2005.01.26

しおり

治療院で、健康に生活するためのちょっとしたコツを書いた小冊子を出している。内容は、季節の変化に対処する方法、入浴・睡眠・運動に関すること、妊婦さんへのアドバイスなどである。タイトルは、「健康生活のしおり」 という。
このブログのカテゴリーにも 「健康生活のしおり」 という名称を使っている。また、白山治療院のHPには、「更年期のしおり」 というコンテンツをもうけている。

「しおり」 というと、本の読みかけのページに挟んでおく目印のことを思い浮かべる人が多いと思う。しかし、元々 「しおり」 というのは、山道などで迷わないよう目印のために木の枝を折って道しるべとすることであるという。普通 “栞” と書くが、“枝折り” とも書く。

人は本来健康で愉快であることが自然である。その自然が破られると、病気になる。
健康に生きるということは、自然に沿うということだ。健康になる道というのは、裡の自然を取り戻していく道である。科学、医学が進歩したために、かえって分からなくなってしまっていることも多いと思う。頭でっかちになって、自然に反したことを是とすることも少しも珍しくない世の中だ。
そんな中で、健康に、いきいきと愉快に生活するための道しるべとなってくれたらいいと思って、「健康生活のしおり」 というタイトルにした。整体の知恵が、当たり前の健康な生活を取り戻すための 「しおり」 となってくれればと思っている。

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2004.12.15

またまた、「水」を飲むということ

体の乾くこの時期、治療院でも「水」を飲むことを奨めている。体が徐々に乾き出すのは、秋の彼岸過ぎくらいから。10月も半ばになると、ベテラン組には「そろそろ水分ですね」と、こちらが言う前に先に言われてしまう。私が毎年うるさく「水」、「水」と言うからかと思ったが、そうではないらしい。2年、3年と水分補給に気をつけていると、体の乾きに敏感になり、自然と水分を欲するようになるようだ。

私が「水」、「水」と言うようになるのは、だいたい11月に入ってから。このぐらいの時期になると、くちびるが乾いたりして、乾きの実感も出てくる。しかし、初めて言われた方の中には、冬に「水」を飲むということに抵抗のある方が意外と多い。

どうも、寒くなってくる時期に「水」を飲むのは、体が冷えて良くないのではないかと思うらしい。なんとなく、暖かいものの方が体に良いのではないかという先入観のようなものができあがっているようで、「お茶や紅茶より、水の方が体が潤います」といっても、なかなか賛同が得られない。
なるべく「水」を飲むのは避けたいらしく、「それでは、ハーブティーならいかがでしょう」と次なる候補を上げる方もいる。中には(なぜか)憤然として、「お茶は体に悪いのですか?!」と気色ばむ方もいる。(笑)
もちろん、お茶や紅茶、コーヒー、ハーブティーも飲んでかまわない。また、それらの飲み物にもそれぞれ良いところはあるのである。しかし、体が潤うということを考えると、「水」を飲むのが一番良い。というか、「水」でないとダメなのである。

これは、体験してみるとすぐにわかる。体の潤う感覚が鈍い人は、すぐにはわからないかもしれないが、1ヶ月も続けるとわかるようになる。「水」を飲むのと、お茶や紅茶などでは、吸収が全く違う。お茶や紅茶など、「水」以外のものでは潤わないのである。

また、体は潤っているほど寒さにも強い。体が乾いて干からびてくると、とたんに寒さが堪えるようになる。その意味からも、冬に水分吸収の良い「水」を飲むことは大切である。
子供などは体の要求に敏感なので、寒い真冬でも水をゴクゴク飲む。屋外で遊んでいるときでも、食事中でも、お風呂でも、どこでも「水」を要求し、たくさん飲んでいる。
大人になると変に知恵がついてしまい、体の要求よりも頭の中の先入観が勝ってしまう。それをくり返しているうちに、体の要求自体がはっきりしなくなり、次第に「水」を飲まなくなってしまうのだ。

人間の体は、60~70%は水分であるという。水分の摂取は、体にとって重要なことである。「水」を飲むことは、簡単でいて効用がたくさんある。
論より証拠、百聞は一見にしかずである。「水」を飲むことの効用を、そして身体が潤うことの快適さを、ぜひ体で実感して欲しいと思う。

