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October 2012

 「先(マヅ)体容(カラダノカタチ)を正して・・・」 その2 

「先(マヅ)体容(カラダノカタチ)を正して、後(ノチ)に息を調和(トトノフ)べし」
〔まず姿勢を正しくし、さらに呼吸をととのえなければならない〕
~ 「病家須知」 ~


「息は鼻から出て臍下丹田におさまり、臍下丹田から出て鼻へ漏れる。後には耳からも出て、毛穴からも出るのである」

続いて、耳から呼吸する人をして、「呼吸がととのい精神が集中している」 と評している。

耳や毛穴からも息が出るという感覚があるということは、ただ呼吸が深いだけではなく、呼吸に対応している身体感覚が精妙であるということであろう。
そして、呼吸が深く、かつ静かで細やかであることは、精神や身体もまたととのっていることと同義である。

心が静かであるときには、必ず呼吸もゆったりとして安定している。
精妙な身体運動を強いられる場面では、当然精神も集中していることが求められるが、そうした心身の状態を実現するには呼吸もまた静かで細やかでなければならない。たとえ深い腹式呼吸であったとしても、鞴(ふいご)のような荒々しい呼吸では、動作に精妙さを求めるべくもない。
整体操法でもそうだが、書道、華道、茶道、日舞などの芸事でも、呼吸の深さとともに細やかさは要求される。

また、全身の毛穴から呼吸しているという体感は、心が外の対象物にのみ向いているのではなく、ほどよく自分自身にも向いている、つまり心のバランスが良い状態であることを示している。
外部からの情報や刺激の多い現代では、なかなか自分自身の心や体に意識を向けるゆとりがない。だからこそ、日に1回でも活元運動や脊椎行気法をおこなったり、この病家須知の勧める 「姿勢を正し丹田で息をする」 ことなどを実践することが意味を持つのである。

ちなみに、中国の気功では、「調身」・「調息」・「調心」、ということをいう。体の姿勢を調えること、呼吸を調えること、心を落ち着けること、の三つが気功の修練には重要であるということである。
またこれは、「姿勢を正せば、呼吸も深くなる。呼吸が深くなれば、自然と心も落ち着く。心が落ち着けば、更にまた呼吸も深くなる。呼吸が更に深くなれば、体の力みがとれてより姿勢が調う」 といった具合に、姿勢・呼吸・精神の安定が、三つどもえに相乗効果を挙げていく気功の深化・上達のプロセスを示している。
なお、身体・呼吸・精神の調和の大事については、この病家須知でも十分に語られている。


「口は一切閉じるのがよい。日常の所作においても常にくちびるは閉ざしているのがよい」

呼吸法の中には、野口整体の 「邪気の吐出」 などもそうであるが、ある特別な効果を狙って鼻から吸って口から吐くものもある。しかし、呼吸の基本は鼻から吸って鼻から吐く、である。

現代医学では、近年口腔科の医師・西原克成氏などの活動によって鼻呼吸の重要性(口呼吸の害)が徐々に周知されてきているが、東洋の医学・養生では、昔から鼻呼吸を当たり前のこととして口で呼吸することは戒められてきたのだ。


「癇症のさまざまな症状、肩こり・のぼせ・めまい・胸腹のつかえ・気のふさぎ・差し込み・腹のけいれんや婦人の血の道などは、この姿勢と呼吸法を用いれば、その症状はしだいに改善するはずだ」

癇症とは、感情の起伏が激しすぎることで引き起こされる症状、いわゆるヒステリーのようなことであろうか。
それ以外にも、いろいろな症状は姿勢と呼吸を調えることで解消することが多いと著者の平野重誠は述べている。

以前、時代の変化と一側の硬直 でも書いたが、ただでさえ現代人は情報化社会の波に揉まれ、頭でっかちの 「上実下虚」 になっている。
頭にエネルギーが集まり、みぞおちが硬く閊え、息が深く吸えない。臍下の一点は力をなくし、体は中心を失っている。

丹田に力の集まる 「上虚下実」 の体勢をつくっていくことは、現代人の多くの不調を解決するための王道である。
そして、なにを隠そう (始めから隠してないが!)、整体操法の眼目もまた、腹部第1調律点(みぞおち)が弛み、腹部第3調律点(丹田)に力が集まるよう、 「上虚下実」 に体を整えていくことなのである。


