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一所懸命やらない

前回の記事に関して、「長くやらない、たくさんやらない、は分かるが、一所懸命やらないというのはどういうことか?」
という質問を受けた。

一所懸命やらないとは、必死になってやらない、頑張ってやらないということである。

整体操法においては、術者の必死さや懸命さは邪魔なのである。

さらりとやる、気張らずやるのが操法である。

これはもちろん、一般的な意味での 「いい加減にやる」、「適当にやる」 ということではない。
常に気を高め、感覚を研ぎ澄まし、自分の持てる能力の全てを以て当たるのが操法である。
いい加減さなど、微塵もない。いつでも真剣である。

しかし、同時に気張って実力以上のことをしようとか、何が何でも良くしてやろうとか、そういう一所懸命さは、かえって操法の質を落とす。

練習では、必死に汗水たらして努力しても、実際の操法では涼しい顔をして行うのである。感覚的には、持てる力の5分、できれば3分程度で操法できれば理想的だ。その分、余裕があるということだからだ。これは、自分の全てを以て当たるということとは矛盾しない。

しかし、5分、3分の力で十分効果を上げられるように自分を高めていくためには、それこそ一所懸命工夫をし、習練を積まなければならない。

もう一つ言えば、操法をする側の必死さは相手に不安を与える。
「あんなに一所懸命、必死にやっているということは、私はよほど悪いのだろう・・・」 という連想を呼び起こす。
これは、操法としては、下の下である。

必死さが見え隠れしたり、頑張りを見せ付けたりするようでは、操法をする者としては失格なのだ。

そして、前回も書いたが、操法はやりすぎもよくない。「度」(度合い)ということが大事なのである。
つまり、操法のいい加減は、「良い加減」、適当は、文字通り 「適当(=適切)」 なのだ。

それらのことを踏まえて、一所懸命やらない、ということが整体の流儀に適うということになるわけである。


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なお、一所懸命ではなく一生懸命ではないのか、という指摘も受けたが、「一所懸命」 とは古の武士が己が所領を守るために命を懸けたところから来る言葉であり、一生懸命はそれが転化したものである。
現在は、どちらを使っても良いようである。

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