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February 2011

経絡整体(仮称) その1

あるとき、操法の中で足首に愉気をしていると、ふくらはぎの内側あたりに次に押さえるべき処がポッと浮いて見えた。そこを見つめながらなお足首に愉気していると、今度は大腿部の内側にもう一つ急所が見えてきた。その後、ポツン、ポツンと、ランプが灯るかのように次々に押さえるべきポイントが見えてきた。

そういうことはよくあることで、それ自体は珍しいことではないのだが、そのときにはその処と処を結ぶ、ある気のラインのようなものが見えたのである。

ああ、これは脾経だ、と思った。

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脾経とは、鍼灸でいうところの12経絡(12の主要な気血の流れるルート)の一つである。足の母指の末端からスタートし、下腿・大腿内側を上昇し、腹部を通って舌へつながるとされている。

経絡は、ある臓器の全部もしくは一部と(肝経なら肝臓)、それに関連する器官・組織を含む一定の機能領域である。この経絡は、その主宰する臓器とつながりながら、気血の流れのラインとしてとして体表を走っている。その流れは、手に6本(肺・心包・心・大腸・三焦・小腸)、足に6本(脾・腎・肝・胃・膀胱・胆)通っていて連絡しながら体を巡っている。

経穴(ツボ)とは、経絡上にある臓腑・経絡の気血の集積・出入りする処である。臨床上重要な観察点であり、同時に治療点である。伝統的な鍼治療は、この経絡上の経穴に鍼を刺して、各経絡の虚実を調えるのである。(整体では整えると書くが、鍼灸・気功では調えると書くことが多い) 

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この脾経の走行と愉気すべき急所の一致を偶然見つけてから、下肢を観る度に経絡の変化を探すようになった。

下肢には、脾経・腎経・肝経・胃経・膀胱経・胆経の6本の経絡がある。経絡を頭に入れながら操法してみると、意外と経絡の走行と愉気すべき急所が一致していることが多かった。
また、変化させたい処を直接愉気せずに、そこに関連する経絡上のポイントに愉気もしくは整圧することで、目的とする処をかなり的確に変化させることができることを知った。
そこから、体幹、上肢にも経絡の観察をひろげていくと、経絡を操作することを通していろいろと面白いことが実現するようになった。

さて、なぜ直接異常箇所に働きかけずに、離れた部位から変化させようとするかというと、そうして異常を正した方が体に対して負担が少なく、なおかつ操法の効果が安定するのだ。
例えば、第2腰椎の三側に異常を表す硬結があったとする、もちろんその硬結を直接愉気なり整圧なりすれば硬結は変化するが、下肢のどこかを整圧することでその硬結が弛んだとすれば、その方がより体に無理のない変化であり、異常をくり返す確率も減る。

こういう手法は整体でも普通にあるのだが、経絡を想定することで、遠隔部から処を操作する方法が体系化し易い。気の感覚などで調整点を見つけることが難しい人にも、ヒントとして操法の処や手順を経絡や経穴を以て提示できる。また、遠隔操作のバリエーションが、かなり広がる可能性がある。

などと、いろいろ考えながら、経絡を使って体の調整を始めたのが去年の今頃である。前々回ちらっと書いた、経絡整体(仮称)研究のスタートであった。


咳 ・・・ ふわふわタオルと蒸しタオル

咳が続くのは、なかなかつらいものである。
しかし、咳もまた必要があるから出るのである。

風邪を引いて咳が出ると薬で止めようとする人がいるが、体の側に咳をする必要があれば、薬を飲んでもそうそう止まらない。もし止まっても、必要があればそのうちにまた風邪を引きなおす。

では、咳が必要な体とは、どういう体であろうか。

風邪が呼吸器に来るときには、胸椎の3・4辺りに異常を抱えている場合が多い。胸椎3は肺と関連する。気管支の場合は、胸椎1・2であるし、頚椎6・7の場合もある。
そして、姿勢で見ると胸が広がらず前屈みになっている。前屈傾向と呼吸器の異常は、切っても切り離せない関係にある。

