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体癖観察の手引き (はじめにお読みください)

体癖論は、野口整体独特の人間観察の方法である。
生命の生命たる所以である 「欲求」 の方向性から人間を分類した、画期的な人間分類法でもある。

しかし、実際に体癖観察をおこなってみると、自分や他人の体癖を判別するということは、思ったより簡単ではないということがわかってくる。

まず、体癖はABO式の血液型などのように、一人の人間に一つの型というようには対応していない。
一人の人間に、二つ三つと複数の体癖が同居することは珍しいことではない。
それも、一人の中に複数ある体癖的傾向は、それぞれ等分にあるわけではなく、それぞれの割合は人によってまちまちである。

また、赤と青が混ざると紫になるように、二つの体癖が混ざるとまた別の体癖的傾向が現れる。
もちろん、赤と青の配分で、紫といってもパープルもヴァイオレットもあるわけだ。
この複合体癖の問題が、慣れないうちは体癖観察を難しくするが、だんだんと体癖というものが飲み込めてくると、どういう色合いの体癖でも、原色ともいえる10種類の体癖のバリエーションだということがわかってくる。


さて、実際観察するという段になると、今度は人間同士の気の影響ということも考えなくてはならない。
複数の人間が集まると、それぞれの体癖が影響し合って、その傾向の出方がいろいろに変化する。

例えば、Aさんがそれぞれ違う体癖のBさん、Cさんと接するとする。Aさんは、Bさんと接するときとCさんと接するときでは、表に現れる体癖的傾向が違うということがある。

また、非常に3種的な傾向を濃く持っているDさんがいたとする。しかし、そこにもっと3種的な特徴が強く見えるEさんが現れると、たちまちDさんが3種らしく見えなくなったりする。

人間同士の気の影響で、体癖の相というべきものも変化して見えるのである。


そして、とても重要なことは、体癖観察においては、観察者自身の体癖的傾向が影響するということである。

観察者の体癖が対象者と影響し合う、もしくは対象者に投影されるという意味もあるが、そもそも観察者は自分の体癖的感受性を通してしか相手を認識することができないのである。

つまりは、私の語る体癖論も、私の体癖的傾向というバイアスが常にかかっているということになる。
この先の体癖に関する記事も、そのようなものだと思ってお読みいただきたい。

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