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November 2009

気の話 

「気」 というのは、これと目の前に出して見せられるものではないが、誰でも日々感じているものである。第一印象などというものは、もちろん視覚的情報もあるが、五感を越えた感覚で直接相手の気を感じていると考えた方が実状に合う。
その人その人で、発している気は違う。また、同じ人でも気が澄んでいるときもあれば、荒んでいるときもある。
気が合わない人とは、なかなか良い関係は築けない。「話してみたらいい人だ」 などと思っても、ダイレクトに感じる気が合わなければ、何かのときにやはり上手く行かないものだ。
夫婦でも友人関係でも上司と部下でも、気が合えばリズムも合い、息が合うものである。

操法においても、気が合う合わないということは問題になる。操法を行う側と受ける側の気が合えば、操法は良いものになる。気が合わないと、上手くいかない面がでてくる。
当院では、操法を受けるに当たっては、時間に余裕を持って来院されるようにお願いしている。バタバタと慌てて駆け込んできたのでは、息も乱れているが気も乱れている。そんな状態では良い操法は難しい。

操法を受けに来ている人は、順番になったから、予約の時間になったから、無造作に呼ばれていると思っていると思う。しかし、実は次の人を呼び入れる機(タイミング)というのも、気の同調ということが図られているのである。
間を空けず詰めて続けて呼ぶこともあれば、一調子ずらすこともある。ときによっては、行きたくもないトイレに行って間合いをはずすこともある。そういうことが、操法には意外と重要なのである。
この機というものは、私自身の気の波と操法を受けにくる方の気の状態によって決まる。ほとんどは無意識に近くおこなっているが、それには気の波に心身を同調させることと、途切れない集中力の維持が必要となる。
こう書くと、なんだか凄いことのようにも聞こえるが、整体操法を行う者は皆普通に行っていることであり取り立てて特別なことではない。

もちろん、元々の気の相性というものもある。治療院にも気の合わない人がたまにくるが、そういう人はやはりすぐに通わなくなる。こちらの対応が変わるわけではないのだが、やはりしっくりこないものを感じるのだろう。
しかし、そもそも気の合わない人というのは、本来あまり来ないものなのである。

操法を始めた頃は、気の合わない人がたくさん来た。そもそも、ピタリと気の合う人などそんなにたくさんいるわけないのだから、気の合わない人が来るのは当然だ。
しかし、技術を積み上げて、気を澄ましていくと、だんだんと苦手な人・合わない人が少なくなってくる。平たく言えば操法する側に余裕ができてくるということなのだろう。

それでも、やはり相性というものはある。世の中には、どうしても合わない人はいる。
しかし、こちらが自分の気を歪めずに素直に保っていると、自然と合う人だけが集まってくるのである。
気というものは、時間と空間を超越しているものなのではないだろうか?
誰かがある思いを気に乗せて発すると、どこかで誰かがそれを受け取るのである。そして、気が同調する人だけが集まってくる。

自分を偽っていると、気が乱れる。だから、私は気を乱さないように、なるべく自分を偽らないようにしている。それで私のところには、私と気が合う人が集まってくる。
私は、基本的にやりたくないことはしない。仕事は好きでやっている。
もし我慢して仕事をやるようになったら、それは整体操法を行う者としての資格を失ったときだと思っている。

しかし、「自由に」 と、「好き勝手」 は違う。
気というのは自然のものである。自然には必ず調和がある。だから、気の波に任せて生きることは、自由になることではあっても無茶苦茶になることではない。

技術があるのに、ちっとも人が集まらない治療院は珍しくない。私の知り合いにも、そういう治療師が結構いる。そういう治療院は、気の合う人が来ないで合わない人ばかりが来るのが特徴だ。
なぜ、気の合わない人ばかりが来るのかというと、その治療師が自分に素直に生きていないからだと思う。

自分の行っている治療法を信じていない人、自分とは違うタイプの師匠の真似をしている人、治療を接客業だと思っている人、お金のために治療をしている人、他人から良く見られたい人、自分の苦労を見せつけたい人、技術を誇りたい人。
そういう人は、自分で自分の気を歪めているのだ。本来の自分の気ではなく、歪めた気を発している。そして、それに合わせて人が集まってくるのだ。だから上手くいかない。
自分を偽って生きていると、他人も偽ることになる。お互い不幸である。

本来持っている自分の気を歪めずに生きていくと、いつの間にか気の合う人が集まってきて、合わない人は離れていく。これは、理屈ではない。気の世界というのは、実際そういうふうになっているのである。

正体術 その6

正体術によって体の歪みを正すことには、どういう意味があるのだろう?

