整体操法

うつ伏せ

整体操法では、うつ伏せで、手を体の脇に下ろした姿勢になってもらって、背骨や骨盤を調べたり調整したりする。

なぜこの恰好がよいかというと、体の力がすっかり抜けて、調べるにも操法するにも都合がよいからである。

ただ、この形だと頚などが痛いという人は手の位置を自由にしてもらったり、膝などが痛ければタオルをどこかに入れて痛くないようにしたりする。
人によっては、はじめは窮屈に感じる場合もあるこの恰好だが、調整を繰り返していくうちにだんだんと楽にこの姿勢ができるようになってくるものだ。

この手を下ろしたうつ伏せ姿勢で、顔を左右どちらに向けてもどこにも抵抗も苦しさもなくなったら、それは体のこわばりが取れて本格的に体が整ってきたということでもある。

ただし体癖によって多少のやりやすい、やりにくいということはあって、例えば上下型や前後型では、顎を立てたりして顔を真っ直ぐにした方が楽な人が多い。
左右型や捻れ型の多くは、横向きが楽である。逆に真っ直ぐ向くのは苦手なことが多い。
閉型は、うつ伏せ姿勢が苦手なようで、なんとなく体の収まりが悪いというか、落ち着かない感じがある。

「うつ伏せになって下さい」、といっても通じない人がたまにいて、「下向きです」 と身振りも付けてようやくわかることがある。地域的な言語の問題なのかもしれない。

以前5歳くらいの女の子に、分からないだろうと思って、「はい、上向きになってください」 といったら、「仰向けでしょ」 といわれてびっくりしたことがある。
子供だからといってわからないと決めてかかってはいけないな、と少々反省した。
もしくは、女性は5歳でもレディとして扱うべき、ということなのか・・・?

「膝痛 絶対3回で治します」

「膝痛 絶対3回で治します」、という看板が通勤途中にある接骨院の前に出ていた。どんな状態の膝でも3回の施術で痛みを無くすことができるとしたら、それはすごい技術である。

 

以前、関西から野口整体を習っているという鍼灸師の女性がいらしたことがある。この先鍼灸でやっていくか、整体で身を立てるか迷っているとのことで、参考までに自分の習っているところ以外の整体を体験したかったということのようだ。

その彼女がいうには、整体操法ではクライアントの要望に応えきれないところがあるとのことで、それで鍼灸と整体とで悩んでいるとのことであった。

具体的に整体操法のどういうところが力不足だと思うのかと尋ねてみると、「膝の痛みなどは、整体操法ではあまり良くなりませんよね・・・」 という。どうやら彼女の場合は、鍼灸の方が成績が良いらしい。

その時は、膝が痛くなるにもいろいろと原因があるから、その原因を探ってそちらを調整していけばそれなりの効果はあがるのではないか・・・、といったようななんだかはっきりしないコメントをしたような記憶がある。
それはその通りではあるのだが、今になってみるともっと気の利いたアドバイスができただろうにと思う。

それからもう十年以上たっているが、私の経験値もその分上がり、当時よりはいろいろと技術も工夫がなされている、と思う・・・。
件の女性に言ったように、膝の痛みの原因にもいろいろあって、腰から来るものや、股関節や足首などの関節のくるいが影響しているものや、内臓の疲労や異常から来るものもある。
もちろん膝そのものが震源地の場合もあり、対処の仕方はその時々で変わることになる。

5~6年くらい前だったか、原因はともかく下肢の筋肉の調整と、2つ3つの膝のポイントを愉気するぐらいでとりあえず膝の痛みを軽減する方法を見つけた。
ちょっとした骨格的なトラブルで痛みが出ているような場合は、これだけですっかり良くなってしまう場合もあり、それこそ1回でウソのように痛みが消えててしまうこともある。
最近は、この方法で痛みを軽減しつつ、本当の悪いところを合わせて調整していくことが専らになっている。

 

私の場合、痛みでも他の症状でも実はあまり熱心に症状を無くそうとはしていないことも多い。もちろん今痛くて苦しんでいる人には痛みに対して軽減するような処置はするのだが、操法の主眼はどうしても、「体そのものを自然な状態に向かって整えていく」 ことに置くことになる。
それで痛みがすぐに消えることももちろんあるが、体の状態が良くない人の場合、痛みを抱えたまま頑張ってもらうことも少なくない。

