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杞人の憂い ― 2種体癖

2種体癖というと、杞憂という言葉を思い出す。杞憂の出典は、中国の古典 「列子」 である。

昔、杞という国に、天が落ちてきたり地が崩れてしまったりすることを心配して、夜も眠れず食事ものどを通らなくなった者がいた。また、その男の心配性を心配する者がいて・・・・

結局、天は落ちてこないし、地は崩れることもない、心配しなくても大丈夫だということを教えるのだが、この心配性の人は、おそらく2種体癖であろう。

2種の人は、絶えず何かを心配している。2種は、何かを心配せずにはいられない体の構造をしているのである。

上下型である2種は、1種と同様にエネルギーが頭の働きに転換しやすい。
ただし、1種が自発的に理論を展開していくことを楽しむのに対して、偶数体癖で受け身の感受性を持つ2種は、周りの状況や他人との関係性を軸に頭を働かせる。働かせる、というよりも、否応なく働いてしまう。そのため、2種は絶えず不安や心配、気の使いすぎ、取り越し苦労で頭を一杯にしているのである。

しかし、その心配の種を解決する有効な手段を提示しても、2種の人は耳を貸さない。その答えが的を射ているほど、まるで聞こえなかったかのようにスルーしてしまう。そして、相変わらず 「どうしよう、どうしよう」 を繰り返す。
そういう2種の行動を目の当たりにすると、もしかして、これはプレイなのか?と、疑いたくなる。不安プレイか?

そのくせ新たな心配の種が見つかると、今度はそちらに夢中になって今までさんざん騒いでいた心配事のことは、すっかり忘れてしまう。
2種の心配事の多くは大体その程度のことが多く、まさに杞憂なのである。

2種の悩みは、他の体癖の人から見ると、大抵は取るに足らないことばかりである。しかし、その心配事を抱えていることで、何かのバランスを取っているのかもしれない。2種は、絶えず心配事を抱えていないと、心配事がないというそのことが、今度は不安なのである。

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