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2004.03.12

花粉症なんて、いらない

「花粉症は簡単に治る」 、といったら、驚かれるだろうか。 しかし、少なくとも症状を軽減することは、さほど難しいことだとは思っていない。

現代医学では、いわゆる花粉症と呼ばれる一連の症状は、杉花粉などがアレルゲンとなって起こるアレルギーであるとされている。 杉や稲科の植物の花粉などが抗原となり、それに対して抗体が作られ、その抗体が過剰に反応してしまう、免疫の過敏現象ということだ。
もちろん、細胞レベルでそういう現象が起こっていることは事実だろうが、整体法の観点から見ると、もう少し違ったものが見えてくる。

花粉症になる人の体には、ある共通した特徴がある。 それは、冬の体から春の体への移行がスムーズにいかないということだ。
人間の体は、四季の変化に対応して、春には春の、夏には夏の体へと変化している。 初夏から梅雨を一季として、五季の変化といった方が実際的だ。
ともかく、一年中同じ体でいるわけではない。 野ウサギが夏には茶色く、冬には白くなるように、人間の体も季節にあわせて変化している。

冬から春への変化は、「ゆるみ」 ・ 「開く」 変化だ。 冬の間、寒さに耐え、エネルギーを蓄えるために固めて閉じていた体が、春になるとゆるみ、開いてくる。
その変化は、後頭部から始まる。 頭蓋骨は、一つの大きな骨ではなく、いくつものパーツが組み合わさってできているが、冬の間は、頭蓋骨もキュッと閉まっている。 その頭蓋骨(後頭部)が、だんだんにゆるみ拡がってくるのだ。 人間の体は春を先取りして変化するので、その変化はまだ寒い1月中に起こる。

次に肩甲骨が開いてくる。 冬の間、背骨の方に寄って上に持ち上がっていた肩甲骨が、春になると、下におりて外側へと拡がってくる。 これがスムーズにいかない人が、花粉症になる。
実はこのとき、肩甲骨と連動して、頬や鼻の骨(顔面頭蓋)の縫合がゆるんでくるのだが、肩甲骨が開かないと、これがうまくいかない。 そうすると、目鼻や口の粘膜に症状が出てくる。
花粉症の起こる人は、春に肩甲骨の開きがうまくいかない人なのだ。

血液検査などをして、杉花粉のアレルギーと診断された人も、体が季節に適応できるようになると、自然にその症状はなくなってしまう。
病院に行くと、だいたい「アレルゲンの特定が大事です」 といわれるそうだが、問題はアレルゲンが何かということではなく、自分の体が 「自然」 な状態か否か、ということではないだろうか。
自分の、働きの鈍った体をそのままに、アレルゲンを排除しても、また違ったアレルゲンが感作されるだけである。 「相手代わって主代わらず」、ということになってしまうのではないだろうか。

冬から春への体の変化をスムーズにするには、もちろん整体操法による体の調整も有効である。 しかし、それ以前に、四季(五季)の過ごし方を考えなければいけない。 たとえば、汗をかくべき夏に、エアコンのきいた部屋にばかりいて、汗をかかないでいてはいけない。 冬には、冷えの問題もあるが、体の乾きに注意しなければいけない。 それぞれの季節に、その季節にあった過ごし方をすることが、当然ながら冬から春への体の変化もスムーズにする。

花粉症の症状自体は、何とか春の体に変化しようとする、体自身の正当な働きの結果起こっている。 目鼻の粘膜がグジュグジュするのも、くしゃみが出るのも、何とかそのあたりをゆるめようという、体の 「苦肉の策」 なのだ。
だから、アレルゲンを特定して排除したり、減感作療法などで特定のアレルゲンによるアレルギー反応を抑えても、次の抗原候補を探し出してアレルゲンにしてしまう。 使えるものは何でも使うといわんばかりに、猫の毛でもハウスダストでも、次のアレルゲンとして採用してしまうのである。
しかし、体が自然な状態になってしまえば、花粉症はいらなくなってしまう。
整体では、病気を治そうと、気張って操法することはない。 ただ、その人の体が自然な状態になるように、体の働きを十全に発揮できるように整えるだけである。 しかし、結果、花粉症がなくなってしまう。

シーズンになってから、「なんとかしてくれ」 と来院されても難しいが、前年の夏頃からきてくれている方は、症状がなくなってしまうか、症状が残っても、 「だいたい、2、3割~半分ぐらい」 でおさまっているといわれる。
2シーズン目になると、もっと成績がいい。 もちろん、ウソのようにすっきりと症状が消えてしまう人も多い。 そういう人は、体が自然を取り戻したので、もう花粉症が、いらなくなったのだと思う。


