2006.02.28

整体操法制定委員会.4

整体操法の中には、いろいろな手技療法の技術が流入しているが、手技療法以外にも武道の活法の技術なども入っている。腹部活点 ・上頚活点など、今も活点と呼ばれているところの多くは、元々武道の活法において、「活」を入れて 「活かす」急所だ。
呼吸はあるが意識がないという状態の人は、上頚というところ(第2頚椎の三側)を押さえると気がつくが、これは「脳活帰神法」といって、元々武士の嗜みの一つだったといわれる。おぼれて溺死しかけた人を救う救急操法なども、まさに活法である。

武道の活法以外にも、鍼灸 ・漢方医学や民間に伝わるさまざまな治療法の技術も整体操法の中に流れ込んできている。また、治療法に限らず、呼吸法、気合術、昔からのお産の知恵などもそうである。
もちろん、西洋医学を支えている解剖学 ・生理学 ・病理学の知識なども、整体操法と無関係ではない。

食中毒のときには、足の第2指を折り曲げてその指裏がつくところ、つまり足裏の第2指の付け根あたりを押さえる。上手に押さえて愉気すると、みるみるうちに気分の悪さがおさまっていく。
足の裏のこの場所は、鍼灸の世界で「裏内庭(うらないてい)」と呼んでいるツボで、本来は食中たりのときには「お灸」をする急所である。中毒しているときは、大抵この部分は鈍くなっていてお灸をしても熱くない。そのお灸が熱く感じるようになるまで、何度も何度も繰り返しお灸をしていく。そして、「熱い」と感じるときには、吐き気や気分の悪さも治っている。
足の第2指は、肝臓の働き(解毒)と関係している。食中毒のときには、食べた悪いものを速やかに排泄するように促すことも大切だが、「裏内庭」を押さえると解毒が進み、とりあえず気分は良くなる。また、嘔吐 ・下痢をくり返して、出すものもないのにそれが止まらなくなっているようなときも有効である。

めずらしいところでは、耳をつまんで目の治療をするというのもある。整体操法が制定されたころ、耳殻をつまんで眼病を治す有名な(知る人ぞ知る?)女性がいたという。特に白内障を治すということで評判をとっていたらしい。
この耳殻をつまむという方法も、整体操法に取り入れられている。白内障や目の疲れなどにも使うが、寝不足になると耳殻が硬くなることから、寝不足による体の不調を改善したいときにも耳をつまむ。
目が疲れていたり、寝不足のときには、つままれると結構痛い。整体操法で「痛くするほど良い」ということはあまりないが、この耳殻だけは痛くないと効かない。もちろん、力ずくでやればどうやっても痛いが、後まで痛いようではつまみ方がよろしくない。「痛たたっ!」っと感じても、後は痛くないというのが上手な痛みの作り方。
しかし、件の元祖は二枚の硬貨で耳殻をはさんで内出血するぐらい刺激したというから、あまりお上品でも良くないのかもしれない。

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2006.01.09

整体操法制定委員会.3

整体操法の制定に関わった人物の中でも、野中豪策という人は、その名の通り豪快でおもしろい人だったようである。「人間は玉でごわす」というのが彼の持論で、へそを中心として腹部を玉と見なし、その外側縁を「健康線」と呼び身体調整の最重要点としていたという。整体操法の側腹操法や、皮膚病に用いる恥骨操法は、彼の技術がもとになっている。
野中氏は恥骨操法を、「皮膚病一切奇妙」と名付け、「皮膚病の一切が治る急所だ」といって皮膚病治療に効果を上げていたという。また、「ガンも内臓に出来た皮膚病だから」と、恥骨への操法で癌も治ると豪語していたらしい。
野中氏は腹部外縁の操法で有名だが、手にある脳溢血の後遺症の調律点なども彼の治療法から採用されている。以前、何かの資料の中に、「腹痛一切奇妙」と名付けられた足の甲の調整点があったのを見た憶えがあるが、これもネーミングからして元は野中氏の技術の中にあったものかもしれない。

宮廻清二という人は、尾骨の調整で有名だった人で、尾骨を操法することで胸郭(肋骨)を整えるという技術を持っていた。肺結核などの呼吸器病を、尾骨の操法で治していたという。彼の尾骨操法は、肋骨の調整や眠りを深くする操法としてなど、整体操法の中に今も受け継がれている。

