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自分の体癖を知る その2

「私は何種でしょうか?」

という質問を受けることがよくある。

「自分では何種だと思いますか?」

と返すのが習い性になっている。

そのとき本人が答えた体癖が、私の見立てと合っているときは、「そうですね。そういう傾向はあると思います」 と答える。
よくわからない、もしくはちょっとトンチンカンかなという答えのときは、「自分の体癖を知るのは、いろいろと難しい問題を含んでいます」
というところから話し出す。

もちろん、自分で自分の体癖を判別すること自体、なかなか難しいということがある。
それとは別に、体癖を知ることで生じる別の難しい問題がある。
そして、体癖に関してあまり知らないうちに自分が何種だと決めつけない方がいい、というのが私の持論なのである。

自分の体癖を知ることで、いろいろと役立つことがある。体癖を知るということは体の傾向を知るということでもあるから、風邪のとき、体に変動が起こったとき、また普段の生活の中でも、自分の体癖を知っていると、どういうことに気をつければ良いかがわかる。また、自分の性格などで悩んでいる人が、体癖を知ることで余分なコンプレックスを抱かずに済むということもある。

しかし、他方では、「私は何種だから」 という決めつけが、自分の可能性を制限してしまったり、嗜みや慎みをなくしてしまうこともあるのだ。

「私は何種だから、だらしなくても仕方がないのよ」

「僕は何種だから、頑張りがきかなくても仕方がないのさ」

「俺は何種だから、この仕事には向かないのかもしれない」

短絡的に、そう考えてしまう人が少なからずいるのである。
まあ、そこまで単純ではないにしても、ある程度の影響を受けることは確かである。

確かに、体癖とは生まれ持った自分の体そのものであるから、体癖的素質を自分では変えることができない。その体癖を好きか嫌いかに関わらず、である。
それ故に、その体癖的素質を上手く活かしていくことこそが、本当の意味で自分を活かすことになるのだ。
しかし、早い段階で自分の体癖を断定すると、本に書いてあるその体癖の説明から離れられなくなってしまい、逆に良い面が出づらくなってしまう人がいる。これまた、その体癖が気に入っていても嫌いでも、である。

体癖の本に書いてあることなど、体癖というものの全体像からしたらほんの一部である。その一部の説明で、自分を制限してしまうのは何ともばかばかしいことである。

体癖についての理解が進み、体癖に振り回されないようになった頃に、「ああ、私はどうも何種傾向が強いらしい」、「何種と何種があるらしい」、とわかってくるぐらいで調度良いのではないかと思う。
それも、「・・・・ らしい」 ぐらいから始めるのがいいだろう。
そのうち、「自分に、何種が入って無いことはあり得ない・・・」 と嫌でも気づくようになる。

体癖というものを知ると、体癖論が人間の本質的な部分に踏み込んでいるとわかるが故に、何かそれが絶対的なもののように思えてしまい、そこから逃れられなくなってしまうのだろう。これは、整体というものに傾倒している人ほど、その傾向が強くなるかもしれない。
しかし、確かに体癖論は人間の本質を鋭く看破したものではあるが、もちろんそれだけで人間の全てを説明できるわけではない。体癖もまた、人間という存在のある一面をとらえたものであるに過ぎないのだ。

とりあえずは、血液型性格診断か一昔前に流行った動物占いでもする程度の気持ちで体癖を見ていくのが、かえって人間の 「森」 全体を見ることができるかもしれない。
そして、自分も他人もあまりこうと決めつけないで見ていくのがよい。そうでないと、人間関係で今まで見えていた大事なものが、かえって見えなくなってしまうこともある。

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