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March 2011

簡易バージョン

身体気法会の柳澤先生が、放射能汚染の害を軽減する操法の簡易版を
HPにアップされました。
整体法に馴染みのない方でも、簡単にできるように作られています。
ぜひ、ご覧ください。

 □ 身体気法会 □


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追記

柳澤先生は季節の移り変わりと身体の変化の関係というものを非常に重視して操法を組み立てていらっしゃる方である。
前回と今回の記事の中でご紹介させていただいた放射性物質の害に対処する操法は、単にそれのみを目的として組み立てられたものではなく、今の季節に対応する身体調整の流れの中から生まれた操法であるそうだ。

柳澤先生は、奇しくも、この春分前後に季節の身体的焦点となる第2腰椎と、(その対応点である)右大腿内側・虫垂部・肝臓部が特別な反応を示しつつ連動して変化を起こしているということは、身体が季節的な体勢変化の中に放射線の害に対する予防的な反応を起こしているのではないかと考えておられるようである。

意識がそれを知っているからか、もしくは知らなくても体がそれを知るのかはわからないが、もし体が予備的な防御反応として上記のような変化を起こしているのだとしたら、それは何とも興味深い事柄である。

ともあれ、今回リンクを貼って紹介させていただいた2種類の操法(自分でできる処置法)は、季節の変化に対応して現在の体をより良い方向へと誘導する方法でもある。

特に簡易版は、やり方が簡単で効果が上がりやすいので、みなさんに勧めしたい。

放射線の害に対する愉気法

福島第1原発の連続事故は、今なお予断を許さない状況である。
今はただ、仕事とはいえ命がけで事態の悪化を必死にくい止めようとしている自衛隊、警察、消防、現場の東電社員の方々の働きに期待するしかない。

そしてまた、この一連の原発事故による、放射性物質の飛散が心配されている。

果たして、このような事態において整体が役立つことはあるだろうか。

整体では、放射能による悪影響には、盲腸虫垂部に対する愉気が有効であるとしている。
右の下腹部、盲腸のある部分に手を当てて愉気をする。

もう一つは、右の上腹部、肋骨の下縁である。ここは、肝臓のある部位であるが、毒素・有害物質排泄の急所である。

どちらも、その部が弛むまで愉気をする。

愉気□ とは、手を当てて気を集中することであるが、取り立てて特別の事ではなく、誰にでもできる方法である。
お腹が痛ければ、自然とお腹に手が行く。どこかをぶつければ、思わず手を当てる。そういう手当が、愉気である。自分にも、他人に対してもできる。

現実に多量の放射線を浴びてしまった場合には、もちろん化学的(医学的)処置が必要であろう。しかし、放射線に限らず、あらゆるケースで、同じ処置をしても功を奏する場合とそうでない場合がある。
それは、当然のことだが、結果は処置を受ける本人の体の力 (治癒力・復元力・免疫力など) に左右されるからだ。

例えば、アメリカのデータらしい(伝聞である)が、被曝した人でも、汗をかく人は汗をかけない人に比べて予後が良いという。それは、一度吸収してしまった毒素は汗を通して排出されるからである。

どのような場合でも、体の力を最大限に発揮することは、事を有利に進める可能性を高める。
そして、整体とは体の力を高めることが、その本領であり、その根本は愉気である。
愉気をしさえすれば大丈夫、などとは決して言えないが、やらなければゼロであるが、やってみれば可能性は高まる。

難しいことではないし、副作用もない。いざと言う事態になったときには、とりあえず右の下腹部と右の上腹部(肋骨の下縁) に愉気することをお勧めしたい。


「放射能の害を軽減させる整体的アプローチ」

この方法は、“ 整体 放射能 虫垂 ” などで検索すると、イラスト付きで説明している方などもいらっしゃるので、いろいろと探してみるとよいと思う。

1.右の内腿の筋の虫垂と響き合う処を刺激する。
  下(膝の上)から上(腿の付け根)に向かってこすり上げるのでもよい。

2.右の下腹部、虫垂部を心臓に向けて数回擦り上げる、
  もしくは撫で上げるようにして、最後は心臓の方へ
  ちょっと持ち上げるようにして愉気する。
  虫垂部が熱くなったり、ときにズキズキしたりすることもあるが、それでOK.

