの記事の内容から感じ取ったことに絡めて、自由に続きを書き継いでいく。テーマは常に流動的、お堅い決まり事は無しで、ともかく気ままに書いていこうというブログ上でのコラボ企画である。

こんな企画は面白いのではないか、というアイディアは柳澤先生。
では、それを私達でやってみませんか、という発案は私、指田。
企画の通奏低音としては季節を読み取る、機を感じ取ると云うコトで・・・ と、
「季よみ通信」、とのタイトル命名は柳澤先生である。

柳澤先生は、私にとっては整体の大先輩である。年齢も多少離れているが、整体のスタイルもそれなりに違う。
ただ、愉気の質が似ている、とは柳澤先生の弁である。

愉気・・・。

愉気は、整体の真ん真ん中にあるものである。

愉気とは何か?

愉気とは、お互いの気が同調(シンクロ)し、感応(レスポンス)することを通して、互いの体が生命活動の調和をとろうと働きだすことである。

というのも、一つの説明の仕方であろう。

これが整体操法における愉気では、互いの気が感応することには変わりがないが、術者が主導して受け手の体が調和を取るように誘導していくという面が強くなる。
そして、それを実現し易くするのが、整体操法における 「型」 というものの存在である。

では 「気」 とは何か?

「気」 とは、生命そのものの原初の働きである。
新しい生命の誕生が受精の瞬間だとすると、人間はまだ心も体もできあがっていないときから生きている。その心も体もできあがっていないときから働いている生命そのものの力を、整体を始めとする東洋の医学 ・ 哲学では 「気」 と呼んでいるのである。「気」 は、「心」 と 「体」 を作り上げ、その両者を先導し、支え、かつ繋いでいる生命の根元的な力である。

と、いつも私は説明している。

整体で、まず始めに 「気」 ということを言うのは、「心」 も 「体」 もひっくるめた、人間全体に通底する生命そのものの働き = 「気」 に働きかけることを最も重視するからである。
そして、「気」 に働きかけるには、やはり 「気」 を以て為すということになる。それが、すなわち愉気である。愉気というのは、人間同士の最も根源的な部分でのコミュニケーションなのだ。

さて、一粒の受精卵が分化し、生を全うするためにいろいろな器官が出来て身体が形成されていく中で、気の働きもそれに合わせて多彩になっていく。

見る・聞く・嗅ぐ・味わう・触れて(触れられて)感じる・・・。五感の働きも、みな 「気」 の働きの具体化、現象化したものと言える。
整体操法の中で、こちらが腹部を触ろうとすると、まだ触れる前にお腹がぐるぐると鳴り出す人が結構いる。これも、触れようとするこちらの手と、今まさに触れられようとしている体との間に、物理的な接触以前に 「気」 の感応が起こるからである。
誰もが経験があるであろう 「視線を感じる」 というのも、ものを見ようという欲求と共に発現する 「気」 の動き、対象物に集注される 「気」 を感じているのだ。
神経の働きであろうが、筋肉の働きであろうが、そこには必ず生存の(また種族保存の)欲求に端を発する 「気」 の動きがある。まずは、「気」 ありきなのである。人間のあらゆる生命活動、心や体の働きは、全て 「気」 の動きの具体的な表現である。

日本語の中には、「気」 を使った言葉が非常に多い。

「元気」、「病気」、「陽気」、「陰気」、「根気」、「暢気」、「本気」、「やる気」、「気持ち」、「気力」、「気丈」、「気まま」、「気軽に」、「気が合う」、「気が強い」、「気が小さい」、「気がつく」、「気が向く」、「気がある」、「気がはやる」、「気が滅入る」、「気合い」、「気遣い」、「気働き」、「気色」、「気分」 などなど・・・。
挙げていけば、切りがないほどだが、一つ一つ見ていくとその示すところはなかなかに面白い。

とにもかくにも、日本語に 「気」 に関する言葉が多いのは、昔日の日本人が、目に見える動きに先んじて動く 「気」 の動きを、それこそ五感以前の 「気」 で感じ取っていたからだと思われる。
つまり、昔から日本人は、人間の生きて活動しているその中に、また人と人との関係性の根本に、「気」 というものの動きを感じていたということだ。
整体は、そういう日本人独特の感性と認識力の鋭さの上に成立した、非常に日本的な身体文化と言える。

21世紀、ITの急激な進歩で巷に情報はあふれ、現代人は非常に頭でっかちになっている。何事も頭で理解することを重視する傾向が強まり、往時に比べて 「気」 を感じることに疎くなっている面もあるかも知れない。
しかし、この時代に生きる現代人だからこそ発達している、新時代の 「気」 の感性というものも、やはりあるのではないだろうか。

柳澤先生は、「身体」 ・ 「気法」 の会において、まさに 「身体」 を 「気」 で読み解いていく活動をされている。そこには、自然の一部である 「身体」 と 「季」 の移り変わりとの関わりがあり、その関わりの中に 「機」 を読むことが求められる。
「季よみ」 は、「季読み」 でありながら、「機読み」 であり、「気読み」 でもある。
季よみ通信という、新たな試みの中で、時代に即した 「こころ」 と 「からだ」 の新たなる地平が立ち現れてくることを期待しつつ、これを以て第一回の往信としたい。

季よみ通信 ~気法会サイド~

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