整体操法制定委員会.3
整体操法の制定に関わった人物の中でも、野中豪策という人は、その名の通り豪快でおもしろい人だったようである。「人間は玉でごわす」というのが彼の持論で、へそを中心として腹部を玉と見なし、その外側縁を「健康線」と呼び身体調整の最重要点としていたという。整体操法の側腹操法や、皮膚病に用いる恥骨操法は、彼の技術がもとになっている。
野中氏は恥骨操法を、「皮膚病一切奇妙」と名付け、「皮膚病の一切が治る急所だ」といって皮膚病治療に効果を上げていたという。また、「ガンも内臓に出来た皮膚病だから」と、恥骨への操法で癌も治ると豪語していたらしい。
野中氏は腹部外縁の操法で有名だが、手にある脳溢血の後遺症の調律点なども彼の治療法から採用されている。以前、何かの資料の中に、「腹痛一切奇妙」と名付けられた足の甲の調整点があったのを見た憶えがあるが、これもネーミングからして元は野中氏の技術の中にあったものかもしれない。
宮廻清二という人は、尾骨の調整で有名だった人で、尾骨を操法することで胸郭(肋骨)を整えるという技術を持っていた。肺結核などの呼吸器病を、尾骨の操法で治していたという。彼の尾骨操法は、肋骨の調整や眠りを深くする操法としてなど、整体操法の中に今も受け継がれている。
柴田和通氏の「手足根本療法」は、現在では「足心道」と呼ばれている。整体操法の中の足指 ・足裏の操法には、柴田氏の手足根本療法の影響が見られる。「脊髄反射療法」の梶間良太郎氏は、胸椎9 ・7 ・8のショックによる副腎操法の生みの親だ。
そのほか、この資料(整体操法読本 巻一 野口晴哉著 )の中では委員の名前に入っていないが、永松卯造という人の永松活点は、整体操法の中で腹部第5調律点となっている。
腹部第5調律点は痢症活点とも呼ぶが、古い資料では永松活点と痢症活点は別のものとして図示されている。どちらも右季肋部だが、痢症活点は肋骨の縁であるが、永松活点は肋骨のずいぶん奥になっている。永松氏が右の季肋部を押さえると、四指の根本まで肋骨の裏に入ったそうである。
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追記
この記事の中の野中豪策氏に関する内容は、私が整体の師から直接聞いた話であるが、野中氏はその晩年においてガンに対する認識は変っておられたという。そのことに関する詳しい情報が、氏の治療技術を継承されている野中操法研究会を主宰されている川島金山先生のブログに掲載されている。
ガン治療に対する野中氏の晩年の考え方の変化と氏の治療技術に関する情報を多くの方々に知ってもらうことを目的に、川島先生のご了解を得て、以下にリンクを貼らせていただいた。
2009.3.18