そういった呼吸器と関連するところに異常がある場合、風邪を引くと症状が呼吸器にまで至り咳が出る。しかし、そこが悪いから咳が出るというよりは、咳をすることで硬直した背骨(それに関連する肋骨や肩甲骨など)を弛めようとしている、と考えた方が現実に即している。
風邪を引いて咳をすることで、体は強張りや働きの鈍りを解消して、もっとひどい呼吸器病になることを予防しているのである。

咳は、ウイルスを体外に排出しようとしているとか、痰が肺に入らないようにしているなどと言われるが、体そのものを改善するために咳が出ているということがあるのだ。
咳に限らず、発熱でも、下痢でも、節々の痛みでも、喉が腫れることでも、風邪の時に変動を通して体はどこかを良くしようと計画している。
風邪は、“引く” と言うが、文字通り風邪には自分から引き寄せて、それを利用して体質改善をするという面があるのだ。必要があれば、治っては引き、ひいては治るを繰り返すこともある。

体は、より良く生きるためには、風邪でも利用する。そして、そのメカニズムは、驚くほど緻密で周到である。

咳が出ていることを異常と見て、それをとりあえず止めてしまおうと考えるのが現代の医学の考え方だが、整体では咳をすること自体を体を良くしようとする働きと観る。
整体ではなぜそう考えるのかといえば、風邪を経過すると体は必ずどこかが良くなるからである。そして、それは体を観る(触れる)ことで確かめられる。

風邪を引き咳をすることで、強張った背骨、肋骨などが弛んでくる。
体の前屈傾向も無くなっていく。

もちろん、それらの異常は整体操法で調整することも有効だが、そもそも自力で風邪を引けるのであれば、自分の体に任せて何度か風邪を経過すれば、抱えている異常も正されていく。風邪を自力で経過することが、体質改善になっていくのである。まさに、風邪は自然の整体法である。

と言っても、特別難しいことでは無い。自分でやることといえば、体の働きを信頼することと、風邪の経過がスムーズに行くように体を応援することぐらいだ。後は、体が計画通りに進めてくれる。
応援するとは、体を冷やさない、風邪に当たらない、目を使いすぎない、足湯をする、水分を多く取る、高熱が出た後に平熱以下に下がる時期をしっかり休養するなどということである。
応援の仕方は、ちくま文庫の 「風邪の効用」 (野口晴哉著) に詳しい。


しかし、いざ自分のこととなると、咳が続くのはなかなか辛いことがある。たとえ、それが体を良くしていく働きだとしても、あまりに長く続くと、「いくら何でも、もういいのじゃなかろうか?」 と言いたくなることもあるだろう。

そんなときには、目を蒸しタオルで温めるといい。風邪の最中は足湯などがいいが、風邪の最後に咳だけ残って治まらないときなどは、目を温めると急速に楽になる。風邪で咳が続くと目が充血したりするが、目と呼吸器は深く関連しているのである。

それから、咳をすると体力を消耗して体が疲れるが、厚手のタオルを用意しておいて、そのタオルを四つ折りぐらいにして口を塞ぎながら咳をすると格段に楽である。
少し厚手の、肌触りの良いふわふわのタオルに顔を埋めて咳をするのである。そうすると、あら不思議、咳をしても疲れない。それどころか、なんだか気持ちいい。

花粉症のくしゃみなども同じだが、咳もくしゃみも、気持ちよくすっきりと出した方が強張った体が上手に弛む。
くしゃみの方は、ハックション!と大きくやればすっきりするだろうが、咳の方は上手くやるのが難しい。そこで、ふかふかのタオルを使うといい。なかなか気持ちよく咳ができるのだ。