柴田和通氏の「手足根本療法」は、現在では「足心道」と呼ばれている。整体操法の中の足指 ・足裏の操法には、柴田氏の手足根本療法の影響が見られる。「脊髄反射療法」の梶間良太郎氏は、胸椎9 ・7 ・8のショックによる副腎操法の生みの親だ。

そのほか、この資料(整体操法読本 巻一 野口晴哉著 )の中では委員の名前に入っていないが、永松卯造という人の永松活点は、整体操法の中で腹部第5調律点となっている。
腹部第5調律点は痢症活点とも呼ぶが、古い資料では永松活点と痢症活点は別のものとして図示されている。どちらも右季肋部だが、痢症活点は肋骨の縁であるが、永松活点は肋骨のずいぶん奥になっている。永松氏が右の季肋部を押さえると、四指の根本まで肋骨の裏に入ったそうである。

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2006.01.04

整体操法制定委員会.2

整体操法制定委員会の委員の顔ぶれを見てみると、オステオパシー ・カイロプラクティック ・スポンディロセラピーなどのアメリカ発祥の手技療法をおこなっていた人が意外と多いことに気づく。これらの療法は、大まかにいうと脊椎を中心とした人体の関節を調整することで全身の機能を改善し健康を保つことを目指している。(脊椎も椎骨が関節を作って連なっている)
整体操法の脊椎操法は、これら舶来の療法の影響を多分に受けている。オステオパシーやカイロプラクティックなどが入ってくる以前、日本の手技療法といえば、ほとんどが漢方理論によるものだった。背骨やその周囲に働きかけるとしても、経絡(体内を流れる「気」の経路)及び経穴(いわゆるツボ)に対する働きかけが中心で、脊椎そのものの可動性や弾力を調整するという発想は、あったとしてもごく少数派だったと思われる。
整体操法が制定される少し前から、これらアメリカ式の脊椎調整法が日本の手技療法の中に少しずつ取り入れられてきた。整体“言”始めでも書いたが、オステオパシーは大正年間に山田信一氏によって日本に紹介されている。山田氏も制定委員のひとりだ。
カイロプラクティックが日本に入ってきたのは、オステオパシーよりも少し遅いらしいが、今ではオステオパシーよりも一般的に知名度が高いようだ。ここ十数年ほどでカイロプラクティックという正式名称を名乗るところが増えてきたが、それ以前は 「整体」 と名乗ってカイロを施術しているところが多く、いろいろと混乱を招いていた。
スポンディロセラピーは、脊椎反射療法と和訳され、“あんま・マッサージ・指圧師”の国家資格を取得するための教科書にも、指圧に影響を与えたものとしてオステ、カイロと共に名前を挙げられている。按摩は奈良 ・平安時代からおこなわれてきたが、指圧はこれら外来の手技療法の影響を受け近代になって成立したものだ。
スポンディロセラピーは脊椎の棘突起やその両側の皮膚 ・筋肉に叩打、押圧、振動法、温熱 ・冷却などの刺激をおこない脊髄反射中枢に刺激を与え治癒をうながすというものだったようだが、現在日本でこの療法をおこなっているところはとても少ない。

整体操法において、脊椎の観察と操法はとても重視される。しかし、そのアプローチの仕方は、影響を受けたと思われるオステオパシーやカイロプラクティックとはだいぶ異なったものとなっている。オステやカイロは、大まかにいえば、背骨の転位(ズレ)が体の機能を不全にさせると考える。そのため、まずはその脊椎の異常を正すことに重点が置かれる。背骨の不自然を正せば、自動的に体の機能は改善するという考え方だ。
整体法では、骨が曲がったり歪んだりしているのを見つけても、それをすぐさま元の位置に戻そうとはしない。その歪みやズレがなぜ起こるのかということをまず考える。目を酷使しても、体が冷えても、お酒を飲み過ぎても脊椎は可動性を失ったり転位したりする。その原因となる生活の仕方、体の使い方の方を正すことを考えずに、とりあえず骨の歪みを真っ直ぐにしてしまおうとは考えない。
目を蒸しタオルで温めたり、足湯をしたり、飲み過ぎないように注意すれば元に戻るような背骨の変化は、直接背骨を矯正しない方が体にとっては良い。それだけでは自然な状態に戻れなくなってしまっている異常であったら、その時はじめて脊椎に働きかける。それも、力で矯正するのではなく、自然に治っていかない「感覚 ・働きが鈍った状態」を、自力で戻る力を発揮するように「敏感な状態」(過敏ではない)にしていくことに尽きる。
なるべく自分の体の中の力で治っていくように手伝っていくのが整体式。そうしていくことで、体が自然治癒力を発揮するように育てていく。手伝い過ぎると体は自分の力を発揮しなくなってしまう。また、場合によっては体にとってかえって負担になる。骨の歪みを矯正技術で外部の力で治すというのは、整体法では最後の最後の手段となる。

