正体術 その3
高橋迪雄氏は、正体術矯正法を駆使して、肉体的・精神的なさまざまな苦痛、病気を取り除いていったようだ。当時、高橋氏の施術(矯正体操指導)は非常に多くの人々に支持され、まさに門前市をなす勢いであったという。野口晴哉氏も巨大なカリスマであるが、全国規模ではなかったかもしれないが、高橋氏もその前時代のカリスマであったのだろう。
さて、高橋氏の正体術矯正法は、骨格の不正を正すことで、体の本来の機能を回復させる術である。
骨格の歪みというと、背骨の歪み(椎骨の転位)を連想する人が多いかと思うが、正体術では背骨はもちろんのこと肋骨・骨盤・手・足と全身の骨格の歪みに注目する。
高橋氏は、もちろん触診もされたのだろうが、視診をとても重視している。正座・仰臥・伏臥などで体の歪み具合を観て、その歪みがどこから来ているのかを洞察していく。
もちろん問診も行うわけで、尻餅をついたとか、足首をひねったとか、歪みのきっかけとなった事件がわかれば、それも参考にして歪みの方向性や影響がどう波及していったかを推測することもあっただろう。
しかし、実際は古い打撲などは本人も忘れていることも多く、やはり目で見てわかる能力がないと正確な診断は難しいのである。
体自体の形の異常もそうだが、正座したときにどちらの足先が内に入り込むとか、あごを突き出しているとか、鞄を抱えるのは左脇だが手に提げて持つのは右に限るなど、無意識にとる姿勢や動きの癖も重要な観察対象となる。
そして、高橋氏の正体術では、体の歪みと不可分な問題として重心の左右の偏りに着目している。つまり、重心が左右どちらかに極端に偏ると、体の異常を引き起こしやすいということだ。
ごくごく大雑把に言ってしまうと、体の全体としての左右差、または部分的な左右差を正すことが正体術の肝なのである。(もちろん、矯正の対象は左右差だけということはないし、歪みの矯正技術は多岐にわたる)
重心がどちらに寄っているかの見極め方はいろいろある。
まず、立位・坐位で肩の下がっている側が重心側。反対に腰骨(腸骨)の高い方が重心側。
そして、骨盤(腸骨)は重心側が非重心側に比べて開いている。(多くの場合、仰臥して足先がより外に向いている方の腸骨が開いている)
それ以外には、重心側は、目が細い・顔が縮んでいる・胸(肋骨)が厚い・足首が太いなどという特徴がある。
しかし、これは重心論における教科書通りのセオリーであるが、実際には全ての人がこのように、単純に上に挙げたような特徴が重心側に並んでいるわけではない。
それはなぜかというと、多くの人が体に「捻れ(回旋)」という要素があるからである。体のどこかに捻れがあると、その捻れを挟んで重心の特徴が逆転する。たとえば、腸骨は左が開いていて足首も左が太いが、胸は右が厚いなどという人は普通にいる。
まして、捻れが一つとは限らないので、なおさら難しい話になる。
高橋氏の正体術では、重心が左右に偏るタイプ、つまり整体の体癖で言う「左右型」を人体を観る上での基準にしている。そして、捻れがある人は、標準型(左右タイプ)の特殊型と考えて操法を組み立てているように思う。
つまり、左右のバリエーションとして捻れを捉えているわけで、そこが正体術矯正法を理解し、また実際に使っていく上で難しいところなのである。
実際の施術においても、右胸が厚く左胸が薄い人の場合、厚い方にそろえるのか薄い方にそろえるのかという問題もあるが、捻れがあると胸の厚さの左右差をそろえる操法がその人の骨盤の歪みを助長してしまう場合がある。そういうときに、胸をそろえておいて後で骨盤を正すのか、そもそも胸をあきらめて骨盤を正す方を選択するのか、いろいろと難しい問題があるのだ。
しかも、実際には左右型の人は人口の中にある一定の割合でいるだけで、左右型以外の人の方が多いのだからますます困る。
実は、10年以上も前のことだが、私もこの「正体術矯正法」という本を研究した一時期がある。もちろん、整体操法に役立てるためである。
しかし、この左右重心論と捻れ(回旋)の問題に整合性がつけられず、結局途中で放り出してしまった。
その後も、何かの折に思い出してはこの本を引っ張り出しては見ていたが、部分的に役に立つことはあっても、正体術そのものを貫く技術的なセオリーは見出すことができないままでいた。
おそらく高橋氏は、そのあたりは巧妙なさじ加減で矛盾を解決していたのだろうが、氏ほどの体を観る力と正体術を縦横無尽に使いこなせる技量がない場合には、これを我が物として使うのはまことに至難の業なのである。
ところが、この矛盾をすんなりと解決してしまった天才がいた。
「新正体法」 の宮本紘吉氏である。