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合掌行気法

愉気というのは、人間に備わっている本能的な癒しの力であるから、当然誰でもおこなうことができる。

しかし、現代人は長い間「手を当てる」という、いわゆる触手療法的な能力を使わずに過ごしてきている。どこかの地方では、親が子供に手を当てることを「親薬」というそうで、今でもそういう習慣が残っているところもあるようだが、最近は多くの家庭では、子どもでも大人でもケガや病気にはともかく薬である。

「手を当てる」ことの効用が忘れられているとともに、その能力も錆びついてきている。「気」を込めるとか、「気」で触るとかいう感覚に、ピンとこない人の方が多い。そこで、手に「気」を集めて、愉気のできる手を作るための方法がある。「合掌行気法(がっしょうぎょうきほう)」という。

整体では、手を当ててそこから「気」を通していくことを愉気(ゆき)というが、自分の体の一部に「気」を集めたり、「気」を通したりすることを「行気」という。合掌行気法とは、合掌した手に意識を集め、「気」に敏感な手を作る方法である。合掌といっても、手の形のことであって、特別宗教的な意味はない。

体というのは、意識を集めると感覚が高まるという性質がある。手に注意を集めて、「気」の出入りを感じ取る訓練をすることで、「気」に対して敏感な手をつくることができる。
合掌行気法をくり返すことで、手の感覚はしだいに鋭敏になってくる。手を体に近づけると、悪いところや愉気を欲しているところがわかるようになる。感覚としてもわかるようになるが、感じるよりも早く、悪いところに自然と手がいくようになる。単に手の感覚だけでなく、「体のカン」が鋭くなるのだろう。

合掌行気法

目の前、もしくは胸の前で、両手の平を近づける。手のひらの間は3㎝ぐらい。
目を閉じて、指先から手の平の真ん中に息を吸い込んで、指先から吐く。もしくは、手の平から吐く。手で呼吸するという「つもり」でおこなう。これを観念呼吸とか、内観的呼吸とかいうが、そういう「つもり」で、いつもより少しゆっくり呼吸し、手から出入りする「気」に注意を集める。
手と手が引き合ってくっついてしまうようなら、そのまま合掌しておこなう。引き合う感じを持ちながら、離したままおこなっても良い。
終えるときは、大きく息を吸い込んで、「ウム」とちょっとの間お腹に息をこらえ、吐き出すときに目を開けて手を下ろす。

おこなう時間は、長ければ良いというものでもない。これは愉気でも同じことだが、集中力が散漫になるようだったら長くやっても意味がないので、集中力の続く範囲でおこなうことが良い。慣れてくると、自然と集注できる時間が長くなる。

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