痛みも他のいろいろな症状も、体の働きが上手くいっていないことの結果であって、症状だけを抑えることをしても、根本的な解決には至らないことが多い。
痛みなどの症状が現れたことは、体のアラートであって、それをきっかけに体そのもののあり方を改善していくことが整体のメインテーマなのである。

・・・ が、しかし、どんな状態の膝でも3回で痛みを無くす技術があったら、それはもちろん素晴らしい。始めに痛みを取っておいて、それからじっくりと体の改善に取り組んでいただければいいのだから・・・。

体のことに絶対ということはないし、必ずしも早く痛みを止めることが良い場合ばかりでもないが、痛みを止める技術も高度であればあるほどいいに決まっている。使うか使わないかは、その後の問題だ。
痛み止めの操法も、もっと研究しなければならない。立て看板のおかげで、また新たに意欲が湧いてきた。

修練

整体操法は、「体術」、すなわち、「体」 を使って行なう 「技術」 である。

「体術」 である整体操法を 「身につける」 ということは、文字通り 「体で覚える」 ということである。いくらやり方を習っても、それを実際に使えるように修練しなければ、整体操法を習得したことにはならない。

空手の突き方、蹴り方、受け方を習っても、練習して威力を発揮して実戦・護身に役立てるようにならなければ空手を身につけたとはいえない。それと同じことである。

私が整体を学んでいた頃も、習っただけで練習もせず、講座にきては 「難しい、難しい」 を連発している人がいた。練習をしているかどうかなんて、素人から見てもすぐにわかるものだ。
そもそも高度なものを学んでいるのだから、難しいのは当たり前である。練習もせずに、できると思っている方が不思議でしょうがなかった。

操法は相手があってのものだから、練習の台になってくれる人がいないとどうにもならない部分もある。しかし、それ以前に一人でできることもたくさんあるのだ。

私も跨ぎの型がなかなかできず、二つ折りにした座布団相手に結構練習した。これは人の体を観るようになっても、かなり長い期間続けていた。
実際の臨床で日々操法をおこなっていても、それとは別に練習は必要だと思う。バレエをやる人が、一生バー・レッスンを続けるのと一緒だ。
実践でしかわからないことは多いが、繰り返しの練習の中でしか得られないものもまたある。

跨ぎの型などは、始めのうちは足腰がつらいものだが、それも型が決まるようになれば楽にできるようになる。ただ、そうなるにはやはり修練の積み重ねが要る。
身体運動論やボディーワーク的なことを研究したりして、しゃがむと座骨は開くとか、骨盤底の筋膜がどうだとか、そういったことも役には立つ。また、イメージの持ち方を変えるだけで動きが改善されることもよくあることである。
しかし、最後は体を使って繰り返し、しかもある程度の時間と期間をかけて修練する以外に型を自得することはできないだろう。

少なくとも、プロでやっていきたいと思っているのであれば、それくらいの修練は当然必要なものである。それは職人になるにも、楽器奏者になるにも、どの世界でも当たり前のことだ。

ただし、教養として、家庭療法として、自分や身の回りの人のために整体を役立てたいという人は、きつい修練など全く必要ない。

基本的には 「愉気」 一辺倒でいけばいい。愉気だけなら、楽しんで覚えていけばどんどん上手になる。
愉気にも相手との関係の中での作法的なものや気の感応を上手に図る方法などはあるが、みな楽しんで学べる範疇のことばかりである。

プロとしてやるのでなければ、操法も覚えれば覚えただけ役に立つ。ただ手を当てて愉気するよりも、たとえ研ぎ澄まされた技術でなくても、習ったとおり操法の型を以て押さえた方が効果が上がることも多いからだ。

