昨年の今頃マイブームだった経絡整体(仮称)の研究では、脊椎一側を経絡的にどう見るか、ということがなかなか簡単にいかなくて面白かった。
椎側の内、二側・三側は、膀胱経の一行線・二行線に相応するとして、一側はどう考えるのが良いのか。
12の正経絡には一側に対応する経絡はないのだが、実際の鍼灸の世界では、華陀穴、挟脊穴とか脊際線などと言って、棘突起の際を走るラインを臨床上重要視しているのである。
私は、一側は経絡理論でいうなら腎経に関係が深いのではないかと感じていた。これは、操法の中で一側を触っていてそう感じたということだ。
また、下肢の腎経を愉気、または整圧しているときに、しばしば背骨の一側に反応点が浮いて出るということも経験した。このことも、腎経と一側の関係性を示唆していると思っていた。
整体における一側とは、背骨のすぐ際のラインである。一側は、椎側の中でも特に縦(上下)の流れを重視している。
骨盤から発する性エネルギーが大脳に昇華していく経路であり、また大脳からの信号が体へ向かって降りていく経路でもある。
すなわち、一側は、生殖器系及び神経系の系統ということである。
腎経は、先天の「元気」、すなわち成長や生殖に関わる経絡である。俗に腎虚といえば、性的能力の低下も意味する。
脳は、経絡理論では髄海と言われ、随は腎より生じるとされているのでやはり腎経が絡んでくる。
性エネルギー、そして大脳及び神経系は、一応腎経とオーバーラップしていると言える。
また、膀胱経との関係で言えば、膀胱経と腎経は、経絡理論の中では五行(木・火・土・金・水)では同じ 「水」 に属している表裏の経絡である。
膀胱経と腎経は、排泄や水分代謝などで共に補いあいながら働いているのだ。
二側・三側が膀胱経に相当するとしたら、その並びにある一側は膀胱経と表裏の関係にある腎経と関連していても悪くはない。
更に、整体でいう一側は神経系・生殖器系の他に呼吸器も含んでいるのだが、腎の働きは、呼吸のうちの 「吸気」 と司っているとされている。中医学では、呼気は肺が吸気は腎が調節しているとも考えられているのだ。
さあ、働きだけで言うならば、一側と腎経はかなりオーバーラップしている。
ただし、残念なことに、身体上の座標で言うと、陰経の腎経が背面にあるのはおかしいということになる。(大まかには、陽経は背中。手足では肌の色の濃い方。陰経は胸腹。手足の色の白い方に流れている。四つん這いになって、日が当たるのが陽の面、当たらないのが陰の面である)
しかし、腎経は腹部では正中線のすぐ脇を走っている。腹と背ではだいぶ違うが、中心からの距離ということでは一側に似ていなくもない。
人間の体には、右でも左でもない、真ん中というものがあるのだが、腹部の腎経の経路は、この真ん中を通っている。12経絡中、真ん中を走るのは腎経だけである。
それでは、12正経ではないが、いっそ背中の中心を通っている督脈と考えてはどうか・・・?
などと、やっているうちに、だんだん理屈の方が主になって来ていることに気がついた。
こうやって、理屈が感覚を追い越してしまうと、私の場合、どうも上手くいかない。
こうなると、操法が冴えなくなるのだ。
これは、ちょっと良くない傾向だ。少し、経絡のことは頭の隅に追いやっておこう。
と、そうしているうちに、いつの間にか関心が他に移ってしまったので、経絡の研究はそれっきりになっている。
今でもたまに、「一側は、やはり腎経か?」、などと考えることもあるが、研究再開に至るほどの欲求の高まりは、未だやってこない。
ちょうど、この経絡整体(仮称)の記事を書き始めた頃に、縁(ゆかり)整体の北野先生に、偶然 「経絡指圧」 の話を聞いた。
北野先生は、野口整体から分派した井本整体を修められた上に、野口整体も研究されておられる方だが、元々は経絡指圧から治療の世界に入られたのだという。
経絡指圧とは、増永静人氏(故人)によって創始された手技療法で、全身の経絡を指圧によって調えていく手法である。
私も鍼灸学校に通っていた頃に、この経絡指圧の腹診をほんのさわりだけ習ったことがある。当時は、これがなかなか難しく、とてもものにすることはできないと思った。
この増永氏の経絡指圧の面白いところは、鍼灸では手に6経、足に6経に分かれている経絡を、手にも足にも12経全てが流れているとして、そのルートを独自に研究しているところである。
手元の資料では、正確に確認できているという手の7本、足の10本しか図示されていないが、臨床的には上肢・下肢共に12経見いだせると書かれている。
再び経絡整体(仮称)のマイブームが来たときには、北野先生のご協力も仰いで、手足それぞれ12経で研究してみても面白いかも知れない。