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2018年9月12日 (水)

「整體操法讀本 巻一」を読む その3

整体操法読本 巻一では、手による治療術の歴史と整体操法が制定されるに至った背景としての当時の手技療術界の状況が野口氏の手によって詳しく描かれている。
「治療行為の歴史」、「手技療術の沿革」、「日本における手技療術の沿革」に、全編98ページ(実質94ページ)の中20ページほど割かれている。

整体操法が成立した当時の療術界は、外来の治療術の影響を受け、様々な手技療法が林立していたようである。

“ メスメルがアニマルマグネチズムを主張して以来、之に就いての議論が繰り返へされ、キロが催眠状態を発見して以来催眠術による変態心理の研究熱は全世界を風靡し、我国にも伝はつていろいろの心理療術を産んだのでありますが、そのアニマルマグネチズムは印度流のプラーナ説と結びついて我が国に於ける霊気療術を数多く産み、パーマーのカイロープラクテイツク、スチルのオステオパシーの伝来とおもに之に結びついて、日本に於ける独特の手技療術の或る面を開拓したのであります。
按摩導引の古来の手技整体の法と之に結びついて日本的なものと化し、之が又分離して近頃の手技療術になつたのであります。
それゆえ日本の手技療術は、漢方型、米国型、印度型と古来の苦手型の混同したものでありまして、そのしたに催眠術的な心理療法があるので、一寸他国に無い形になつているのであります ”

苦手型、とあるのは、少彦名命の苦手のことで、日本古来の手による療術を記紀神話の医薬の神である少彦名にちなんでこう呼んだのであろう。少彦名の御手は苦手と呼ばれ、一撫でするだけで病疾が退散したと言われている。

その一方で、カイロはカイロ、オステはオステとして純粋な形を保ったまま存在していたし、スポンディロセラピー、また古風なプラーナ療法の原型も保たれていたようで、何々式指圧療法の数だけでも両手の指に余る程てあったらしい。

野口氏は、それらの大多数が頭で考えた理論によって生み出された 「頭の医術」 であるといっている。
しかし、猫も杓子もカタカナ語を使って理論を振りかざす中、日本人の鋭敏な指先の感覚によって、理論によらず勘を中心においていた人たちも少なからずいて、理論以前の野性的な面が多分に残っているとも言いう。

“ 人体調整に解剖学的構造の一部を中心と認め、その部の調整が全体を自ら正しくするといふ考へ方の手技療術は吾が国に於いては甚多く、斎藤虎太郎氏の生理的療法は腰部の或一点を人体の中心と見、その部の異常を除けば万病自ずから無しと主張し、永松卯造氏の操法に於いては腹部の或る一点に治療の中心を見出し、万病はその一点の操法で治ると称し、野中豪作氏は腹部外側の線を健康線として、そこに異常が無ければ健康であると説いておりますが、或る人は頭部に、又或る人は四肢に、又或る人は胸部に、宮廻清二氏の如きは尾呂骨の異常を整へれば胸郭を広げ得ると申しております。”

野口氏は、解剖学的な知識にとらわれず身体のある部分に対する働きかけで身体全体を整える操法を、人体を機械仕掛けとみる身体観から脱して、生きた人間の生きた働きをみる身体観へ移る第一歩であると記している。

ちなみに、上記引用文中にある、永松卯造、野中豪作、宮廻清二の諸氏は、整体操法制定委員に名を連ねている。

さて、話はいよいよ 「整体操法制定の制定」 に入る。

“ 人間が本当に丈夫であるにはその人自身の体のはたらきで活き活き生くることでありまして、護り庇つて無事であっても人間が丈夫であるとは申せません ”

野口氏は、人間を本当に丈夫にするためには、本人の体の働きでその体の違和、不整を整えることが大切で、他動的な力を多く用いることを戒めている。
早く病気を治したり、苦痛を鮮やかに消失させたりすることを第一義とする技術は、本来体力が発揚されたために生じている発熱や下痢にまで怯えて、それらの症状をただただ早く無くしたいという人々に迎合して行われる技術で、人間を丈夫にしていくという観点からは間違っているのだと述べている。