整体の世界は、裾野は広く、頂は険しい。無理に登らなくても、裾野にいて十分楽しめるし、役に立つのも整体のよいところだ。

ただし、高く登ろうとすれば、やはり装備を充実し、知識を蓄え、気力を充実し、足腰を鍛え、心肺機能を高めていかなければならない。

真・行・草

真・行・草とは、書道でいえば、「楷書」・「行書」・「草書」 のことである。

整体の型も、長年修練してくるとだんだんと行書、草書になってくる。

しかしそれは、楷書をしっかり学んで体にきっちりと覚えこませてのち、それを運用しているうちに自然と動きの角が取れ、無用の間が詰まり、無駄が省かれてくるということである。
初心者が、先生が気軽にちょいちょいと操法をしているのを見て、あれが本当の操法だと真似をしてみても、似て非なるものが出来上がるだけである。いや、おそらくそれは似ても似つかない代物になるだけだろう。

長年操法をしている者でも、ときに楷書に戻って自らの 「型」 を確認することは必要である。いつの間にか易きに流れて 「型」 が崩れていることがあるからだ。
ましてや初学の者は、きちっと真の 「型」 を身に着ける努力をしなければならない。これは整体に限ったことではなく、どの世界でも同じなのではないだろうか。

整体操法の 「型」 には、跨ぎの型のように、足腰がつらいものもある。また、日常の体の使い方とは違う動き方を求められるものも多い。
しかし、そこで足が楽なように自分なりの格好にアレンジしてみたり、型通りに動こうとせずに日常の動作の延長のように手先だけでやったりすれば、それはもはや整体操法ではなくなってしまう。

真・行・草、始めに真が来るのは、そこに真実があるからである。真実はそう簡単につかめるものではないが、真の 「型」 には、最もわかりやすく真実が示されていることは確かである。

作法

整体操法には、「型」 がある。どこを押さえるのでも、ただ押せばいいということはなく、必ず「処(急所)」 を押さえるには型を以ておこなう。

正座の型、蹲踞の型、跨ぎの型のように基本的な構えがあり、その上にそれぞれの操法における様式としての型がある。

様式といっても、もちろん見た目を良くするために、ただそれっぽい恰好をするということではない。型は合理的に体を使い、かつ最良の効果をあげるために、長い年月をかけて研究され構築された機能的に優れた身体技法である。

整体操法は、一種の 「作法」 といってもよいと思う。作法というと、なにやら堅苦しいイメージもあるかもしれないが、そもそも作法とは、心身を合理的にコントロールするための便利なガイドである。

箸を箸置きから手に取るとき、作法に従って動けば、まず右手で取り上げて、左手で支えるようにしてから、右手を箸を使う位置に滑らせる。ここまで三動作かかる。
右手で持って、そのままちゃっちゃっと指を動かして、片手で持ち替えてしまえば早いような気がするが、実際にやってみると作法に則っている方が動きに無理がなくてやりやすい。また端から見ていても、動作が滑らかで美しい。

作法に沿った動きにはうつくしさがある。つまり、行儀がいいということは、見苦しくないということだ。

テーブルの上にペットボトルとグラスがあったとしよう。ペットボトルを取って直接飲んでみる。つまりはラッパ飲みだ。
次に一度グラスについてから飲んでみよう。どうだろうか、一度グラスについでから飲んだ方が、手順は増えても動きとしては無理がなく気持ちよく飲めるのではなかろうか。
なによりも、ラッパ飲みしたときと、グラスに注いでから飲んだときでは、その後の体の感じが全く違う。グラスに注いでから飲むと、ラッパ飲みにくらべて体もスッと纏まりがあるし、気持ちもすっきりと静かな状態にあるのではないだろうか。
これは、上述の箸の扱いにしても同様である。

作法に則った動きは、体も楽で快適に働かせることができる上に、身体の感覚とリンクしている心の状態をも整えてくれる力がある。
整体操法も作法だと思ってみると、型の持つ意味も理解しやすいし、間の取り方や呼吸のあり方なども教わらなくても自然と決まってくる。

整体を学ぶ人は、行住坐臥、普段からお行儀よくすることが、実は上達の早道だったりする。

体を変える 「スイッチ」 2

整体操法は、全身の働きを調整するといっても、その手段として全身をくまなく押したり揉んだりするものではない。どちらかといえば方法論としては反対で、なるべく効率的に少ない刺激で体を整えるのがよいという考え方である。
こちらの働きかけが必要なところもそうでないところも一緒くたに揉んだり押したりすることは、体を鈍くもさせれば、自力で回復する力を奪うことにもなる。たくさんやるのが親切だ、または数打てばどれかが急所に当たるだろうといった態度は、整体ではもっとも嫌うところである。