 → 「先(マヅ)体容(カラダノカタチ)を正して・・・」 その3

10月 ― 暑い → 涼しい → 肌寒い

10月 ― 、体に影響を与える最大の要因は、「寝冷え」 である。

真冬ほど寒くはないが、体の方がまだ冷たくなることに慣れていない。
睡眠中、疲労が抜けると共に汗が出る。その汗が、朝方5時~6時頃気温が下がって内攻する。

この時期の寝冷えは、防ぐことが難しい。
たくさん着れば、汗をかく。布団を厚くすれば、剥いでしまう。

秋の寝冷えは年中行事である。あきらめて、脚湯(きゃくとう)をするに限る。

熱めのお湯に膝のお皿の下まで浸けて6~7分。
両足赤くなれば、乾いたタオルで擦るようによく拭いて終わり。
片方の脚が赤くならないようであれば、そちらだけ更に1~2分温める。
赤くなった方は、よく拭いて冷えないようにしておく。

普段の入浴温度よりは、熱くないと効かない。
熱さが足りて適温なら、全身じっとり汗をかく。
もちろん、その汗を冷やしては元も子もない。

朝風呂の方がいいという人は、それでもいい。
熱め、短め、江戸っ子風に入るのがよい。


春は暖かいが、秋は体感的に暖かいということがない。
暑い → 涼しい → 肌寒い。

小春日和は、ぽかぽか暖かいが、寒くなった冬ならではの暖かさである。


今年は夏が秋に食い込んだように残暑が長かったせいか、
この秋は、夏の終わりの後ろ向きな気分を引きずっている人が多い。

体もそうだが、なにより心が季節に乗り遅れている。

気温の変化も急激だった。そのせいもあるだろう。

それとも、あまりにも夏が暑すぎたのか・・・。

「先(マヅ)体容(カラダノカタチ)を正して・・・」 その1 

「病家須知」 という書物がある。

大政奉還まであと35年という、1832年(天保3年)に発行された、わが国初の家庭医学百科・家庭看護指導書である。タイトルの意味は、病家(病人のいる家)は、須く(すべからく)知るべしということである。
著者は、武士出身で医師となった平野重誠(1790~1867)。平野は御匙(将軍の主治医)である多紀元簡に学び将来を嘱望されたが、官職に就かずに町医者として庶民の治療に専心したという人物である。
「病家須知」 の内容は、日々の養生の心得、病人看護の心得、食生活の指針、妊産婦のケア、助産法、小児養育の心得、当時の伝染病の考え方・処置対策、急病と怪我の救急法、終末ケアの心得から医師の選び方まで多岐にわたる。
(※農文協HP参照)

この書には、現在野口整体に伝わっている、新生児のカニババ(胎便)の排泄の重要性や初乳にその排泄促進作用のあることなどが記されており、また終末ケアに関する記述なども整体のそれと基本的な指針において近いものがある。
古今東西の医学書を渉猟したという野口晴哉氏であるから、当然自国の重要な医学書であるこの 「病家須知」 にも目を通したことであろう。

この 「病家須知」 の中に、養生の大事の一つとして、姿勢を正すことと呼吸を調えることが挙げられている。
現代の我々にとっても、非常に参考になる内容なので、ここに紹介したい。


「先(マヅ)体容(カラダノカタチ)を正して、後(ノチ)に息を調和(トトノフ)べし」
〔まず姿勢を正しくし、さらに呼吸をととのえなければならない〕

「姿勢を正しくするには、座るときにまっすぐになるのがよい。背骨が前かがみになるのも、後ろに反るのもよくない。頭はまっすぐに鼻とへそがまっすぐ相対し、かたよったり傾いたりせず、上を向いたりうつむいたりせず、首は伸びているのがよい。肩は力が抜けて下がっているのがよく、いかっているのはよくない。眼の位置を定めて物を見るときは頭とともに動かすようにする。両手は引き寄せて身体に近づけ、膝の上にゆったりと置く。腋の下に卵が一つ入るくらいがよい」

まずは正座を基本にして姿勢の正しいあり方を解説しているが、そもそも正座というのは、日本人にとって自然に腰腹に力が集まり、肩の力が抜ける理想的な姿勢を取りやすい形なのである。

まず始めに「頭の位置」 ということを説いている。頭の位置を正しくするということは姿勢を正す上で重要なポイントである。頭がきれいに背骨の上に乗るように意識するだけで、頚や背中などに力を入れなくても背筋が自然に伸びる。それを鼻と臍というガイドとなるポイントをつくることで、更に感覚をつかみやすくしている。

「頚は昴(ノビ)たるがよし。肩は低(タレ)たるがよく・・・」 とある。 「首を伸ばす」 ではなく、「首は伸びているのがよい」、「肩を下げる」 ではなく、「肩は力が抜けて下がっているのがよく」 となっているところが重要である。
首を意識的に伸ばそうとすると頚や肩、胸などの筋肉に余分な力が入ってしまう。伸ばすのではなく、自然に伸びている状態にあるようにするのである。
そのためには、先ほどの頭の位置を調節するということが一つのポイントになる。頭の位置を楽に上へもっていき、「偏(カタヨラ)ず斜(マガラ)ず、仰(アフムカ)ず伏(ウツムカ)ず」ならば、自然と首も伸びた状態になる。
逆に言うと、頭の位置を調節するときにも首に力を入れてはいけないということである。