“ いつの世の中でも悪いものは良いものを蔽ひ、雑草ははびこつて良種は伸びないのでありますが、人間を真に丈夫ならしめる為の技術はそのまま放置しておく訳には参りません。手技療術を自然の本道に立ち戻しより向上させ、人間を丈夫にする為に役立てねばならないと考へて、東京治療師会の手技療術を行ふ人々に計つて一には今の世人の要求に添ふより人間が丈夫になつてゆく正しい道を拓く為、一にはその技術を交流してその研究を大ぜいの人で行つて確め真に良き技術にする為、現代行はるる手技療術を一個のものとなす可く、その標準型を制定したのであります。之が整体操法であります ”

整体操法委員会は、昭和18年12月に設立され、19年7月まで毎夜の論議を経てその基本型を制定し、同月の東京療術師会役員会に発表され、東京療術師会手技療術の標準型となったという。

その第一回の制定委員会の委員の顔ぶれは以下の通り。

“尚第一回の整体操法制定委員会は、 野口晴哉(精神療法)を委員長として、次の十三名の委員によつて構成されていました。梶間良太郎(脊髄反射療法)、山田信一(オステオパシー)、松本茂(カイロープラクテイック)、佐々木光堂(スポンデラテラピー)、松野恵造(血液循環療法)、林芳樹(健体術)、伊藤緑光(カイロープラクテイック)、宮廻清二(指圧末梢療法)、柴田和通(手足根本療法)、山上恵也(カイロープラクテイック)、小川平五郎(オステオパシー)、野中豪作(アソカ療法)、山下祐利(紅療法)、その他に美濟津貴也(圧迫療法)外三、四名の臨時委員が加はりました ”

2018年8月 6日 (月)

「整体操法読本 巻一」を読む その2

“ 手で体を整へる技術は整体操法のみではありません。昔から今迄に沢山あつたのであります。今の医学が行はれる以前から、漢方の医術が伝はる以前から、少名彦命の渡来するその以前から、行はれていたのであります。
恐らく人間が始めて立上つたその頃から行はれていたのでありませうが、之も頭の医術とともに、時代とともに、病気を対象にして考へて行はれるやうになつて来たのであります。 近頃は解剖生理の側からその方法が吟味研究されて組織され、だんだん頭の医術になりだしておるのであります。
米国のカイロープラクティック、オステオパシー等を始め、我が国に於きましても、何々式を名乗る指圧療法整体療法の数だけでも両手に余る程でありまして、手技療術のすべての種類を数へると百はいうに越します。
之等を頭の医術から本能の医術に、病気を治すことから体を整へることに切り替えることは容易な事ではありませんが、元来手技療術といふものは手で体を整へる本能の働きから出発したのであり、未だその野生を失はず、頭のものになりきり得ないでおるので、之らに呼びかけて新しい方向へ誘つたのであります。
之に応へた人々に依つて整体操法が出来上つたのでありますが、整体操法は手技療術にのみ呼びかけおるのではありません。あらゆる頭の医術にむかつて、本能の裡にあるはたらきに基いて行へと呼びかけておるのであります。 ”

(整体操法読本 巻一 整体操法協会刊)

整体操法読本、第一章第一項、「本能の医術」 に続いて、「治療行為の歴史」、「人間の復興」、「手技療術の沿革」、「日本における手技療術の沿革」 など、整体操法成立に至る経緯をとくために手技療術の歴史にふれているのだが、当時の療術界の様子やそれに対する野口氏の認識、関心の所在がわかっておもしろい。

概ね以下のように述べている。

手を用いて体を整え、病気を治すという行為は、ギリシャなら紀元前300~400年頃のヒポクラテスの時代にはマッサージの効用が説かれ、日本では少彦名命、中国では黄帝の神話時代から行われていたということになっているが、実際はもちろんそれ以前から本能的な行為として誰もが自然に行っていたことは想像に難くない。

奈良時代、大宝律令に続いて施行された養老令に、医師、鍼博士、鍼生と並んで、按摩博士・按摩師・按摩生とあるというから、日本でもかなり昔から一定の技術体系を持った手技療法が存在したことは間違いないだろう。