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2005.12.20

整体操法制定委員会

「整体法」(野口整体) における他律的身体調整の技術を、「整体操法」という。整体操法の理論と技術体系は、野口晴哉氏の卓越した人間観 ・生命観に貫かれて、他に類を見ない独創的なものとなっている。しかし、当然ながらその内容は全てが野口氏のオリジナルというわけではない。もちろん昔からおこなわれてきた伝統的な医術の流れを受け継いでいるし、さまざまな治療法 ・身体調整法から多くの技術が取り入れられている。

整体操法が確立した前後、大正から昭和初期というのは、手技療術の大いに発展した時代だったようだ。古来からの日本的、東洋的な手技療術 ・民間療法に加えて、アメリカから入ってきたカイロプラティックやオステオパシーなどの影響をうけ、さまざまな手技療法が発展し花開いた、まさに「療術百花繚乱」の時代だったようである。整体操法は、そのころの治療の大家が一堂に会して、当時の技術の粋を持ち寄ってつくられた。

手技療法全盛のその当時、一流一派を率いる名人 ・大家と呼ばれる人々が、それぞれの経験にもとずく見識と理論と技術を持ち寄って、療術界の発展のために新しい技術体系を創り出そうという動きがあった。その動きの中心にいたのが「整体法」の創始者である野口晴哉氏だった。
はじめ整体操法は、東京治療師会の手技療術のスタンダードとして制定された。野口氏の古い著書に、そのあたりのことが詳しく書かれている。

「整体操法制定委員会は昭和十八年十二月設立し、昭和十九年七月迄毎夜の論議を経てその基本形を制定し、同月の東京治療師会役員会に発表し、全員一致の支持を得て之を東京治療師会手技療術の標準型と決定したのであります。ここに手技療術の新たなる発足が始まったのであります。個人のものから団体のものに移り、いろいろな角度からいろいろの検討が行われ、 ・・・(中略)・・・ その後も連日多数会員の協力が加わって進歩向上しつつあるのであります。独特の殻を破った手技療術の歩みこそ他のいろいろの療術の範をなすものであります。」(野口晴哉著 整体操法読本 巻一 ※原文は旧仮名遣い)

その第一回の制定委員会の委員の顔ぶれは以下の通り。

「野口晴哉(精神療法)を委員長として、次の十三名の委員によって構成されていました。梶間良太郎(脊髄反射療法)、山田信一(オステオパシー)、松本茂(カイロープラクティック)、佐々木光堂(スポンデラテラピー)、松野恵造(血液循環療法)、林芳樹(健体術)、伊藤緑光(カイロープラクティック)、宮廻清二(指圧末梢療法)、柴田和通(手足根本療法)、山上恵也(カイロープラクティック)、小川平五郎(オステオパシー)、野中豪作(アソカ療法)、山下祐利(紅療法)、その他に美濟津貴也(圧迫療法)他三、四名の臨時委員が加わりました」( 同著 )

多くの治療家が参加しているが、整体操法を構築していく上で理論的 ・技術的に柱となり核となったのは、やはり元来野口氏が持っていたものだったのではないかと想像する。基本的に治療家というのは、みな一匹狼であり、それぞれが一国一城の主である。これだけ多くの治療家が集まって、いくら議論を交わしたといっても、そうそう意見がまとまるとは考えにくい。
真珠や金平糖が核があってできあがるように、整体操法にも核になるものがあったのではないだろうか。後に野口氏は治療ということに対する考え方の相違から療術師会と袂を分かつのだが、他の委員のほとんどは、もともと自分のおこなっていた治療法に戻っていく。野口氏だけが、この整体操法を自分の治療技術として用い、さらに発展させてゆく。このことから考えても、そもそも整体操法の基本部分は野口氏のもともと使っていた技術だったのではないかと思う。
そして、野口氏の思想と技術という中心となる基盤があったからこそ、整体操法が単なる寄せ集めに堕することなく、理論的にも統一された、すぐれた身体調整の技術体系となりえたのではないだろうか。
引用した著書には、こんな文章もある。