3.右の肋骨の下に手を当てて愉気。(同時に、虫垂部にも手を当てておいても良い)




身体気法会の柳澤先生が、この緊急事態にやっておくべき処置として、放射線の悪影響を抑制する操法をHPに公開されています。
こちらは、やや専門的ではありますが、整体を学んだことのある人にも参考になる情報であると思います。
ぜひ、ご覧頂きたい。

  □ 身体気法会HP □

現在、事態の収拾のために、多くの専門家が懸命に力を尽くしてくれています。
いたずらに、不安を煽る意図は全くありませんし、各自が落ち着いて対処することが何よりも大切であると思います。
万一の事態に備えての、少しでも生命を守り、そこなわないための、一つの知恵として知っておいていただければと考えます。

また、mixi の 「野口整体+野口晴哉」 コミュニティなどでも、放射線への対処法などの情報が公開されているようです。
ご覧になれる方は、参考にされてみてはいかがでしょうか。

心よりお見舞いを申し上げます

今回の震災で被害に遭われた方々に心よりお見舞いを申し上げます。

尊い命を失われた多くの方々のご冥福をお祈り申し上げるとともに、

ご家族や近しい人を亡くされた方々へ衷心よりお悔やみを申し上げます。

被害の状況を見聞きする度に、その被害の甚大さに心が痛みます。

今なお救助を待たれている方々が一時でも早く救出されますように

お一人でも多くのご無事が確認されますように

心よりお祈り申し上げます。

経絡整体(仮称) その4

昨年の今頃マイブームだった経絡整体(仮称)の研究では、脊椎一側を経絡的にどう見るか、ということがなかなか簡単にいかなくて面白かった。

椎側の内、二側・三側は、膀胱経の一行線・二行線に相応するとして、一側はどう考えるのが良いのか。
12の正経絡には一側に対応する経絡はないのだが、実際の鍼灸の世界では、華陀穴、挟脊穴とか脊際線などと言って、棘突起の際を走るラインを臨床上重要視しているのである。

私は、一側は経絡理論でいうなら腎経に関係が深いのではないかと感じていた。これは、操法の中で一側を触っていてそう感じたということだ。

また、下肢の腎経を愉気、または整圧しているときに、しばしば背骨の一側に反応点が浮いて出るということも経験した。このことも、腎経と一側の関係性を示唆していると思っていた。

整体における一側とは、背骨のすぐ際のラインである。一側は、椎側の中でも特に縦(上下)の流れを重視している。
骨盤から発する性エネルギーが大脳に昇華していく経路であり、また大脳からの信号が体へ向かって降りていく経路でもある。
すなわち、一側は、生殖器系及び神経系の系統ということである。

腎経は、先天の「元気」、すなわち成長や生殖に関わる経絡である。俗に腎虚といえば、性的能力の低下も意味する。
脳は、経絡理論では髄海と言われ、随は腎より生じるとされているのでやはり腎経が絡んでくる。
性エネルギー、そして大脳及び神経系は、一応腎経とオーバーラップしていると言える。

また、膀胱経との関係で言えば、膀胱経と腎経は、経絡理論の中では五行(木・火・土・金・水)では同じ 「水」 に属している表裏の経絡である。
膀胱経と腎経は、排泄や水分代謝などで共に補いあいながら働いているのだ。
二側・三側が膀胱経に相当するとしたら、その並びにある一側は膀胱経と表裏の関係にある腎経と関連していても悪くはない。

更に、整体でいう一側は神経系・生殖器系の他に呼吸器も含んでいるのだが、腎の働きは、呼吸のうちの 「吸気」 と司っているとされている。中医学では、呼気は肺が吸気は腎が調節しているとも考えられているのだ。

さあ、働きだけで言うならば、一側と腎経はかなりオーバーラップしている。
ただし、残念なことに、身体上の座標で言うと、陰経の腎経が背面にあるのはおかしいということになる。(大まかには、陽経は背中。手足では肌の色の濃い方。陰経は胸腹。手足の色の白い方に流れている。四つん這いになって、日が当たるのが陽の面、当たらないのが陰の面である)

しかし、腎経は腹部では正中線のすぐ脇を走っている。腹と背ではだいぶ違うが、中心からの距離ということでは一側に似ていなくもない。
人間の体には、右でも左でもない、真ん中というものがあるのだが、腹部の腎経の経路は、この真ん中を通っている。12経絡中、真ん中を走るのは腎経だけである。

それでは、12正経ではないが、いっそ背中の中心を通っている督脈と考えてはどうか・・・?