「もっとも肝要な心得は、腰から下腹を前へ押すようにすれば、臍下丹田に力が入って気が満ち、息もすべて臍下丹田に届く。胸・あばら・みぞおちにつかえるものがなく、全身の力が臍下丹田・腰のあたりにあることを意識するようにする。しだいに慣れてくると、しいて意識しなくとも、自然にできるようになり、息がのどを出入りするのを意識しないようになるはずだ」

原文では、「腰を以て小腹(シタハラ)を前へ推すやうにすれば・・・」 とあるが、この場合の腰は、いわゆるウエスト部分ではなく、仙骨2番辺りを中心とした骨盤(後面)から腰椎下部辺りであろう。
「前へ推すやうに」 することで、骨盤が立ち下腹部に力が集まる。これを、「ウエスト辺りを中心に腰を反らす」 としてしまったら、全く違う身体運動となってしまう。

ここで、力を入れて推すようにするのも、腹に力が集まる感じをつかむまでで、感覚をつかんで慣れてしまえば、「漸(シダイ)に習慣(ナレ)ての後は、あながちに力をも用ず、自然にかく為得(ナシウル)やうに」 なるということだ。

そして、鳩尾(みぞおち)が弛んで閊えていないということが大事である。いくら下腹部に力が入っても、鳩尾が硬くなってしまっては、かえって体をこわすことになる。

丹田に力が入って気が充ちると、自然に息も深く下腹に入ってくる。
そうなると、喉や胸をつかって息を出し入れする感覚はなくなり、途中を吹っ飛ばして、鼻からいきなり下腹部に息が入ってくる感じになる。


  → 「先(マヅ)体容(カラダノカタチ)を正して・・・」 その2


ダメな子こそ可愛い ― 10種体癖

開閉型10種体癖が弱者を庇うのは、ほとんど本能である。時によっては、ほぼ反射的ですらある。弱い者、可哀相な者を見ると、10種は庇わずにはいられないのである。

10種の人が、誰かのことを悪く言っていたりしても、一緒になってその人の悪口を言ってはいけない。
あなたが調子に乗ってその誰かの悪口を言い募っていると、そのうち10種の人は、「でも、あの人だって可哀想なのよ」 などと急に庇いだしたりする。
「おいおい、そもそも君が先に言いだしたんじゃないか」、と言っても無駄である。完全に梯子を外された形になるが、10種の人の庇い癖には、理屈は通用しないのだ。

10種的博愛主義には救われることも多いが、理屈は抜きにしてとにかく庇うという面が強いので、周りの人が困惑することも少なくない。
捨てられていた猫が可哀想で、といって捨て猫を十数匹も飼ってしまうような人は、まず例外なく10種傾向があると思っていい。愛情深いといえばその通りだが、そのことで迷惑をこうむる人がいる、ということには全く考えが至らない。いつでも目の前の可哀想なもの、弱いものを庇う、抱え込むというのが、10種にとって本能に忠実な行動なのである。

ボランティア精神に富み、大勢の中に入っていき、その中心となって働くことも多い10種である。全体を見渡してみんなが幸せになるように、と考えていそうである。
しかし実際は、その本能的庇い癖は目の前の庇うべき対象に向かって無条件に発動するものなのだ。その結果は、他の人にとっては迷惑だったり、長い目で見ると一人の人間として矛盾した行動となることも多い。

そして、10種は愛情深く、保護本能とでもいうべき愛護精神を発揮するので、さぞかしその庇う対象に対して理解が深いのだろうと思われがちだが、実は相手のことはあまり見えていない。
ただの庇うべき対象として相手があるだけで、相手のことを深く理解しようという気はあまりないのである。
なぜならば、弱者や可哀想な人を庇い抱え込むというその行為自体が開型10種の目的であり、相手が本当に幸せになるにはどうしたらよいのかということは二の次三の次なのである。
いや、もちろん10種も相手の幸せを願っているのは確かであろうが、その幸せは、あくまでも自分の庇護下での幸せでなければならないのである。
であるから、庇っていた相手が力を取り戻して自分の庇護下から離れようとすると、本来喜ばしいことなのに、それを何とか阻止しようとする。そして、それでも離れていく者には、最終的には憎しみを持つ。

ダメな子ほど可愛い、とはよくいわれるが、10種にとっては、ダメな子こそ可愛いのである。

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