くすりの話
何でもかんでも、薬は良くない、などと言う気は毛頭ない。
病気になって、薬で治療するということは、選択肢としては 「有り」 だと思う。
と、前々回このブログに書いた。
私自身はと言うと、整体の世界に身を置くようになってからは、全く薬を飲むことは無くなった。20年以上、薬とは無縁の生活である。
医療機関のお世話になったのは、歯の詰め物がとれてしまって、歯医者で詰め直してもらったときぐらいである。
整体の行き方は、体の働きを整え、生命の働きを全うすることである。
病気でさえ体の自然な働きのもたらすものであり、病気もまた生命の一つの表現なのである。
整体では、病気になることそれ自体が、体の回復欲求の現れであると観る。
体に合わないものを食べれば、吐き気がしたりお腹をこわしたりする。しかし、嘔吐も下痢も悪い物を早く外へ出そうとする体の正当な働きである。
ほとんどの病気は、こうした体の自浄作用である。
しかし、もちろん中には、そうとも言い切れない病気もある。
それは、体が鈍ってしまった結果起こる病気である。
ガンも然り、脳溢血も然り。
そういう死に直結するような病気は、体の感覚・機能が鈍って、鈍り切った先にあるものだ。
そういった、鈍り病にならないためにも、体を整えていくことが大事なのである。
整体では、病気になったら、とりあえずそれを無くしてしまおうとするのではない。病気を通して体の平衡、調和を取り戻し、より強い体にしていこうとするのである。
そのためには、薬で病気を治そうとするのでもなく、予防的処置を取ろうとするのでもない。ただ体を整え、病気も含めて生命活動を全うしようとするのである。
それが整体の行き方であり、整体という生き方であるとも言える。
薬は、体の自然の働きを乱し、鈍らせることが多い。
薬に頼った生活は、整体的な生き方の対極にあるものだと言ってよいだろう。
ではどうして、病気になったら、薬も 「有り」 なのか。
なぜなら、世界中の全ての人が整体をやっているわけではないからだ。
ばかばかしいほど当たり前の答えだが、本気の本音である。
そもそも、整体(野口整体)を知っている人自体が世界の中で、それどころか日本の中でもほんの一握り、いやひとつまみであろう。
ほとんどの人達は、整体のことなど知りもしないのだ。
私のところに来る方のおよそ半分は、野口整体という言葉も聞いたこともないという方々である。
しかし、うちのHPを見たり、紹介してくれた人の話を聞いたりして、私がどういう考えでやっているかということは、何となくはわかっているらしい。
整体の予備知識がある人達も、整体を知らないで来た人も、結構な割合の人が、「薬は、やっぱり止めた方がいいんですよね・・・」、と言う。
そう質問する人には、薬を止めたいのだが、止めることに不安があるという人が多い。
のまないのはちょっと不安だけど、のまない方が良いのですよね・・・。
私も、できることなら止めたいですし・・・。
副作用も、怖いですしね・・・。
(のむって言ったら、操法しないんでしょ?)
といった感じだろうか?
しかし、相手の理解度にもよるが、大抵の場合は、「無理に止めなくてもいいですよ」、と言うことが多い。
「そのうち、自然とのまなくても大丈夫になりますから」、と・・・。
まあ、この段階で自発的に止めてしまう人の方が多かったりもするのだが、薬を止めることで強い不安感を持つくらいなら、とりあえずのんでてもらってもいい。
体が変わってくると、こちらが勧めなくても、「薬減らしてみてるんですが、別に大丈夫みたいです」、といった具合に自然と自分から止めていこうとする人が多い。
そもそも、私は医師ではないので、法的には、「その薬は、止めていいです」 と言う資格はない。
それに、薬の専門家ではないので、のんでいる薬がどういうことを目的として処方されているのかも正直解らない。
ただ、薬に頼らずに、自分の体の働きを十全に発揮して生きていくことの意味を示すだけである。
法句経にも、こんな句がある。
己こそ己の寄るべ
己を置きて
誰に寄るべぞ
よく整えし己こそ
まこと得難き寄るべなり
体を整え生きるということは、常に自分の全てを以て事に当たれる、ということである。
整体以外にも、薬に頼らない生活を標榜するところはあるだろう。しかし、整体には、体そのものを整え健康に導く、具体的で高度な術(すべ)があるところに、一つのアドバンテージがあると思う。