などと、やっているうちに、だんだん理屈の方が主になって来ていることに気がついた。
こうやって、理屈が感覚を追い越してしまうと、私の場合、どうも上手くいかない。
こうなると、操法が冴えなくなるのだ。

これは、ちょっと良くない傾向だ。少し、経絡のことは頭の隅に追いやっておこう。

と、そうしているうちに、いつの間にか関心が他に移ってしまったので、経絡の研究はそれっきりになっている。
今でもたまに、「一側は、やはり腎経か?」、などと考えることもあるが、研究再開に至るほどの欲求の高まりは、未だやってこない。

ちょうど、この経絡整体(仮称)の記事を書き始めた頃に、縁(ゆかり)整体の北野先生に、偶然 「経絡指圧」 の話を聞いた。
北野先生は、野口整体から分派した井本整体を修められた上に、野口整体も研究されておられる方だが、元々は経絡指圧から治療の世界に入られたのだという。

経絡指圧とは、増永静人氏(故人)によって創始された手技療法で、全身の経絡を指圧によって調えていく手法である。
私も鍼灸学校に通っていた頃に、この経絡指圧の腹診をほんのさわりだけ習ったことがある。当時は、これがなかなか難しく、とてもものにすることはできないと思った。

この増永氏の経絡指圧の面白いところは、鍼灸では手に6経、足に6経に分かれている経絡を、手にも足にも12経全てが流れているとして、そのルートを独自に研究しているところである。
手元の資料では、正確に確認できているという手の7本、足の10本しか図示されていないが、臨床的には上肢・下肢共に12経見いだせると書かれている。

再び経絡整体(仮称)のマイブームが来たときには、北野先生のご協力も仰いで、手足それぞれ12経で研究してみても面白いかも知れない。

経絡整体(仮称) その3

経絡は、それぞれ関連する臓器の気血が流れるルートである。
例えば、肺経は肺を絡めながら胸と腕のつながり目あたりから体表へと流れだし、腕の前外側を流れて親指へと流れていく。親指の先まで行く肺経を流れる気血は、手首あたりで人差し指から腕の後外側を流れる大腸経に連絡して、また体幹部へと戻っていく。こうして、経絡は各臓器をつなぎながら全身を巡っている。

呼吸器に異常がある場合は、経絡では肺経に変動が起こっていることが多い。
ここで、整体では胸椎の3、4を観る。肺炎などの呼吸器の異常の場合、胸椎の3、4の棘突起がくっついていることが多い。
背部を流れる膀胱経の中で肺経の働きを調整できる肺愈という経穴(ツボ)は、第3・第4胸椎の間の外方約二横指、すなわち二側に相当する場所にある。整体操法における脊椎操法の処と、そうかけ離れてはいない。

呼吸器の異常を肺経で調整する場合、左右どちらの腕を使うのが良いだろうか。実は、左右対称に両方整圧、もしくは愉気しても良い。どちらかに絞った方が効果が上がりそうなときは、手のひらの母指の付け根、母指丘のあたりに肺経の魚際というツボがある。ここを両側触ってみて、気の通りの悪い方の腕を選択すると良いようである。

肺経の流れの中でどこを押さえればよいのかというのは、ケースバイケースなのだが、反応がでていることが多いのは、手首付近の太淵・経渠・列缺あたり、肘の内側の尺沢あたり、上腕の天府あたりなど、経穴(ツボ)に相当する部分であることが多かった。あとは、鎖骨の少し下にある中府。ここは、肺から気管を回って喉に行き、左右に分かれた肺経が体表近くに湧き出てくるところである。

一般に、「五臓六腑」 というが、経絡理論では、「六臓六腑」 である。六臓は、肝・心・脾・肺・腎の五臓に、心包が加わる。六腑は、胆・小腸・胃・大腸・に三焦が入る。
よく胃の腑、などと言うが、腑は中が空洞の臓器のことで、臓は実質がつまっている臓器である。
心包とは、文字通り心臓を包んでいるもので、心臓そのものの機能よりは、心臓を保護し養っているものといっても良いかもしれない。