操法では、背骨を中心に体のあちらこちらを押さえたり揺すぶったりすることもあるが、それはあくまでも体が今どういう状態にあるのかを調べているのであって、愉気を以て体と対話しているようなものである。イメージとしては、潜水艦がソナーで音波を出して周囲を探索するのに似ているかもしれない。
もちろん、その調べ自体も愉気でなされることと、本当の急所を見つけるために料理であら熱を取るかのように表面的な疲労を取っていくので、調べているだけで体が楽になり整っていくということも確かにある。
ただし、調べはあくまで調べであり、そこから読み取ったことから操法を組み立てるのである。そして、その組み立てていく中には、「本日の急所」 とでもいうべき 「スイッチ」 を捜すことも含まれる。

その日、その時、その人を変える急所というのは、体の中にそうたくさんあるわけではない。たいていは、2~3箇所。本当にその時の体を変える急所というのは、一点であることが多い。その 「スイッチ」 を見つけることが、操法の中でも重要となるところなのだ。
さらに、その 「スイッチ」 は、毎回はっきりとした形で必ず 「ある」 とも限らない。体の変化の波の中で、静止したかのような凪の時もあり、そういうときには 「スイッチ」 も姿を現さない。また、体が鈍ってしまっている人、すなわち体が変化する能力を失ってしまっている人などは、埋もれてしまった 「スイッチ」 が出てくるまでに、時間(期間)をかけて硬直・鈍りを 「解凍」 しなければならないこともある。


いろいろな急所の中でも、一気に気分や体調を変えて元気が出る 「元気スイッチ」 は、一回の操法の組み立ての中でも、長期的な組み立ての中でも、まずは大事な急所である。
体というのは、悪いところを片っ端から治していけば、最後にはすべて良くなって元気になる、というものではない。まず元気にしていくと、その体の勢いで悪いところが治っていくのである。その意味で、まず 「元気スイッチ」 をON!にするということが、操法の組み立ての中で短期的にも長期的にも重要な要素となるというわけである。

「元気スイッチ」 にもいくつかの系統がある。疲労の中心とでもいうか、全身の疲労感をもたらしている実態としての部分的な硬直。さらにその中の、ここさえ弛めば全身の強張り・閊えが連鎖的に一気に解除されていくであろうという一点。
また、体のエネルギーの発散が上手くいかずに鬱滞してしまっている状況も、疲労感に似た倦怠感・停滞感がある。このエネルギーの閊えを開放する一点。これも一気に身も心もスッキリさせる 「元気スイッチ」 である。
体が季節の変化に対応しきれずにいる場合、その季節に乗り切れずにいる閊えを取り除く一点。これも、「元気スイッチ」 となることが多い。
つまり、体のや心の 「閊え」 が元気を失わせていることが多いということだ。その停滞を解除する一点が、「元気スイッチ」 となるわけである。

そのスイッチの場所は、時と場合によって変わってくるわけだが、体癖によっても、ある程度 「元気スイッチ」 の現れやすい場所が決まってくる。たとえば、左右型はお腹にスイッチが現れやすい。左右型特有の消化器系の問題や感情の問題が腹部に出るのである。捻れ型は、どこを押さえるかということもあるにはあるが、それよりも第3腰椎に焦点を集めて腰を捻ることが 「元気スイッチ」 をON!にする方法になっていたりする。
前回ちらっと書いた運動焦点も、体癖と密接な関係にある。また、どんな言葉をかけると元気が出るか、意欲が出るか、そういうことも体癖によって決まってくる。
実は、「元気スイッチ」 は、体にだけついているわけではない。気持ちの方にスイッチがある場合も多く、心のスイッチを上手く押すことができると、場合によっては体のスイッチよりも大きな変化が呼び起されることもある。