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2004.02.27

おいしいものが体にいい

整体操法を受けたり、活元運動をしたりして体が整ってくると、食の好みが変わってくることがある。 好みがはっきりしてくるといってもいい。 食べたいものと、食べたくないものがはっきりしてくるのだ。
体が整うと、体に合うものはおいしくなり、合わないものはまずくなる。 健康であれば、体が必要としているものは自然と食べたくなるものだし、実際に、食べておいしいのだ。
織田信長が京に入ったとき、京の食事は味つけが薄いといって、公家達に「いなか者」と陰口をたたかれたというが、労働している者、運動している者は、塩分を必要としている。 労働しない公家の食事が味気なく、塩気が足りなく感じるのは当然だ。

食べたいもの、おいしく感じるものが、体に合っているのだ。 いくら栄養学的にバランスのよい食事といっても、そのときそのときの体の状態によって、必要なものは変わってくる。 食べたいものを食べるのがいい。

そういうと、「それでは、スナック菓子だけ食べていてもいいのか」 などといい出す人がいるが、そういう人は、体が自然な状態にない人で、心もバランスを欠いている人だ。
しかし、そういう人でも、体が整うと、自然に心の歪みもなくなってくる。 それと同時に、食に対する感性も変わってくる。

また、体が整うと、食べる量も自然と適量になる。 適量になると、それ以上食べたくなくなる。

整体法の食に対する考え方は、頭であれこれ考えて食べ物を選り取るよりも、何を食べても大丈夫な体をつくる方がいいというものだ。 悪いものを食べてしまっても、毒素をどんどん排泄できる体がいい。 少ない食べ物からでも、効率よく栄養を吸収できる体がいい。 そういう体をつくっていくことを考える。
ところが、その結果、自然と体に合うものだけがおいしくなり、食べたくなる。

体が整い、「整体」 になってくると、化学調味料をたっぷり使ったラーメンなどが、気持ち悪くて食べられなくなる。 逆に、無農薬・有機栽培の野菜や米などのおいしさがわかってくる。
これは、体の悪い人、体質の弱い人が、体質改善・健康志向で自然食を求めるのとは同じではない。 体を整えることなく、不自然な体の状態で、負担のかからないものばかりを志向していると、かえって体が弱くなることが多い。 実際、治療院に来られる方々の中にも、そういう傾向の人は多い。

論語の、「七十にして心の欲する処に従へども矩を踰えず」 ではないが、食べたいものを食べたいだけ食べて、それが、体にとって最も良い食事となるのが、整体流の食養生である。

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2004.02.25

クラッシックと春の変化

私の治療院では、クラッシック音楽を小さな音でかけている。 バッハのフルート・ソナタ、管弦組曲など、バロック音楽が多い。 もともと小さな音でかけているのだが、2月も中旬に入った頃、急に音が小さくなったように感じてボリュームを少し上げた。
音が小さくなったように感じたのは、春の変化の走りとして、湿度が上がってきたからだ。 湿度が高くなると、音の伝達が妨げられて、湿度の低いときと比べると旋律がはっきり聞こえなくなる。
バッハの管弦組曲も、真冬の音から春の音に変化したのだ。

こうした身のまわりの些細な変化を感じ取ることは、治療家として大切なことである。 人間の体は、気温や湿度、晴れか曇りかなどということで、いろいろに変化する。 心と体の感受性も変化する。
当然、操法(身体調整)の刺激に対する感受性、反応も違ってくる。 同じ人の体の調整でも、晴れの日と雨の日では同じではいけない。 もちろん、夏と冬では違う。 春と秋でも違う。

季節の変化や天候の変化に敏感になったのは、大勢の人を治療するようになってからで、自分のことだけでよかったときには、さほど気にすることもなかった。 草木や花の変化、空の表情、星の輝き方、日差し、風。 それらの変化が示す情報は、みな体の調整に直結してくる。 治療をするようになって、そういう生活の中のいろいろな変化に、自然と目がいくようになってきた。

治療家になって、自分を取り巻く世界が、急に新鮮なものとして目に映るようになった。 今まで何気なく過していた、なんということもない日常が、にわかに自己の体験としてリアリティーをおびてきた。 突然、いきいきと輝きだした。
治療家になったおかげで、私の人生は何倍も豊かになったと思う。

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2004.02.20

ココログ ・ デビュー

知人の鍼灸師の方からココログの話を聞いて、自分でもサイトをつくってみようと思い立った。 私は整体法の治療院を開いていて、治療院の関連サイトを持っているのだが、そちらの方は一応オフィシャルなものなので、あまり好き勝手なことは書けない。 そこで、ココログのサイトでは、日頃感じていること、つらつらと考えていること、治療に関してのちょっとつっこんだ話など、オフィシャルなサイトでは書けないことを書いてみようと思う。

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