「質問に答えて
各委員は材料を出し合った、しかしそれを合併したのが整体操法では無いのであります。小豆と砂糖と寒天とで羊羹は造られるでありますが、羊羹の味は羊羹であって、小豆や砂糖や寒天の味が残っていればそれは上等の羊羹では無い。或る委員の出した材料が見当たらないと言われることは、その練り用を褒めて頂いたように思われる。希くばこの羊羹から、小豆の味を見つけようと味わわないで、羊羹そのものを味わって欲しい。」

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2005.12.07

足湯で「しもやけ」もキレイに

先週ある人に、「朝起きたら、冷えの急所を押さえて足湯をする」ということをすすめた。その方は70代後半の女性で、毎年寒くなると足にしもやけができてあかぎれになるのだそうだ。今年も寒くなりだしてからしもやけができ始めて、すでにひび割れて歩くのも痛くて大変なのだという。
ところが、今週その方が来院したときには、「先生!足湯をしたら足のしもやけが治りました」と、とてもうれしそうにしている。「治りました」といってもきれいサッパリ治ってしまったわけではないだろうと思ったら、いやいやまさに、“きれいサッパリ”治ってしまっていた。
よく話を聞いてみると、言われたとおり3日ほど朝起き抜けに足湯をしたらしいのだが、1日目からみるみるうちに良くなって、5日後には全くきれいになってしまったという。
しもやけも、「冷え」によって起こっているのだから、その対処法として冷えの急所を押さえることと足湯をすすめたのだが、正直なところこれほど早く良くなってしまうとは思っていなかった。最近はしもやけをつくる人はめっきり少ないので、今まであまりみる機会がなかったのだが、やはりしもやけにも足湯は有効なのであった。
しもやけでお悩みの方、「冷える」ことで起こるいろいろなトラブルをお持ちの方、ともかく「朝の足湯」をお試しあれ。その前に冷えの急所を押さえることもお忘れなく。

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2005.11.22

冷えの急所

11月も中旬に入ってから、体が冷えたことによって体調をくずしている人が増えてきた。症状はいろいろ。体が重い ・だるいから始まって、喉が痛い、鼻水 ・鼻づまり、腹痛 ・下痢、頻尿 ・尿が出づらい、喘息発作、神経痛、しゃっくり、いびきが急に大きくなったなどなど。腰痛も、冷えが原因で起こることは結構多い。
病院に行けば、鼻づまりと神経痛は別の病気だといわれて違う薬を処方されるだろうが、どちらも「冷え」によって起こっているのだから、同じ方法で解消できる。
「冷え」て具合が悪くなった場合は、何よりも温めることだ。どこを温めるかといえば、「足」である。朝起きてすぐの足湯が最も良い。今の時期、最も体が冷えるのは眠っている間。眠ると誰でも汗をかくが、その汗が冷えて寝冷えをする。足湯は、年末を越えてお正月あたりからは寝る前が良いが、今はまだ朝が良い。

〈足湯 ・膝湯〉
くるぶしが隠れるくらいの熱めのお湯に(入浴温度より2度ほど高くする)足を入れて、5分~7分。やかんなどに熱いお湯を用意しておいて、冷めてきたら差し湯をして温度が下がらないようにする。
足を出してみて両方赤くなっていたら、こするようによく拭いて終わり。皮膚の赤くなり方が左右で違っていたら、赤くなりきらない方をさらに2分ほど温める。この間に、赤くなっている方の足が冷えないように注意。
喉が痛い、鼻水が出るなどの頚から上の症状では足湯が良いが、お腹が痛い ・下痢 ・ガスがたまるなどお腹に症状が出ているとき、そしてこの時期の寝冷えの解消には膝まで温める「膝湯」が有効。