体を変える 「スイッチ」 1

ある学習塾のCMで、「やる気スイッチ」 というのが出てくる。どの子にも 「やる気スイッチ」 は必ずあって、そのスイッチさえ押せば、勉強も猛烈にやる気が湧いて来るという魔法のスイッチなのだ。
問題は、そのスイッチのある場所が子供によって一人一人違うということだ。CMでは額にあったり、背中にあったり、後頭部にあったりするのだが、つまりは人によってやる気を起こさせるポイントは違うということだ。その学習塾では、子供の個性や性格に合わせた指導法で、上手く 「やる気スイッチ」 をONにするということなのだろう。

さて、整体操法の世界においても、やる気スイッチではないのだが、体を一気に変えるスイッチのようなものがある。それは、やはり個人個人で場所が違うし、同じ一人の人でも時によって場所が違い、頚にあったり、腰にあったり、腹部にあったりする。

整体では背骨の観察を重視しているが、それは背骨及びその周囲の筋肉に心身の状態がリアルに表れるからである。背骨自体の転位(ズレ・歪み)、椎側(一~四側)と呼ばれる背骨の両サイドの筋肉の緊張・硬直・硬結・弛緩とその感覚変化として圧痛・過敏・鈍りなど、背骨に表れる異常は身体の働きのあらゆるところと関連している。
もちろん、その背骨周囲の異常自体が体を一気に変えるスイッチになっていて、それを調整することで体がいっぺんに整うこともある。
一方、その脊椎の異常を整えるために、別の部位を刺激した方が上手くいくこともある。たとえば、頚椎部に異常があっても、直接その異常箇所に愉気するよりも、その異常が起こる原因になっているところを調整した方が頚椎が整うこともある。7つある頚椎のうちどの椎骨に異常があるか、一側の異常なのか二側の異常なのかなどによって違ってくるが、目・頭・肩甲骨・肩関節・上肢・腹部などのどこかにスイッチがあって、そのスイッチを押せば(その部位を調整すれば)、頚椎の異常が解消することもある。

スイッチにもいくつか種類がある。まずは、ともかく心や体の閊えがとれて、スッキリ快適になるスイッチ。なんだかわからないが元気が出てきて、それこそやる気が出てくるスイッチ。いってみれば、「元気スイッチ」 とでもいうようなスイッチで、これは操法の中で高頻度で使われるスイッチである。
体が良くなるには、悪いところをどう治そうかと考えるよりも、まずは元気が出るようにする、気分が明るくなるようにすることの方が大事である。体は、「治すものではなく、治るもの」 であるからだ。

「元気スイッチ」 は、その人の心身の働きの閊えているところ、つまりは疲労して働きが停滞しているところにあるともいえる。その部位に生じている異常、硬直なり硬結なりを愉気・整圧して調整すると、一気に気分も体も楽になる。
全身が疲れているように感じている場合でも、実際はある箇所・ある系統の疲労であることが多く、その部分的に偏ってある疲労を解消すると、全身がスッと軽くなるのだ。

「元気スイッチ」 は、脊椎であれば、よく指圧やマッサージで施術の対象となる二側(いわゆる脊柱起立筋の盛り上がったところ)の硬直よりも、一側や三側にあることが多い。一側は背骨の棘突起の際を縦に走るラインで、精神的な問題、ストレスや感情のもつれなどにからむ。三側は脊椎起立筋の外縁のラインで、多くは内臓の異常と関連する。一側・三側の硬結を処理すると、その直後からサッと気分が変わり、体も楽になる。
また、腰椎には運動焦点と呼ばれる、その人特有の偏って力が集まるところがある。これは体癖とも関係するのだが、この腰椎の運動焦点は、その人の力の入りやすいところである。つまりは、同時に疲れもたまる場所であるわけだ。ここを調整すると、体は元気を取り戻し、新たに活動するための活力が湧いてくる。

顔面神経麻痺

前々回まで、肛門(痔)の話から、大腸~十二指腸~胃~食道・咽喉~口内と消化器系を下から登ってきたが、口角炎で消化管の外に出たので、ついでに顔の問題にも触れてみよう。

今回取り上げるのは、顔面神経麻痺。ある日突然、顔の半分が麻痺して、だらりと垂れ下がってしまう。目も半開きで閉じず、額の皺も半分消え、口はしっかり閉まらず端から水が漏れてしまう。口笛も吹けなくなる。顔面神経麻痺とは、こんな症状である。

