嗅覚と危機察知能力
最近、「香り」 を売りにしている柔軟剤が多い。香りが長持ちするとか、手で衣服を払うと香りが広がるなど、テレビCMなどでもよく見かける。
もちろん、多くの人に好かれる、“いい香り” に仕上げているのだろうが、過ぎたるは及ばざるがごとし。柔軟剤も使う量が多すぎれば、他人に不快感を与える。
一昔前は、強い香水やおじ様方の整髪料などが、一部嗅覚が敏感な(正常な?)人に敵視されていた。私も、特別嗅覚が敏感な方だとも思っていないが、香水のつけ過ぎなどは本当にやめて欲しいと思う。香水まみれのOLさんなどと同じエレべーターに乗り合わせたりすると、これは拷問に近い。こんな匂いをさせていて、同僚や上司などは何も言わないのかと首をひねってしまうこともある。
それが最近では、柔軟剤の過剰使用による匂いにも閉口することがある。体中から柔軟剤の芳香を撒き散らしている人に電車で隣に座られたりすると、思わず呼吸が浅くなってしまう。相手の気分を害さないように、さり気なく自然な感じを装って、席を立ってしまうこともある。
嗅覚は、五感の中でも適応しやすい感覚である。つまり、匂いは慣れてしまいやすいということだ。いつも使っている香水や柔軟剤の香りなども、次第に慣れてしまって使う量をどんどん多くしてしまいがちである。
同時に、“ちょっとキツイかな?” と思っても、すぐに慣れて自分では分からなくなってしまうのである。
実は、嗅覚というのは、危険を察知する能力とつながっている。
よく、“危険な香り” がするなどと言うが、危険は見えるものでも聞こえるものでもなく、匂うものなのである。
信用でいない人間のことを、“あいつは臭い” といったり、物騒なことが起こりそうな気配を “きな臭い” と表現するのも同じである。
嗅覚が鈍い人間は、危機を察知する能力も低い。
そもそも、哺乳類は、“警告フェロモン” とでも言うべき、ある種の匂いで、仲間同士でお互いに危険を知らせ合っているらしい。これは、人間も例外ではないと言う。
香水や柔軟剤などの人工的な匂いによって鼻が馬鹿になると、いろいろな意味で危険に対応する能力が低下する。日常的に鼻が鈍麻してしまわないように、常に身につける衣服に、香料の強い柔軟剤の使用は控えた方が良い。
治療院にも、こちらの手に匂いが移るような、かなりの柔軟剤ヘビーユーザーがくる。そういう人を操法すると、化学的に合成された匂いにやられて、こちらの頭が働かなくなる。
操法における体の観察というのは、ある種の危険を察知する能力に近いものが求められる。それが、化学合成臭に “やられる” と勘が鈍るというか、集中力が落ちるというか、たとえ僅かではあっても操法の質は落ちてしまう。
治療院では、匂いに対してアレルギーや過敏症を持つ人も来るので、来院される際には香水の使用はご遠慮頂いているが、そのうち 「柔軟剤の過剰使用はご遠慮下さい」 というお願いを追加する日が来るかも知れない。
それとも、「少しでも良い操法を受けたい方は、柔軟剤のご使用をお控え下さい」 とするべきか・・・。
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