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December 2012

「先(マヅ)体容(カラダノカタチ)を正して・・・」 その3

「先(マヅ)体容(カラダノカタチ)を正して、後(ノチ)に息を調和(トトノフ)べし」
〔まず姿勢を正しくし、さらに呼吸をととのえなければならない〕
~ 「病家須知」 ~

「これに続いて心をととのえることを学ばなくてはならない。これは気が散るのをおさめて身体全体に充実させ、気持ちをゆったりと落ち着けて、やたらに物に目がくらみ、うろたえたりすることがないようにするためである。すべての人間の身体は、上半身を軽やかに、下半身をゆったりとしていれば、必ずや健やかで病気もしない。仮に外より邪毒が侵入しても、多くは大病に至らずに治るはずだが、ふだん心の養生ができず、うろたえるから、しだいに胸腹を上の方へ引き上げて、諸々の臓器の位置がわるくなる」

姿勢・呼吸をととのえたら、これに続いて心をととのえることを学ぶべしと、著者は説いている。

心を調えるのは、「 『気』 が散るのをおさめて身体全体に充実させ」 るためである。
「気持ちをゆったり落ち着け」 ること、「外部の事象に心が振り回されないようにする」 ことで、「上虚下実」 の心身を獲得しようということである。


平野重誠は、「総(スベ)ての人の体は、上部軽清(カミカロヤカ)に、下部寛裕(シモユッタリト)なれば、必ず壮健(スコヤカ)にして病なく・・・」と断言している。
また、そのような心身の状態であれば、仮に外から邪毒 (ウイルス、細菌、風・熱・湿・燥・寒の外邪など) が侵入しても多くは大病に至らずに治るはずだという。
それが上手く治らないのは、普段の心構えができていないので、うろたえて 「気」 が上がり 「上実下虚」 になるために体の働きが十全に発揮されないからだと断じている。

「病は気から」 というが、気の持ちようで体の働きは大きく変化する。
昨日まで元気だった人が、検診でガンが見つかったとたんに、がっくりと力が抜けて本当の病人になってしまうことはよくあることだ。仮にそのガンが、体の働きに何の障害も及ぼしていなかったとしても…。
また、自動車事故で亡くなる場合、衝撃によるショックで死んでしまう人がかなりの割合いるという。つまり、ショック死である。経験したことのない大きな衝撃で、心も体もどうしていいか分からなくなり、そのまま死んでしまうというのだ。
心のあり方が、まさに生死を分けることもあるのだ。
溺れて死にかけた人が息を吹き返したときには、ああよかったとホッとしてしまうとそのまま死んでしまうこともあるという。整体では、そういうときは気が抜けないように、「バカ野郎!!」 と怒鳴りつけたり、頬を叩いたりして、憤慨させるのが良いと教えている。


平野は、非常に生命の力というものを信頼しているとともに、その力を発揮するためには、それなりの 「身の修め方」 が必要であると述べている。その重要な要素が、姿勢・呼吸・精神、であるということだ。

これは、直立して、いわば横のものを縦にして進化した人間ならではの問題といってもよいかもしれない。犬や猫、ネズミなどの四つ足動物には、健康上の問題として姿勢の良し悪しは問われないであろう。
そして、直立して脳が大きくなったが故に、心の問題が大きな意味を持つようになったとも言える。


さて、「心をととのえる」、であるが、一つは平時の 「心構え」 ということになるだろう。こういう心の問題は、病気になってから 「よし、このようにしよう」 と思うのは難しい。いざ具合が悪くなってしまった時には、心配、不安が先に立って、落ち着いて心を据えることは難しい。体に不調がない心が平静であるときに、考えておくべきことはたくさんある。

人間は生きている限り、病気にもなれば故障もする。そして誰でも、いつかはこの世とおさらばすることになる。健康と病気は対立するものではない。生きている、ということの中にどちらもあるものなのだ。そして、生きるということは、死ぬことでもある。誰でも、生まれたときから、いつかは死ぬということが決まっている。一日生きたら、一日死に近づいたということである。どう生きるかということは、突き詰めればどう死ぬかということと同じなのである。

少なくとも30歳を過ぎたら、生き死にに関して、一度じっくりと腹を据えて考えることが必要ではなかろうか。そして、折あるごとに繰り返し繰り返し自分に問いなおしていく。生き死にに関して腹が据わっている人には、それ以外になにを恐れるものがあるだろうか。


「実際は、身体とか呼吸とかは、もともと自分の心が外に現われたものである。たとえば影が形に従い、音が声に応ずるようにお互い不即不離のものである。したがって心をととのえれば、身体と呼吸とはことさらととのえなくても、自然にととのうのはいうまでもない」

やる気のある人は、腰が決まっている。意思の表れとして、頚に力がある。目に輝きがある。
心が動けば、体も動く。まさに、影が形に従う如くである。

いつでも、自発的、積極的に心を使っていくことか゛、体をも自由に扱う方法である。
言うは易く行うは難し、とは言うが、心掛けなければ、いつまで経ってもそのようにはならない。心掛ければ、いつかはそれに近づいていく可能性がある。

科学的な態度であるとか、効率を重んじるであるとか、そういったことが心のほとんどを占めてしまっている多くの現代人は、心の持つ働きを信じていない。いや、知らないといった方がいいか・・・。
心の働きが、体に、健康に、そして人生に対して作用する力は計り知れないほど大きい。どのようなことでも、最後は心のありかたにかかってくる。
野口晴哉氏が、潜在意識教育を説いた所以である。


立冬以後

今年は、秋らしい秋がほとんどなかった。

残暑は長くきびしく、秋を大きく圧迫していた。
10月も中旬になり、ようやく暑さが遠のいて、
いよいよ晴れ晴れしい秋が来るかと期待したが、
待っていたのは、天も高くない、馬も肥えない、短い短い秋だった。
少なくとも、東京では・・・。

文化祭や体育祭のシーズンであり、芸術の秋ともいわれるが、
今年の秋は、まったくそういった活動に人々を駆り立てる空気がなかった。

そもそも今年は、夏も十分に夏らしい体にならなかった。
体そのものが、けっして十分に開放的だったとはいえない。
そのためか、呼吸器の働きが旺盛になる秋の体が生まれなかったのだ。

そして今、初冬・・・。
泌尿器に変動が生じやすい季節。
冷えや水分不足で泌尿器に影響が及ぶ。

泌尿器は、整体的には 「捻れ」 のことだといってもいい。
体の捻れ、背骨の捻れ、である。

捻れが全面にでるこの時期は、強情を張りやすくなる。
また、なんにでも反抗 ・ 反発したくなる。
こうしたら・・・、といわれると、そうしたくなくなる。
つい反発して、逆のことをしてしまう。
自分でやろうと思ったことにさえ、そんなことしてなんになる、
と、ふいに嫌になってしまったりする。
他人にも、自分の心にも、逆らってしまう、そんな体の季節なのである。

しかし、この時期は、同時に内省的になる時期でもある。
いつもは目が向かない、自分の心の癖のようなものに、
ふと、気づいたりする。
いつもだったら、どうとも思わないことを、
急に反省してみたりするのだ。

つい強情を張り、自分自身にすら反発してしまうこの季節が、
同時に、非常に内省的になるというのはとても興味深い。
実は、「捻れ」 の裏 ・表、ということだったりする。

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