ヘルペスウイルスが引き起こすと言われたりするが、直接の原因は、頚や耳下腺などの局所的な冷え、例えば長時間風が当たっていたとか、汗をかいたまま急激に冷やした(汗の内攻)とか、そういうことが多いのではないかと思う。

現代医学の方ではあまり有効な治療法が無いようであるが、整体では割ときれいに治ることが多い。
外傷や腫瘍などが原因のものはまた難しい問題を含んでいるが、いわゆる特発性(原因不明の)顔面麻痺は、急処を的確に捉えさえすれば、多くはどんどん良くなっていく。

急処は、頚・顔・胸椎椎側・肩甲骨内側・腕などにあるが、症状が起こっているときはどれも手応えがあるというか、反応が出ているので、意外と急処がつかまえ易いのではないかと思う。

さて、顔面神経麻痺の操法手順の一例だが・・・


1.仰臥で後頭骨下縁及び上頚(第2頚椎三側)を四指を使って一定圧をかけて愉気。
  ほとんどは患側が硬直しているので、そちら側にウエイトを置く。

2.眉頭の骨の凹み・目の下頬骨の凹み・小鼻の脇の凹み・オトガイ孔、
  そしてこめかみに愉気。

3.耳の下(耳下腺のあたり)を人差し指か中指を当ててじっくり愉気する。
  ここは、重要ポイントの一つ。顔の痙攣などもここが急処。

4.坐位になってもらい、頭部第2調律点
   (耳の前を上がったラインと、瞳の中央を上ったラインが交わるところ)
   に愉気。 ( → 頚椎の硬直も弛む)

5.第2~第4胸椎の四側(肩甲骨の内側縁あたり)の硬直を外へ向けて押さえる。
  小さいヌルリとした塊の中に、更に小さい硬いもの(硬結)があるので、
  それをつかまえて愉気。

6.患側の上肢第七操法か、肩甲骨はがし。

7.患側の化膿活点(上肢第6調律点)を2~3回はじいて、上に向けて愉気する。

8.第4胸椎二側をしっかりと押さえる。


1.の上頚だが、たいてい麻痺がある側が硬直して第2頚椎が歪んでいるので、7対3ぐらいの割合で左右差をつけて押さえる。操法の極めに、坐位で最後にもう一度押さえることもある。

2.の顔の急所は、どちらかというと三叉神経のポイントの様に見えるものもあるが、顔面神経麻痺でもこれらの処に反応が出ており、愉気することで回復に効果を現す。

5.の第2~第4胸椎の四側の硬結だが、わかりにくい場合は伏臥で見てもよい。多くの場合第4胸椎の四側、肩甲骨の際の内側あたりにあるが、かなり小さな独特の感触がある硬結である。
これを上手くつかまえられると、操法の効果がはっきりする。人によっては、これを押さえると顔に響く感じがある。顔の麻痺を治す、魔法のポイントである。

7.の化膿活点は、顔面神経の系統の終末がこのあたりまできていると考えて良い。実は、化膿活点と肘の中間あたりに、化膿活点によく似た感じの硬結があり、これも顔面神経麻痺の急処である。よくわからなければ、化膿活点でも良い。

8.最後に第4胸椎をしっかりと整圧しておく。5.の四側の硬結もそうだが、第4胸椎を丁寧にしっかりとやっていくと、顔の形がどんどん変わっていく。


また、本人にも、顔の活元運動をやってもらう。活元運動を知らない人は、とにかく顔をいろいろに動かしてもらう。動かなければ、指で補助して動かしても良い。

顔面神経麻痺の治療は、発症してからなるべく時間が経っていない方が有利である。直後からなら、なお良い。
しかし、発症後半年以上経ってから操法を始めても、1ヶ月ぐらいでほとんど良くなってしまった人もいるし、交通事故で顔面神経麻痺になって数年経っているという人も、じわじわと改善してくるので、必ずしも発症直後からでなくても効く。


口内炎

新年になって、口内炎・口角炎ができているという人が何人かいた。
口内炎ができると、「胃が悪いんじゃない?」、と言われたりする。
口の中も消化管の一部であり、確かに食べ過ぎると口内炎ができることもある。
また、口内炎もひどくなると潰瘍化したりして、胃の異常と似たような状況が起こる。