心包経は、これとはっきり対応する実体としての臓器は見あたらないのだが、無理に当てはめれば心臓を包む心膜や心臓を養う冠状動脈にでも相当するだろうか。
しかし、経絡理論の臓とは、臓器そのものというよりも、その 「働き」 ・ 「機能」 を指していると言った方がいい部分もあり、解剖学で言う臓器とはそもそもピタリと一致するものではない。

例えば、脾経とは現代医学でいう脾臓のことではない。脾は胃と共に働き、消化吸収の役割を受け持っている。五臓に栄養を分配するのは、脾の働きである。臓器で言うなら、どちらかというと膵臓の働きだ。
今から20年ほど前、鍼灸学校に通っていたときに、講師として招かれて来ていたある高名な解剖学者が、「東洋医学には脾(臓)はあっても膵臓はない。鍼灸師が膵臓を語るな」 と言っていたが、これはトンチンカンな発言である。
脾経とは脾の臓を巡る経絡なのだが、この脾の臓とは今で言う膵臓である。解剖学の臓器の日本名は、東洋医学の五臓六腑からとったのであるから、解剖学の方が間違えたのである。

さて、話は飛んだが、心包経は心臓を守り養う経絡であり、心包経の働きが弱ると、動悸などの心臓疾患・鼻血・胸痛・顔ののぼせ・心窩部の痛み・正中神経の麻痺や痛み、しびれ・手の平のほてりなどが起こる。
心臓系統の異常があって、脊椎の両側を走る膀胱経の心包経の愈穴である厥陰愈に硬結があるとき、手の平の中央にある労宮と前腕の前側(手の平側)のほぼ中央(経穴でいえば郄門の少し上)を、両手の母指で交互にリズミカルに押圧すると、心包愈の硬結が弛み症状が軽減する。ちなみに、労宮は整体では 「鎮心の急所」 である。

膀胱経の肺愈は、第3胸椎棘突起の下の外方1.5寸。整体的に言えば第4胸椎の二側あたり。厥陰愈(心包経の愈穴)は、第4胸椎棘突起の下の外方1.5寸。第5胸椎の二側あたりになる。(二側は、対象となる棘突起の真横ではなく少し上になる)
整体では、肺は第3胸椎、心臓は第4胸椎である。整体操法における肺・心臓の急所とは、椎骨一つ分ほどずれているが、ともかく肺愈に硬結なら肺経、厥陰愈(心包の愈)に硬結なら心包経を操作する。その操作によって、それぞれの愈穴の硬結が変化し、体は良い方向へと動いていく。

脊椎椎側の硬結を、関連する経絡を用いて処理する。椎側、すなわち膀胱経上の硬結が消失すると、ともかく体は快方に向かう。
同時に、12の経絡の虚実を観て、虚は補い、実はその緊張を弛めることで、全身の経絡の張弛のバランスを取る。
これだけのことをするだけでも、体はかなり調う。

経絡整体(仮称) その2

経絡を用いて、遠隔部の脊椎椎側の硬結を処理することができる。また、古い打撲や捻挫の鈍りを解消することにも役立つ。痛みや不快な症状の軽減・解消にも、もちろん使える。
経絡整体(仮称)は、なかなか面白い研究テーマであった。
そして何よりも、経絡理論は学問としても膨大な内容を持っており、七面倒くさいところが飽きなくて良い。

私は、一応鍼灸師でもある。といっても、自宅にも治療院にも、鍼の一本、もぐさのひとつまみも無い。言ってみれば、“ なんちゃって鍼灸師 ” である。
しかし、経絡や経穴(ツボ)に関しては一応一通り知ってはいるのだ。

整体操法の中心は、やはり背骨、脊椎操法である。背骨そのものに働きかけることもあるが、多くは椎側、つまり背骨の棘突起の両側の筋肉にアプローチする。
棘突起のすぐ脇をのラインを一側、指二本分外のラインを二側、三横指の処を三側と呼ぶ。このうち、二側、三側は、膀胱経の一行線、二行線に相当する。
いや、相当すると考えて操法してみると、なかなか面白い。