骨格の歪みが病気や痛みを引き起こすことは、一般にも広く知られるようになったと思う。これは、もしかするとカイロプラクティックの功績かもしれない。

骨格と体の変動に関して例を挙げれば、例えば背骨の第4胸椎という椎骨は、心臓と関係が深い。心臓がおかしい場合は、その棘突起のすぐ左脇に硬結があらわれる。これが、右に出る場合は多くは食道の問題である。第4胸椎が引っ込んでいる(陥没している)場合、食道ガンを疑うこともある。
また、第4胸椎は腕の疲労からも変化を起こすし、呼吸器とも無関係ではない。また、不安や悲しみなどの感情の動きとも連動している。
こうして背骨の一つ一つが体のいろいろな機能や場所と関係している。そして、逆にこの第4胸椎を打撲などの外力で故障すると、上記のような関連部位に異常が起こることもある。

背骨以外にも、色覚異常の人は左右どちらかの肩甲骨が下がっていることや、子宮後屈の人は手首の関節に異常を持っていることなども骨格の歪みと体の機能の関連の代表的な例である。
また、お腹にガスがたまったときは、太くなっている右足首を引き締めるとガスが出てくるなどというものもある。

また、こうした部分的な歪みだけでなく、姿勢とか体勢とも言える体の偏る傾向もいろいろな異常と関係している。
高橋正体術で重視している重心論とは重心の左右偏りの問題だが、整体的には左右は消化器系の問題である。便秘・下痢も重心の左右偏りで起こりやすいし、虫垂炎(盲腸)も重心が何かの拍子に右に偏ったときに起こるとされる。腸捻転や腸閉塞も左右偏りと無関係ではない。
消化器ではないが、心臓病は圧倒的に左重心の人に多い。

呼吸器に問題を持つ人は、前屈傾向を持つ。結核・肺気腫などの呼吸器系の病には、当然関連する椎骨や急所に働きかけることもあるが、その人の持つ前屈傾向、つまり前屈みの姿勢を正していくことが大きな効果をもたらす。
そして、泌尿器と関連するのは、捻れの歪みである。泌尿器に問題があるときは、背骨のどこかに必ず捻れの異常がある。
整体では、前後・左右・捻れの他に、エネルギーの集散の方向として上下と開閉を観るが、今は触れない。

ともあれ、体の歪み、姿勢の偏りというのは、健康状態と大きく関わりがある。体の歪みには心理的な問題も大きく絡んでくるのであるが、心の状態・あり方・方向性が体の歪みを作り出しているとしても、整体操法や正体術矯正法で体の方からアプローチして歪みを正すことで、心の状態も変わっていくことが少なからずある。

さて、正体術矯正法であるが、この方法の優れているところは指導を受ける本人が自力で体を操作するというところである。矯正姿勢はこちらで整えるが、そこからの動作や力の入れ抜きは自力で行う。自分の意識で体を動かして行うことで、他力で行う矯体操法に比べてリスクが少なくなる。つまり、無理がないのである。(もちろん、やり方を間違えれば体をこわすこともある)
そして、工夫をすれば矯体操法に遜色ない効果を上げることもできる。
私は現在、矯体操法の代わりに正体術の矯正法を操法に組み込んでいる。そもそも私自身の操法の組み立て上、瞬間的な骨格矯正はあまり多用はしないのだが、正体術矯正法は自分の力で体を変えていく面が強いので矯体操法よりも良い面がいろいろとある。

整体操法を行う者の強みは、触ってわかるというところである。矯正法の効果が、どのように体に影響を与えたのかを触ることによって知ることができる。
この強みを最大限に活かして、より深く正体術を研究していければと考えている。

