おいしいものが体にいい
整体操法を受けたり、活元運動をしたりして体が整ってくると、食の好みが変わってくることがある。 好みがはっきりしてくるといってもいい。 食べたいものと、食べたくないものがはっきりしてくるのだ。
体が整うと、体に合うものはおいしくなり、合わないものはまずくなる。 健康であれば、体が必要としているものは自然と食べたくなるものだし、実際に、食べておいしいのだ。
織田信長が京に入ったとき、京の食事は味つけが薄いといって、公家達に「いなか者」と陰口をたたかれたというが、労働している者、運動している者は、塩分を必要としている。 労働しない公家の食事が味気なく、塩気が足りなく感じるのは当然だ。
食べたいもの、おいしく感じるものが、体に合っているのだ。 いくら栄養学的にバランスのよい食事といっても、そのときそのときの体の状態によって、必要なものは変わってくる。 食べたいものを食べるのがいい。
そういうと、「それでは、スナック菓子だけ食べていてもいいのか」 などといい出す人がいるが、そういう人は、体が自然な状態にない人で、心もバランスを欠いている人だ。
しかし、そういう人でも、体が整うと、自然に心の歪みもなくなってくる。 それと同時に、食に対する感性も変わってくる。
また、体が整うと、食べる量も自然と適量になる。 適量になると、それ以上食べたくなくなる。
整体法の食に対する考え方は、頭であれこれ考えて食べ物を選り取るよりも、何を食べても大丈夫な体をつくる方がいいというものだ。 悪いものを食べてしまっても、毒素をどんどん排泄できる体がいい。 少ない食べ物からでも、効率よく栄養を吸収できる体がいい。 そういう体をつくっていくことを考える。
ところが、その結果、自然と体に合うものだけがおいしくなり、食べたくなる。
体が整い、「整体」 になってくると、化学調味料をたっぷり使ったラーメンなどが、気持ち悪くて食べられなくなる。 逆に、無農薬・有機栽培の野菜や米などのおいしさがわかってくる。
これは、体の悪い人、体質の弱い人が、体質改善・健康志向で自然食を求めるのとは同じではない。 体を整えることなく、不自然な体の状態で、負担のかからないものばかりを志向していると、かえって体が弱くなることが多い。 実際、治療院に来られる方々の中にも、そういう傾向の人は多い。
論語の、「七十にして心の欲する処に従へども矩を踰えず」 ではないが、食べたいものを食べたいだけ食べて、それが、体にとって最も良い食事となるのが、整体流の食養生である。