〈冷えの急所〉
冷えの影響で体に変動が起こったときには、足の第3 ・第4中足骨間がキューッと縮んで狭くなっている。「寒い、寒い」といっていても、ここが狭まっていなければ、冷えの影響はあまりない。逆に、冷えたという実感が無くても、ここが狭くなって押さえて痛みがあれば、体は冷えの影響を受けている。そして、そこを押さえてゆるめると、冷えの影響が抜ける。「冷えの急所」である。
足の甲の前半分を触ると、指の数だけ細長い骨が並んでいるのがわかると思う。これを中足骨というのだが、その内側(母指側)から数えて3本目と4本目の間が冷えの急所。手でいうなら中指と薬指の間になる。その骨と骨との間の溝を広げるような気持ちで押さえる。左右の足を比べて、より狭い方(多くはそちらが痛い)だけで良い。
指に近い方からジーッと押さえて、圧痛がやわらいだら少し足首の方へ指をずらしてまた押さえる。その繰り返しで、先の方から手前の方へ溝の終わりまで押さえていく。力ずくで押さえると効かないばかりか後が痛くなってしまう。力を入れ過ぎないようにゆっくりと押さえていって、そのまま気を通していくような気持ちで持続的に圧迫すると良い。
ここを上手に押さえると、冷えてお腹が痛いのや腰が痛いのも、それだけで良くなってしまうこともある。足湯、膝湯をする場合でも、その前にここを押さえてゆるめておけばなお効果が高い。両足の赤くなり方が同じくらいのときは、冷えの急所が痛い側の足を余分に温めて、左右差をつけるのもいい。

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2005.09.06

整体 ・ “言” 始め

整体という言葉がはじめて使われたのは、いつ頃だろうか。ときどき、「野口整体の創始者である野口晴哉氏が、はじめて『整体』という言葉を使った」という人がいるが、残念ながらそれは違うようだ。

オステオパシー(米国ではカイロプラクティックと並ぶポピュラーな手技療法)を学んだ山田信一という人が、「山田式整体術」と名乗って活躍しはじめたのが大正の中頃である。そして、「山田式整体術講義録」という著作が、大正9年に発行されている。野口氏は、そのころはまだ10歳になるかならないかくらいである。また、長じて野口氏が治療家として名を成したときも、はじめは「整体」ではなく、「野口法」と名乗っていたそうだ。
私が知る限りでは、「整体」という言葉を日本ではじめて公に使ったのは、この山田式整体術であるようだ。もちろん、これは「整体」という言葉がいつ頃使われだしたかという話である。「整体事始め」ではなく、「整体“言”始め」である。

先に、「日本ではじめて・・・」と書いたが、実は中国医学の中にも、“整体” という言葉がある。中医学では、古くから “整体” という言葉が用られていたようだ。しかし、この “整体” は、人体の「統一性」、「全体性」、「調和」といったことを表す概念であり、手技療法としての「整体」という意味はない。
最近、「中国式整体」とか「中医整体」といった看板をよく見かけるが、この「整体」は、もちろん手技療法の「整体」。もともと中国には「整体」という手技療法はないので、「中医学理論に基づいた手技療法」とか、「推拿(中国の手技療法)の手法を用いた整体術」というようなものなのだろう。

野口整体では、「体を整える技術」という名詞としての「整体」のほかに、「整体する(体を整える)」という具合に動詞的にも使う。そしてもう一つ、「整った体」のことも、「整体」という。
野口整体における「整った体」、つまり「整体」は、中医学の “整体” という概念にかなり近い。背骨が真っ直ぐならば体が整っているとか、仰向けで脚の長さがそろっていれば整っているとか、そういう固定的で紋切り型の「整体」ではない。自分らしさという、生命としての個性を発揮しつつ、全体として統一性と調和がある。人間の本来の自然な姿を「整体」と呼ぶのであり、その自然な体に導いていくものが「整体法」なのである。
野口氏が、整骨法でも正体法でもなく、「整体法」と名付けたのは、「整体」という言葉の中にそういう深みを見出したからではないかと、一人想像している。