正体術 その5

宮本氏の新正体法は、動診によって歪みを検出し、その検出された歪みに対して対応する操法を当てはめて矯正体操を組み立てるという画期的なものである。
しかし、頸椎の前後・左右・捻れ、胸椎の前後・左右・捻れ、腰椎の前後・左右・捻れ、それに骨盤、股関節の歪み、上肢・下肢の捻れなど、細分化された歪みを調べ出し矯正法を設計するというものであるため、大変複雑な内容となっている。それだけにマスターすれば大きな力となるが、専門家以外の方には少々難しいものとなっている。
(一つ一つの歪みをとるシンプルな操法もあるのだが、複合的に歪みを解消する複雑な操法に比べて切れ味が良すぎるため、かえって使い方に熟達がいる。新正体法では、複合型の操法の方がバランスがよく仕上がっている)

正体術倶楽部を主宰されている神崎先生は、かつて難解な高橋正体術を教授する前段階として理解しやすい新正体法から教え始められたそうであるが、別の意味で複雑な新正体法に音を上げる人が多かったという。
そこで神崎先生は、治療家はもちろん一般の人でも使えるように新正体法の全身の歪みを解消してしまう操法を、8つの形に整理された。

体の連動を研究された神崎先生は、頸椎から骨盤までの歪みを一気に解消してしまう矯正パターンを8つの操法に集約させた。しかも、少ない動診で済むように設計されているので、一般の方でも十分使いこなせるようにつくられている。そして、その効果は細かい動診と複雑な体操設計を行う新正体法と比べても、ほとんど遜色ないものとなっている。
高橋迪雄、宮本紘吉の両氏も不世出の天才療術家であるが、神崎先生もまた天与の才を持つ、まさに正体術の申し子である。

この8つのパターンの矯正体操が痛みなどの問題で行えない人には、別の体勢で行える8つの体操が用意されている。また、その他に骨盤調整に重点を置きつつやはり全身の歪みを正してしまう8つの骨盤操法もある。

神崎先生は、難解で名人芸的な正体術を、誰もがその恩恵にあずかれるようなものにしたい、という理想をもって研究、活動されている。
その神崎先生の正体術矯正法はセミナーでも習得が可能であるが、そう遠くない将来、DVDで学べる教材が出される予定である。

さて、私は整体操法を行う者であるので、正体術矯正法を整体操法に活かせるようにしたいというのが、正体術を学び始めた動機である。
神崎先生は、私の勝手な事情を快くくみ取って下さり(面白がって下さり?)、ハウツー的な事柄よりも正体術の根本的な原理を教えて下さった。

その指導を受けたのはセミナーの中ではなく、セミナーを離れた喫茶店や居酒屋の雑談の合間であった。
そういうときに先生は、冗談の合間にポロリと重要なことを話される。それも冗談の続きのように話されるので、こちらは居酒屋での歓談のときでも全く気が抜けない。(先生は、とっても冗談が好きなのだ)
またある時は、コーヒーショップで20分足らずの空き時間に、滔々と正体術の仕組みや操法の組み立て方を解説していただいた。わかったような顔をして聞いていたが、実は約20分間、ヒンディー語かスワヒリ語を聞き続けたような気分だった。
その後も、先生のご厚意でたくさんの貴重な資料を頂戴した。(課題も大量に!)
しかし、その資料と格闘する中で、だんだんとヒンディー語とスワヒリ語が頭の中で一つの絵になってきたのだ。

そして、以前にこのブログにも書いたように、全く先生のご厚意で神崎正体術の指導者養成講座とでも言うべき内容の講義を受ける機会に恵まれたのである。そこで伝授された内容は以前さらりと書いたが、動診によらず施術者の主観的な観察で矯正法を設計できるものであり、ある意味高橋正体術と新正体法のハイブリッド版のような操法である。
もちろんある程度の素養がなくては何ともならないのだが、長い年月修行してやっと使えるようになる名人芸のような操法の設計を、シンプルな観察法で組み立てられるように工夫されたものだ。
「名人芸を排し、誰にでもできる」 ものをというのが神崎先生の理念であるが、まさにその理念を体現している操法である。