口内炎は、ストレス・疲労の蓄積・睡眠不足などから起こることも多い。
年末年始で、生活が不規則だったり、飲み過ぎ・過食が続いたり、帰省などの疲労・ストレスなどで口内炎になっている人もいるだろう。

口の中の問題は、唾液の分泌に関することが一つ重要になる。唾液の不足が、口内の様々な異常と関わっている。
そこで、耳下腺・顎下腺・舌下腺などの唾液腺の働きを調整することが、口内炎などの口内の異常を治すために有効となる。

一つは、耳下腺・顎下腺を直接刺激する。耳下腺は、耳たぶの後ろの凹み。よく風船などを膨らまそうとして痛くなったりするところである。ここを、ふわっと押さえて愉気をする。強く押しすぎては、いけない。押さえることよりも、愉気するということに重点を置く。
顎下腺は、顎のウラを押さえて愉気する。親指でも他の指でもよいので、顎の骨の裏側を触るような感じで押さえて愉気をする。これも、押すというよりは、顎の裏に指を入れていくという感じで行う。

もう一つは、唾液が出ないことの主な原因となっている自律神経の乱れを調整する。この場合は、頭部第2調律点が良い。頭部第2調律点は、耳の前を上に登っていく線と、左右の目の中心を上に登っていく線が交わる2点である。ここを押さえて、じっくりと愉気する。

それから、上肢の急処も使う。肘の曲がり角と上腕にある上肢第5調律点・第6調律点を押さえておく。
これらの調律点は、化膿止め・消毒の意味で使う。
また、上肢第4調律点は消化器と関係が深く、ここも口内炎の急処である。

なお、同じ口の中でも、舌に症状が出るものは生殖器系、いわゆる婦人科系に問題があることが多い。舌というのは生殖器、特に子宮と関係が深い。
もちろん、生殖器に関連する処を調べなければいけないが、とりあえず以前記事にした恥骨の操法が効くことも多い。

それから、口の両端がただれたり切れたりする口角炎は、胃腸ではなく泌尿器系の変動である。
確かに食べ過ぎると口角炎になることがあるが、これは過食が続いて腎臓が疲労したために起こる。
過食を改めるのも当然必要だが、この時期は冷えと乾きも泌尿器に影響している。足湯水を飲むことを積極的に行なうと良い。

喉につかえる 胸につかえる

正月になるとおもちを食べる機会があると思うが、毎年餅を喉に詰まらせて亡くなる人が出る。
日頃から、どうも物が詰まりやすいという人は、注意が必要だ。

同じ物がつかえるのでも、喉につかえる人は第6頚椎、胸に(食道に)つかえる人は、第4胸椎が硬くなり動きが悪くなっている。これらは、その一側・二側の硬直・硬結を弛めておけば、つかえなくなる。

いざ物がつかえてしまった場合は、喉なら第6頚椎、食道なら第4胸椎を叩く。隣の骨を叩かないように、左手の人差し指か中指を目的の椎骨に当てておいて、その自分の指の上から手刀(チョップ)で叩く。叩き方は、トントントンとリズミカルに。強さはいらないが、速度は必要。上手くやると、スッと通る。喉の場合は、咳と共にスポッと出てくることもある。

なお、第4胸椎は心臓と関係があって、叩くと気分が悪くなったり、唇が青くなったりするので、実地練習はお勧めしない。
ちなみに、第7頚椎は叩打すると一時的に視力が良くなる。叩き方の練習をするなら、第7頚椎が良いかもしれない。ただし、くれぐれも強く叩かないようにする。打つより引くに重点を置くぐらいでよい。

しかし、餅などの粘度の高い物が喉に詰まり気管をふさいでしまったときは、生兵法は怪我の元、救急車を呼んだ方が良い。
そして、掃除機で餅を直接吸引する。これで一命を取り留めた人は結構いるらしい。
もちろん掃除機は掃除の道具で救命機器ではないのだから当然リスクもあるが、いざというときは背に腹は代えられない。
できれば、細いノズルがあれば、なお良いという。
もっと良いのは、日頃から第6頚椎・第4胸椎が硬直しないように、調整しておくことだが・・・。