整体操法は、経絡理論から見てみると、膀胱経を中心として全身の経絡を調える手法であるとも言える。

膀胱経とは、考えてみれば興味深い経絡である。大雑把に経絡と現代医学の区分けによる臓器との関係を言えば、肝経は肝臓、腎経は腎臓と関わりが深いわけだが(実際の経絡治療では、経絡の表裏、五行相生・相克などの観点からもう少し複雑)、背部の膀胱経には、肝愈・心愈・脾愈などの、他の経絡に属する働き(臓器)を調整できる経穴(ツボ)が並んでいる。
その経絡の走行は、目頭から始まり頭部を経て背部を通り脚部後面を下がって足の小指に至るのだが、背部では二本に分かれて走行する。それが、ちょうど脊椎二側・三側に合致する。
そして、肝愈・腎愈などの愈穴の位置関係が、整体の脊椎操法の整圧点とオーバーラップする部分がある。

昭和の初期、整体操法が編まれたときに、カイロプラクティックやオステオパシーの手法も取り入れられたというから、背骨に対する操法はそこから来ている部分もあるだろうが、当然ながら古来中国から伝わってこの方、日本で独自の発展を見せた鍼灸・按摩の理論や手法、急所が取り入れられなかったとは考えにくい。
そもそも、武道・武術の活点などは、経絡・経穴から研究されたものが多い。その活点を吸収した整体操法であるから、経絡や経穴と無縁のはずがないのである。
いや、どちらかといえば、当時の療術家の間では、経絡などは取り立てて議論の対象にするまでもないほど常識的なことであったかも知れない。

さて、脊椎の二側、三側の椎側の急所を個別の点と見ずに、連続する経絡の一点と見て操法してみると、普段の脊椎操法とはまた違った味わいが出てくる。
すなわち、処としての点を押さえるのではなく、弦楽器の弦を押さえる感覚で膀胱経を押さえるのである。すると、そのライン上に響の伝わる他の処が浮き上がってくる。
その浮き上がってくる処とは、そこを押さえると弦の張りすぎや弛みすぎが調整されるであろうポイントである。そうやって、次々と調整ポイントを押さえたり、愉気したりしていくと、膀胱系(脊椎の二側なり、三側なり)が調律されるのである。

同じような感覚で、全ての経絡を調整できる。ただし、経絡は陰経と陽経に分けられ、陰経と陽経では感覚が違う。陽の経絡は、張りのある弦のような感覚であるが、陰の経絡は、水の流れ、地下を流れる水路のようである。
陰経と陽経では、同じ調律するのでも愉気・整圧の感覚は少し異なる。ちなみに、膀胱経は陽経に属する。

経絡の調律は、虚実で観る。張りすぎている経絡、「実」 は弛める。力を失って 「虚」 になっている経絡は、力が戻るように調整する。
こうして、全身に張り巡らされた経絡の虚実、張弛のバランスを取っていく。
ここで経絡同士の関係性を利用すると、更に経絡の虚実を調整する方法が格段に広がるのだが、説明が煩雑になるのと、理論と実際に多少の食い違いがあって、未だまとめ切れていないので今は紹介しない。

愉気や整圧だけでなく、例えば腕を持って動かしたりする場合にも、腰椎を捻る操法や下肢をある角度に曲げてストンと落としたりする操法などでも、経絡の流れを意識して行うと、意識しないときとは違った趣があり、体に及ぼす効果もまた変わってくる。
また、この感覚を使って、体操法を設計することもできる。現に経絡を用いた体操は、新正体法や経絡指圧その他でも、いろいろなものが作られているようである。

さて、こうして経絡を調律していくと、非常に体が 「調った」 状態にすることができる。不思議だが、これがなぜか、「調った」 感じであり、「整った」 感じとは違うのである。
これは、私の中の語感の問題なので説明が難しいのだが、イメージとしては普段の操法で 「整える」 のに比べると、経絡を操法して 「調えた」 ものは少々手伝い過ぎの感がある。もう少し、本人の体の自力を働かせて整って行く方が良いように感じる。
まあ、まだ始まりの段階なので、これは工夫していけば解決する問題かも知れないが、意外と重要なことであるのは確かだ。

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