しかし、「名人芸を排し、誰にでもできる」 ものを創り出すことができるのは、当然ながらやはり名人に限るのである。

正体術 その4

正体術矯正法には、体の捻れ(回旋)を左右の歪みの特殊パターンと見るという、整体操法を行う者にとっては、とっつきにくい部分があった。それはつまり、左右重心論という正体術のセントラルドグマである。
もしかしたら、始めから正体術の考え方で体を見ていけば、それほど違和感がないのかもしれないとも思うが、それにしてもやはり、この部分が正体術矯正法の難しいところなのだと思う。

ところが、この問題をあっさりと解決してしまった天才がいる。
新正体法の創始者、宮本紘吉氏である。

宮本氏は、まさに人生のすべてを治療術の研究に懸けたような方である。すでに故人であるが、残された著書を見ても、人並みはずれた才能と人並みはずれた努力が容易に想像できる。

宮本氏は、歪みを正す姿勢をとらせて低く持ち上げた足や膝などをドサリと落とすショックで骨格を変える高橋正体術の原理を応用して、捻れ(回旋)の歪みも解消してしまう操法を編み出した。
氏の技術体系では、捻れを左右の特殊型と観ずに、そのまま捻れと観ることで、かえって身体をすっきりと矛盾なくとらえることができるようになっている。
そして、正体術に捻れ(回旋)という概念を持ち込んだ氏は、更に胸椎・腰椎・骨盤などの複数の歪みを一度に矯正してしまう操法を創りあげた。
まさに、天才としか言いようがない。

宮本氏の凄いところは、これだけではない。動診と呼ぶ検査法を行うことで、自分の体の歪みを自分で見つけだすことができるようにした。
そして、その動診で見つけだした歪みに合わせた体操を用意することで、誰もが自分一人で矯正を行うことができるようにしたのである。

宮本氏は、正体術をベースにして自らが編み出した矯正術の体系を、「新正体法」 と名付けた。名人芸である高橋正体術を、誰もができる万人向けの方法に変革したのである。
ちなみに、宮本氏の著書、「新正体法」 は近く復刻されるという話がある。これは、多くの治療家にとって大きな福音となると思う。

しかし、名人芸を排し万人ができる新正体法と書いたが、実は複雑な体の歪みを一つの体操で整えてしまうというこの方法は、非常に複雑でもある。動診を元に、そのときの歪みに合わせた体操法を決定するのだが、慣れない内は、本を見て自分にあった矯正体操を決定するだけでも結構時間がかかるかもしれない。
また、矯正姿勢の微妙な部分や脱力のタイミングなどは、やはり指導者について一度は実習をしないと難しい面もある。

高橋正体術に比べると理解しやすくなった宮本氏の新正体法ではあるが、そこはやはり複雑な体の歪みを整える矯正体操であるから、それなりの難しさはあってしかるべきものであろう。
なかなか、魔法のように便利で簡単、効果も抜群というものはないのである。

と言いたいところだが、そんな魔法のような矯正法を多くの人達に届けようと、日々研究をされている方がいる。
そして、その魔法はすでに、かなりの精度で完成されているといってよいのではなかろうか?

創始者高橋氏の正体術、宮本氏の編み出した新正体法、現代にそれらを甦らせ再現して見せた上に、更にその系譜を発展させ続けている鬼才がいる。
正体術倶楽部を主宰されておられる、神崎崇嘉先生である。

正体術 その3

高橋迪雄氏は、正体術矯正法を駆使して、肉体的・精神的なさまざまな苦痛、病気を取り除いていったようだ。当時、高橋氏の施術(矯正体操指導)は非常に多くの人々に支持され、まさに門前市をなす勢いであったという。野口晴哉氏も巨大なカリスマであるが、全国規模ではなかったかもしれないが、高橋氏もその前時代のカリスマであったのだろう。

さて、高橋氏の正体術矯正法は、骨格の不正を正すことで、体の本来の機能を回復させる術である。
骨格の歪みというと、背骨の歪み(椎骨の転位)を連想する人が多いかと思うが、正体術では背骨はもちろんのこと肋骨・骨盤・手・足と全身の骨格の歪みに注目する。

