ダメな子こそ可愛い ― 10種体癖
開閉型10種体癖が弱者を庇うのは、ほとんど本能である。時によっては、ほぼ反射的ですらある。弱い者、可哀相な者を見ると、10種は庇わずにはいられないのである。
10種の人が、誰かのことを悪く言っていたりしても、一緒になってその人の悪口を言ってはいけない。
あなたが調子に乗ってその誰かの悪口を言い募っていると、そのうち10種の人は、「でも、あの人だって可哀想なのよ」 などと急に庇いだしたりする。
「おいおい、そもそも君が先に言いだしたんじゃないか」、と言っても無駄である。完全に梯子を外された形になるが、10種の人の庇い癖には、理屈は通用しないのだ。
10種的博愛主義には救われることも多いが、理屈は抜きにしてとにかく庇うという面が強いので、周りの人が困惑することも少なくない。
捨てられていた猫が可哀想で、といって捨て猫を十数匹も飼ってしまうような人は、まず例外なく10種傾向があると思っていい。愛情深いといえばその通りだが、そのことで迷惑をこうむる人がいる、ということには全く考えが至らない。いつでも目の前の可哀想なもの、弱いものを庇う、抱え込むというのが、10種にとって本能に忠実な行動なのである。
ボランティア精神に富み、大勢の中に入っていき、その中心となって働くことも多い10種である。全体を見渡してみんなが幸せになるように、と考えていそうである。
しかし実際は、その本能的庇い癖は目の前の庇うべき対象に向かって無条件に発動するものなのだ。その結果は、他の人にとっては迷惑だったり、長い目で見ると一人の人間として矛盾した行動となることも多い。
そして、10種は愛情深く、保護本能とでもいうべき愛護精神を発揮するので、さぞかしその庇う対象に対して理解が深いのだろうと思われがちだが、実は相手のことはあまり見えていない。
ただの庇うべき対象として相手があるだけで、相手のことを深く理解しようという気はあまりないのである。
なぜならば、弱者や可哀想な人を庇い抱え込むというその行為自体が開型10種の目的であり、相手が本当に幸せになるにはどうしたらよいのかということは二の次三の次なのである。
いや、もちろん10種も相手の幸せを願っているのは確かであろうが、その幸せは、あくまでも自分の庇護下での幸せでなければならないのである。
であるから、庇っていた相手が力を取り戻して自分の庇護下から離れようとすると、本来喜ばしいことなのに、それを何とか阻止しようとする。そして、それでも離れていく者には、最終的には憎しみを持つ。
ダメな子ほど可愛い、とはよくいわれるが、10種にとっては、ダメな子こそ可愛いのである。