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2005.08.09

エアコンは上手に使おう

このところ、エアコンで冷えたために体調をくずしている人がとても多い。冷えたことそれ自体の影響と、汗が出なくなったために起こる体の変調だ。

当たり前のことだが、夏は必ず暑い。そのため、体は暑さに適応すべく、ちゃんと「夏仕様」になっている。汗腺が開き、汗は出やすい。寒い冬と違って、皮膚も筋肉もゆるんでいる。そんな夏用の体は、当然冷えることには弱い。特に汗をびっしょりかいたまま、急にエアコンのきいた部屋に入ったりすると、たちまち汗が内攻する。汗をかいて、それが冷えることで体に悪影響を与えることを、整体法(野口整体)では「汗の内攻」という。自分でかいた汗が、自分を攻めるという意味である。ただ冷えるのに比べて、汗をかいている状態で冷える方が、体に対するダメージは断然大きい。夏はたえず汗をかいているので、エアコンによって汗が内攻するケースはとても多い。
外を歩いていて、エアコンの効いたお店に入ったり電車に乗ったりする場合は、よく汗を拭くことが大切だ。特に頚の汗は、よく拭いて内攻させないようにしたい。頚の汗を冷やすと、体にとって悪影響が大きい。あらかじめ、エアコンがきついところに行くことがわかっていれば、女性ならスカーフなどを用意するといい。男性も、襟のある服で出掛けたい。
エアコンをかけたまま眠って、寝冷えをしたとか膝が痛むようになったとかいう場合は、起きがけの朝風呂に入ることが有効。この場合、熱めのお風呂にサッと入る。ぬるい湯にゆったりでは、あまり効果がはっきりしない。

夏という季節は、汗を上手にかいていれば、おおむね健康に過ごせる。発汗が自然におこなわれている人は、暑さに強い。汗を内攻させることはいけないが、汗をかくこと自体は大切だ。汗が出ないと、体温調節がうまくいかないため、のぼせやすくなり、熱中症も起こしやすい。また、汗には老廃物・毒素の排泄の働きもあるので、汗をかける時期にどんどんかいておかなければいけない。
一日中エアコンの効いた部屋にいるような生活だと、汗をかけない体になってしまう。そうなると、ちょっとした暑さでも、すぐにのぼせたり暑気がするので、ますますエアコンから離れられなくなる。そして、どんどん発汗できない体になるという悪循環にはまってしまう。仕事などの関係で汗をかけない環境にいる人は、入浴や運動などを利用して汗をかく機会を、意識して日常生活の中につくる必要がある。
また、エアコンの設定温度が低すぎることも問題。夏は暑いのが当たり前で、体もそのようになっているのだから、ひんやりするほど冷やすのは体に良くない。座っていて動かなければ涼しいが、ちょっと動くとじんわり汗が出る、といった程度の温度で十分だと思う。まったく汗をかかないような冷え切った部屋に籠もって夏を過ごすのは、体の自然を破壊していく。地球温暖化の問題ももちろんなのだが、それ以前に自分の体のためにもエアコンの設定温度を上げて欲しい。

ここ十数年ほどで、日本の夏は急激に暑くなった。体温よりも気温の方が高い日もあるくらいだから、エアコンを使わないで生活するということは、ちょっと難しい。もちろん、エアコンが悪いわけではなく、問題は使い方である。体の自然を乱さないように、上手にエアコンを使うコツを体得していきたい。

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2005.05.23

合掌行気法

愉気というのは、人間に備わっている本能的な癒しの力であるから、当然誰でもおこなうことができる。しかし、現代人は長い間「手を当てる」という、いわゆる触手療法的な能力を使わずに過ごしてきている。どこかの地方では、親が子供に手を当てることを「親薬」というそうで、今でもそういう習慣が残っているところもあるようだが、最近は多くの家庭では、子どもでも大人でもケガや病気にはともかく薬である。「手を当てる」ことの効用が忘れられているとともに、その能力も錆びついてきている。「気」を込めるとか、「気」で触るとかいう感覚に、ピンとこない人の方が多い。そこで、手に「気」を集めて、愉気のできる手を作るための方法がある。「合掌行気法(がっしょうぎょうきほう)」という。
整体では、手を当ててそこから「気」を通していくことを愉気(ゆき)というが、自分の体の一部に「気」を集めたり、「気」を通したりすることを「行気」という。合掌行気法とは、合掌した手に意識を集め、「気」に敏感な手を作る方法である。合掌といっても、手の形のことであって、特別宗教的な意味はない。
体というのは、意識を集めると感覚が高まるという性質がある。手に注意を集めて、「気」の出入りを感じ取る訓練をすることで、「気」に対して敏感な手をつくることができる。合掌行気法をくり返すことで、手の感覚はしだいに鋭敏になってくる。手を体に近づけると、悪いところや愉気を欲しているところがわかるようになる。感覚としてもわかるようになるが、感じるよりも早く、悪いところに自然と手がいくようになる。単に手の感覚だけでなく、「体のカン」が鋭くなるのだろう。