高橋氏は、もちろん触診もされたのだろうが、視診をとても重視している。正座・仰臥・伏臥などで体の歪み具合を観て、その歪みがどこから来ているのかを洞察していく。
もちろん問診も行うわけで、尻餅をついたとか、足首をひねったとか、歪みのきっかけとなった事件がわかれば、それも参考にして歪みの方向性や影響がどう波及していったかを推測することもあっただろう。
しかし、実際は古い打撲などは本人も忘れていることも多く、やはり目で見てわかる能力がないと正確な診断は難しいのである。

体自体の形の異常もそうだが、正座したときにどちらの足先が内に入り込むとか、あごを突き出しているとか、鞄を抱えるのは左脇だが手に提げて持つのは右に限るなど、無意識にとる姿勢や動きの癖も重要な観察対象となる。

そして、高橋氏の正体術では、体の歪みと不可分な問題として重心の左右の偏りに着目している。つまり、重心が左右どちらかに極端に偏ると、体の異常を引き起こしやすいということだ。
ごくごく大雑把に言ってしまうと、体の全体としての左右差、または部分的な左右差を正すことが正体術の肝なのである。(もちろん、矯正の対象は左右差だけということはないし、歪みの矯正技術は多岐にわたる)

重心がどちらに寄っているかの見極め方はいろいろある。
まず、立位・坐位で肩の下がっている側が重心側。反対に腰骨(腸骨)の高い方が重心側。
そして、骨盤(腸骨)は重心側が非重心側に比べて開いている。(多くの場合、仰臥して足先がより外に向いている方の腸骨が開いている)
それ以外には、重心側は、目が細い・顔が縮んでいる・胸(肋骨)が厚い・足首が太いなどという特徴がある。

しかし、これは重心論における教科書通りのセオリーであるが、実際には全ての人がこのように、単純に上に挙げたような特徴が重心側に並んでいるわけではない。
それはなぜかというと、多くの人が体に「捻れ(回旋)」という要素があるからである。体のどこかに捻れがあると、その捻れを挟んで重心の特徴が逆転する。たとえば、腸骨は左が開いていて足首も左が太いが、胸は右が厚いなどという人は普通にいる。
まして、捻れが一つとは限らないので、なおさら難しい話になる。

高橋氏の正体術では、重心が左右に偏るタイプ、つまり整体の体癖で言う「左右型」を人体を観る上での基準にしている。そして、捻れがある人は、標準型(左右タイプ)の特殊型と考えて操法を組み立てているように思う。
つまり、左右のバリエーションとして捻れを捉えているわけで、そこが正体術矯正法を理解し、また実際に使っていく上で難しいところなのである。

実際の施術においても、右胸が厚く左胸が薄い人の場合、厚い方にそろえるのか薄い方にそろえるのかという問題もあるが、捻れがあると胸の厚さの左右差をそろえる操法がその人の骨盤の歪みを助長してしまう場合がある。そういうときに、胸をそろえておいて後で骨盤を正すのか、そもそも胸をあきらめて骨盤を正す方を選択するのか、いろいろと難しい問題があるのだ。
しかも、実際には左右型の人は人口の中にある一定の割合でいるだけで、左右型以外の人の方が多いのだからますます困る。

実は、10年以上も前のことだが、私もこの「正体術矯正法」という本を研究した一時期がある。もちろん、整体操法に役立てるためである。
しかし、この左右重心論と捻れ(回旋)の問題に整合性がつけられず、結局途中で放り出してしまった。
その後も、何かの折に思い出してはこの本を引っ張り出しては見ていたが、部分的に役に立つことはあっても、正体術そのものを貫く技術的なセオリーは見出すことができないままでいた。

おそらく高橋氏は、そのあたりは巧妙なさじ加減で矛盾を解決していたのだろうが、氏ほどの体を観る力と正体術を縦横無尽に使いこなせる技量がない場合には、これを我が物として使うのはまことに至難の業なのである。
ところが、この矛盾をすんなりと解決してしまった天才がいた。
「新正体法」 の宮本紘吉氏である。

冷えたら朝風呂に・・・

このところ急に寒くなってきたので、冷えの影響を受けて体調を崩している人が多い。
寒さの度合いとしては、真冬の方が断然寒いのだが、真冬になると体も冬用になり寒さに強くなるので、かえって今ぐらいの時期の方が冷えて具合の悪くなる人は多い。