一所懸命やらない

前回の記事に関して、「長くやらない、たくさんやらない、は分かるが、一所懸命やらないというのはどういうことか?」
という質問を受けた。

一所懸命やらないとは、必死になってやらない、頑張ってやらないということである。

整体操法においては、術者の必死さや懸命さは邪魔なのである。

さらりとやる、気張らずやるのが操法である。

これはもちろん、一般的な意味での 「いい加減にやる」、「適当にやる」 ということではない。
常に気を高め、感覚を研ぎ澄まし、自分の持てる能力の全てを以て当たるのが操法である。
いい加減さなど、微塵もない。いつでも真剣である。

しかし、同時に気張って実力以上のことをしようとか、何が何でも良くしてやろうとか、そういう一所懸命さは、かえって操法の質を落とす。

練習では、必死に汗水たらして努力しても、実際の操法では涼しい顔をして行うのである。感覚的には、持てる力の5分、できれば3分程度で操法できれば理想的だ。その分、余裕があるということだからだ。これは、自分の全てを以て当たるということとは矛盾しない。

しかし、5分、3分の力で十分効果を上げられるように自分を高めていくためには、それこそ一所懸命工夫をし、習練を積まなければならない。

もう一つ言えば、操法をする側の必死さは相手に不安を与える。
「あんなに一所懸命、必死にやっているということは、私はよほど悪いのだろう・・・」 という連想を呼び起こす。
これは、操法としては、下の下である。

必死さが見え隠れしたり、頑張りを見せ付けたりするようでは、操法をする者としては失格なのだ。

そして、前回も書いたが、操法はやりすぎもよくない。「度」(度合い)ということが大事なのである。
つまり、操法のいい加減は、「良い加減」、適当は、文字通り 「適当(=適切)」 なのだ。

それらのことを踏まえて、一所懸命やらない、ということが整体の流儀に適うということになるわけである。


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なお、一所懸命ではなく一生懸命ではないのか、という指摘も受けたが、「一所懸命」 とは古の武士が己が所領を守るために命を懸けたところから来る言葉であり、一生懸命はそれが転化したものである。
現在は、どちらを使っても良いようである。

親切?不親切?

整体操法では、相手のやって欲しいことを残らずやって上げるような接し方を、「召使い操法」 といって戒めている。

一般に、指圧やマッサージなどでは、丁寧に長い時間かけて、全身揉んだり押したりしてくれる方が親切だと言われる。
しかし、整体では親切の種類が、マッサージなどのそれとはだいぶ違う。

操法は、人間相互の愛情と誠意によって行われるものであるが、操法をする側と受ける側の立場というものは明確にしている。
そして、いつでも操法をする側が相手をリードしていなければ、相手を健康に導くことは難しい。必ず、操法をする側が相手の体を観て、その日、その時、その人の体にとって必要と思えることのみを行うのである。
相手の要求にひたすら応え続けるのでは、指導するという立場は保てない。

多くの場合、マッサージなどでは、時間を長くやってくれる方が親切だとされている。
その考え方から言えば、整体は不親切だということになる。

また、頭のてっぺんから足の先までまんべんなく揉んでもらうと、「今日は、よくやってもらった」 ということになるらしいが、整体ではだいぶ様子が違う。

整体操法では、相手の体に不必要に刺激を与えることを慎しむ。
過剰な刺激は、相手の体に負担であり、体の自然を乱すからだ。
操法の時間も、むやみに長過ぎない方が良いということである。

操法においては、原則として左右でより異常な側のみを操法の対象にする。つまり、右腕と左腕であれば、どちらか片方の腕だけを操法する。もちろん、足もそうである。
両側操法する場合でも、8:2、7:3、のように異常側に重点を置いて刺激量に差をつける。

もっと言えば、腰部や背部を押さえるのでも、微妙に左右の押さえ方を変えている。左右差をつけて押さえるのである。
これらは、両側を刺激するよりも、片側を操作する方が効果が上がるということと、体に無用な刺激を与えないためである。

両側やらない、たくさんやらない、長くやらない、一所懸命やらない、相手に阿らない、 “お大事に” などと相手の気力を奪うようなことは言わない、これらは皆、整体流の親切なのである。


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