合掌行気法

目の前、もしくは胸の前で、両手の平を近づける。手のひらの間は3㎝ぐらい。
目を閉じて、指先から手の平の真ん中に息を吸い込んで、指先から吐く。もしくは、手の平から吐く。手で呼吸するという「つもり」でおこなう。これを観念呼吸とか、内観的呼吸とかいうが、そういう「つもり」で、いつもより少しゆっくり呼吸し、手から出入りする「気」に注意を集める。
手と手が引き合ってくっついてしまうようなら、そのまま合掌しておこなう。引き合う感じを持ちながら、離したままおこなっても良い。
終えるときは、大きく息を吸い込んで、「ウム」とちょっとの間お腹に息をこらえ、吐き出すときに目を開けて手を下ろす。

おこなう時間は、長ければ良いというものでもない。これは愉気でも同じことだが、集中力が散漫になるようだったら長くやっても意味がないので、集中力の続く範囲でおこなうことが良い。慣れてくると、自然と集注できる時間が長くなる。

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2005.05.16

愉気

治療のことを「手当て」というが、手を当てるということは癒しの原点である。誰でも頭が痛ければ自然と頭に手がいくし、お腹が痛ければ無意識にお腹に手を当てる。どこかをぶつけても、やはり思わず手を当て、押さえ、さする。痛みに限らず、体に異常が生じれば、自然と手を当てるものである。
では、思わず手を当てるそのときに、そこにはなにが起こっているのかというと、「気」が集まり、その働きが高まっているのである。
「気」というのは、人間が生きている源である。新しい生命の誕生が受精の瞬間だとすると、人間はまだ心も体もできあがっていないときから生きている。その心も体もできあがっていないときから働いている生命そのものの力を、整体を始めとする東洋の医学では「気」と呼んでいるのである。「気」は、心と体を作り上げ、その両者を支え、かつ繋いでいる生命の根元的な力である。生命活動の源である「気」の働きを高めることは、健康を保つ上で最も大切なことのひとつだ。
整体では、「気」を集注することを「愉気(ゆき)」という。もともとは「気」を輸る(おくる)という意味で「輸気」と書いていたそうだが、そこに「愉しく明るい陽気を伝える」という意味を込めて、「愉気」としたという。
「愉気」は、誰にでも備わっている人間にとって当たり前の能力である。知識がなくても、本能的に誰でもおこなっている。手を当てて、そこに意識を集めればいい。意識を集注すると「気」の働きが高まってくる。意識を集注するというのが難しければ、ただ手を当ててゆったりと呼吸するだけでもいい。「気」というものはお互い共鳴するものであるから、自分の体でも他人の体でも必要としていれば手を当てているだけで自ずと「気」の感応が起こり、働きが高まってくる。
「愉気」をおこなうときには肩の力を抜いて、呼吸をいつもより少しゆっくりと長くする。相手よりも呼吸が長いというのが愉気をする条件であるが、気張るほど長くする必要はない。また意識を集注するといっても、思いつめるような集注ではない。ただ心を静かに保って、対象に心を向けていればいいのだ。
野口氏は、愉気をするときに必要な心のあり方を「天心」と表現した。嫉妬や怒り、気張りなどで曇っていない、赤ちゃんのような心である。どんなに荒天でも、雲の上はいつも晴れている。人間も、深く静かな呼吸をして心を落ち着ければ、いつでも天心を取り戻すことができる。その天心にかえるということを瞬時におこなえることが、愉気の技術と言えば技術であるかもしれない。
愉気は誰にでもできる。赤ちゃんに触る母親の手は、みんな愉気にあふれている。母親に抱きつく赤ちゃんの手も、やはり愉気が満ちあふれている。そういう手で触られるだけで、心は和み体もゆるむ。うまくできないという人は、頭が忙し過ぎて体の感覚が鈍麻している人である。しかし、そういう人でも、ともかく「愉気」をおこなっていくうちに実感を取り戻してくるものだ。
人間と人間の関係というのは、お互いの「気」の共鳴・感応によって成り立っている。「気」が通れば話もとおる。「お疲れさま」というねぎらいの言葉も、「気」がなければ空々しい。人間は言葉を持ってコミュニケーション能力が発達したといわれているが、やはり言葉以前に気の交流があることは間違いない。「気」ということがわかってくると、人間関係も円滑に運ぶようになる。
「気」というものは、人間が生きていること全ての根底にある。「気」の働きを知り、「気」のリズムにのって生活することを体得することは、人生を快適にし、また豊かにすると思う。とりあえず、難しいことは抜きにして、手を当てて「愉気」をするということから始めてみることをおすすめしたい。

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