今の季節は、多くは寝ているうちに冷えてしまう。つまり、寝冷えである。
そういうと、
「特に寝冷えをしている感じはありません」
という人が多いが、実は感覚的によくわかっていないだけで、実際は寝ている間に体は冷えていることがある。
試しに朝起きたらすぐに風呂に入ってみると、体が冷たくなっているのがよくわかる。真冬に寒い外から帰ってきて、すぐに風呂に入ったときのような、独特の感じがあると思う。

ちなみに、朝風呂は寝冷えにとても効く。熱めの風呂にサッと入るのがコツだ。
朝風呂に入ることに抵抗がある方は、膝湯でもいい。お風呂を熱く沸かして、7分ぐらいを目途に膝ぐらいまで温める。
足湯・膝湯は、ふだんの入浴温度よりも熱くないと効かない。

頭痛・鼻づまり・のどが痛いなど、首から上に症状があるときは足湯がよく、お腹が痛い・下痢・ガスが溜まるなど、お腹の症状には膝湯がよい。
寝冷えの解消には、膝湯がお奨めである。

元々整体では、くるぶしまで温めるのを足湯(そくとう)、膝ぐらいまで暖めるのを脚湯(きゃくとう)というが、
「脚湯って、足首まででしたっけ?」
のような人が結構いたので、混乱を避けるため当院では足湯(あしゆ)・膝湯(ひざゆ)としている。

それから、ふだん起きているときに手足が冷えるという人は、厚手の靴下などもよいのだが、体幹部を暖かく保つというのも一つの方法である。
人間の体は、内臓や脳などを優先する傾向があるので、体が冷えてくると脳や内臓を守るために手足など末端の血行を犠牲にして、血液を体幹に引き上げてしまうのである。そのせいで、手足が余計に冷えるということがある。
手足が冷えるときは、Tシャツを一枚下に着るとか、ベストを着るとかして、胴体を暖かくするとよい。
外出時などは、首も温かくする。マフラーでもよいし、最近流行りだしたネックウォーマーなどでもよい。

正体術 その2

さて、素晴らしい眠りと明日の活力を与えてくれる正体術であるが、当然ながら誰がやっても同じように効果が出るとは限らない。前回も書いたが、簡単に見える正体術でも、勘所というものがある。上手に行えるようになるには、ある程度の感性と試行錯誤が要るかと思う。
と言っても、それなりにやっても十分効果はあるので、難しく考えすぎなくてもいい。逆に言えば、工夫をすれば正体術にはかなりの奥行きがあるということだ。完成度の高い正体術を行えるほど、当然効果も高くなる。

しかし、実はこの正体術、やり方の上手・下手以前にクリアしなければならない問題がある。それは、体の大きな歪みである。
「正体術矯正法」(高橋迪雄著)にも、
「今仮にここには全身の骨格に不正がなく、いわゆる正体の人として、その一日の労苦による全身の骨格の矯正法をかいてみましょう。・・・」
とあるが、正体術はある程度体の整った人用の健康体操なのである。

正体術は、体の隅々にまで力を十分に行きわたらせ、その力の入りきった頂点で急速に脱力することで体を一度に整えてしまう方法である。しかし、体に大きな歪みがある人は、全身に力を入れようとしても上手く力の入らないところができてしまうのだ。それゆえ、体に歪みがあると正体術が本来の効果を発揮しなくなってしまう。
また、正体術の要求する体の形を取ること自体が、体に大きな歪みや強い硬直などがあると難しい。

そこで往年の高橋氏は、骨格の歪みを正す矯正法用いて正体術が効果を上げうる体、いわゆる正体に整えてから正体術を指導していたようだ。
高橋氏の矯正法は、若干の他動的な手技もあるが、ほとんどは自分で動かしたり力の入れ抜きを行う自動的な矯正体操法である。
もしかすると、元々は病気治しの術として矯正法を工夫していって、その原理を全身に応用したものが正体術として完成されたのかもしれない。そのあたりの詳しいことはよくわからないが、どちらにしても正体術以上に、この矯正法の効果に衆目は集まったようだ。

そして、それ以来(高橋先生が活躍されたのは、大正から昭和初期)、「正体術矯正法」 は、多くの治療家、健康指導者の研究対象となるのだが、高橋氏の技術体系が組織立って継承されることがなく、残されているのは書物だけであるので、その復興はなかなか難しかった。
正体術矯正法は、おそらく高橋先生の名人芸的な技術であったのだろうと思われる。特に、歪みを正す体操(操法)そのものよりも、体の観方の方が名人芸的で、弟子に伝えることが難しかったのかもしれない。そのため、直接に教えを受けても、なかなか技術を継承する人が育たなかったのだろう。

しかし、その後も正体術矯正法そのものとしてではなく、形を変えながら高橋氏の遺産は次代に受け継がれている。 (高橋氏の「正体術」を、正統に継承されている方はいらっしゃるかもしれないが、私は寡聞にして知らない)

整体法の創始者野口晴哉氏は、整体体操や矯体操法(骨格矯正)に正体術を応用した。整体体操の2種体操は、正体術によく似ている。6種体操は、正体術矯正法の前後矯正に近い。
体操に呼吸の間隙(息を吸いきって吐く直前と、吐ききって吸う直前)を利用して効果を高めたところが、野口先生の白眉たるところであろうか。(ただし、使い方を間違えると体を壊すリスクも高いので注意が必要)
また矯正体操を、この呼吸の間隙を用いて他動的な骨格矯正法に仕上げてしまったのは、まさに野口氏の天才的なところである。

また、操体法も正体術矯正法から、橋本敬三氏によって編み出されたものである。橋本氏は高橋氏のお弟子さんから正体術を学んだと聞く。
操体法は、高橋氏の正体術矯正法が体の歪みを正す方向に矯正姿勢を取るのに対し、体の動きやすい方、動かして気持ちのよい方へと動かしていって脱力する方法を取っている。一見正体術とは正反対の方法に見えるが、人間の体には、快のある方向に動かしていくことで (それが一見歪みを助長する方向でも)、バランスを取り直す力が備わっているのだ。まさしく、逆もまた真なりである。
骨格の矯正力としては、断然正体術に分があるが、操体法には筋肉操縦法としての面白みや、万人向けの使いやすさなど、正体術にない魅力がたくさんある。

正体術 その1

正体術というのは、一種の健康法である。どういう健康法かというと、一日の活動で疲れがたまったり、いろいろに歪んだりしているの体を、「正体術」という一種の脱力体操で、一気にリセットしてしまうものである。
体の疲労や歪みを解消することで、ぐっすりと深く眠ることができる。ぐっする眠れると、体は元気になる。
疲れているとよく眠れるということはある。しかし、ぐっすり眠るには、体が弛むということが必要である。体の中に力が抜けないところ、眠っても弛まない筋肉の硬直があると熟睡することは難しい。
正体術を行うと、偏ってたまった疲労部位、つまり凝り固まって力の抜けなくなってしまった筋肉が適度に弛んで全身の筋肉のバランスが調えられる。

正体術の原理は、とてもわかりやすい。ギューッと力を入れて、パッと力を抜いて、ドサリと重みで落ちて、グニャリと筋肉が弛む。
無意識の筋肉の緊張は、弛めようとしても、自分で意識的に弛めることが難しい。たとえば肩こりなどは、自分では肩に力を入れているつもりはないのに、力が入りっぱなしになっている状態である。そういうときは、肩の筋肉にギューっと力を入れて、ストンと力を抜くと肩のこわばりが弛む。つまり、力が入ったまま、にっちもさっちもいかなくなっている筋肉が、逆に更に力を入れることで膠着状態が破れて力が抜けるのだ。
正体術は、それを全身に作用するように行うのである。

高橋迪雄氏が残した「正体術矯正法」の現代訳である「正体術健康法」(たにぐち書店)から、正体術のやり方を抜粋してみよう。

「今仮にここには全身の骨格に不正がなく、いわゆる正体の人として、その一日の労苦による全身の骨格の矯正法をかいてみましょう。というのは、いかに仕立ての立派な洋服でも、一日着て帰れば方々に皺が寄ったり、折れ目が乱れたりするもので、寝がけにこれをきちんとたたんで火のしをかける必要が生ずるのと等しく、どんな立派な申し分ない人でも、一日の終わりには正体術で全身の骨組みを矯正してから眠る必要があるわけです。

そこでまず正しく仰向けに寝たら、今度は頸と坐骨すなわち腰のところで身体を支えて、背中をぐっとそらし、やや上半身を反り橋のような形にして、背中を畳や蒲団などから離してしまうのです。こうすれば勢い胸が張ってきますから、肋骨整正の準備に、ここで肩甲骨(貝殻骨)を背中の真ん中で左右くっついてしまうようにするのです。
そして、手は真っ直ぐに両側につけてのばし、手のひらが上を向くようにします。
同時に足も真っ直ぐに伸ばしますと、腿の下も膝の下もぴったり下について膝が反るために、自然にかかとのところが畳から少し持ち上がるようになります。
こうして5、6秒、兎の毛ほども動かさずにじっとしていると、元より何の苦痛もありませんが、そのうちだんだん全身に力が満ちてきて、ほとんど強直状態に入った形になります。やがて疲れを覚えたら、今度は急に全身の力を抜いて、一時にからだ中グニャグニャにし、自然の重みでドサリを落とすのです。
誰しも思わずこのとき、深呼吸をせずにはおられませんが、その深呼吸が普通の呼吸になるまでじっとしています」
(「正体術健康法」 高橋迪雄著)

さて、「今ここに全身の骨格に不正のなく、・・・」 とあるが、つまりは元々体に歪みのない人でも、一日体を使うといろいろに歪んでくるということだ。そこで、その日の歪み、その日の疲れは、その日のうちに解消しておこうというのが正体術の主旨である。
整体でも、眠りが自然に体を回復させ、整えてくれることを重要視しており、操法の組立も、その場で何でも整えてしまおうとせず、その日、次の日に眠ることを計算に入れて操法を行う。
ともあれ、正体術で体をよい状態に整えてから眠ることで、十分に疲労も回復し、明日への活力が湧いてくるのである。

私は、自分の体を整える方法として活元運動、整体体操なども実践しているが、最近のお気に入りは正体術である。
正体術の面白いところは、昨日と今日、今日と明日の連続性が高度に保たれるところだと思う。
どういうことかというと、たとえば昨日は集中力が高まって心身が良い状態にあったのが、一晩眠って今日になったら、なんだかぼんやりとしてちっとも頭が冴えない、などということがある。昨日の良い状態が今日に引き継げない。
しかし、眠る前に正体術を行っておくと、昨日の集中力やテンションを睡眠中に損なうことがなく、今日に引き継げるのだ。
武術や芸事の練習などで良い感覚をつかんだと思ったのが、一晩眠ったら同じ感覚で動きが再現できなくなっているというようなことがあるが、正体術を行っておくと、そういう不連続性を回避できるパーセンテージがとても高くなる。
本来眠りには、獲得した記憶や技術(体の記憶)を安定させてくれる力がある。正体術を行って訪れる快適な眠りには、その眠りの本来の力が宿っている。
もちろん、眠りをはさんだ「連続性」といっても、心身の疲れなどのマイナス面の連続性は絶たれているのであるから、目覚めは快適であり、新しい一日のスタートとしての清々しさはいうに及ばない。
ただし、動作は単純なようでも正体術にも上手、下手がある。下手なうちは、なかなかここに書いたような目覚めではないかもしれない。けれど、誰でも毎日やっていくうちに、だんだんとコツがつかめてくると思う。

ちなみに、本当の深い眠りは以外と「眠った感」が少ないものだ。「あれ、今目をつぶったと思ったのに」 というぐらい気がついたら朝になっているような眠りが質の良い眠りである。「あー、今日はよくねむったな」 などというのは、以外と眠りが浅いのだから面白い。(こういうことは、体をみるとよく分かる)

この本の中には、正体術のもう少し詳しいやり方が書いてある部分がある。治療家の方、健康指導者の方々は、もし興味をもたれたら是非ご一読されることをおすすめする。この本は、かなり難解な部分も多いが、重心論(重心の左右偏り)など、興味深い内容が満載である。

一般の方は、下記の正体術倶楽部主宰の神崎先生のブログを参考にしてみるとイメージがつかみやすいかと思う。
正体術健康法ブログ「これが正体術です」

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