江戸期に入ると、徳川幕府の盲人救済政策によって、按摩の技術は廃れてしまったとされている。中には、按摩・鍼灸を学び産科に按腹を用いたとされる賀川子玄のように、当時の世界最高水準の産科術を作り上げているような人物もおり、また、吉田流あん摩術の吉田久庵、管鍼法を創始したことで有名な杉山和一安堵の尽力もあったが、全体としての按摩術の技術水準は低下の一途をたどる。
更に明治に入っての医師法制定以降、按摩はそのほとんどが慰安的な技術となってしまい、治療術としての面目は失われてしまっていた。

しかし、そんな中でも按摩術の本質を見失わずに本来の姿を取り戻そうという人々もいたようだが、すでに療術の新しい流れは按摩の中にはなく、その後に興ってくる活法・叩打術から発展した手技療法に取って代わられてしまうようだ。

“ その手技療術としての価値を危ぶまれる導引、按摩術に喝を入れて新生命を與へ、手技療術として更生せしめようと努力した人は少ない数ではありません。
そのうちでも石原氏の乾浴術、鈴木氏の撫鎮術などは傑出してものでありました。島本氏の圧迫療法も之に解剖学的基礎を明らかにして根拠を與へ、大和田氏の掌動術、高野氏の仙掌術も之最良の使ひ方を開拓したのでありまして、之らの人の努力は按摩術を近代的に展開させ手技療術として再起させましたが、武道の活法、即ちプラーマ族の叩打術を出発点として新しき手技療術の勃興に依って新しい動きとしての存在を失ひました。
川合氏の押圧微動術、藤田氏の圧動術などは叩打術から出発したチヤンピオン的存在でありました ”

ここで登場する押圧微動術の川合氏とは、肥田式強健術の肥田春充のことであろう。川合春充は、後に肥田家の婿養子に入り肥田姓になる。
なお、文中に押圧微動術とあるのは、正確には強圧微動術である。

武道の活法が、即ちプラーマ族の叩打術というのはよく分からないが、強圧微動術は古武術の急所活法を下敷きに成立したものらしい。

“ この頃から催眠術のアニマルマグネチズム、又波羅門のプラーナ説から発した霊気療法と結合した手技療法が興つて、叩打術的手技療術を新しい方向に導きました。 田中氏の霊子術、森田氏の調精術、松本氏の人体ラジウム療法等はこの傾向の療術の代表であります。
そのプラーナ療法的傾向は生氣自強療法や手のひら療治を後に産みましたが、手技療術としては中井氏の自彊術、小山氏の血液循環療法の特異性を見ねばなりません。之らは新しい観点のものに行はれた技術でありまして、斎藤氏の生理的療法、高橋氏の正體術なども、この独特の立場をたもつている優秀な技術であります ”

後に霊術、手かざしなどと呼ばれる系統が、意外にもヨーロッパの生物磁気説やインドのプラーナ学説などに端を発しているというのはちょっとした驚きである。

“ 之らのいろいろの手技療術がいろいろの基礎によつて行はれてその勢が旺んになりかけた大正五年に、河口三郎氏がカロープラクテイツクを紹介し、同六年に兒玉林平氏によりてスポンデラテラピー、同七年柴崎吉五郎、山田信一氏によつてオステオパシーが輸入され、之を機に日本における手技療術は大変動し、その形をすつかり変へてしまひました ”

慰安の術に堕していた按摩術を再生させようという試みから出発した治療術も、武術の活法を下敷きにした手技にその地位を取って替わられ、更にそれもまたアメリカから輸入された脊椎調整の技術に席巻された様子が記されている。

しかし整体操法は、それら理論重視の脊椎組の優秀な技術を吸収しながらも、その分析・分解による生命認識によらず、総合的・全体的生命認識に立脚してその体系を構築していくこととなる。

” 私は手技療術はその論に目を奪はれて事実が見えなくなつたのでは無いかと大に心配しましたが、幸ひいにも堅実な人々は理論に依らぬ手技療術を少数ながらその技術によつて守っていてくれました。高橋氏の正体術を始めとし、野中操法、柴田操法、宮廻操法、永松操法などがそれであります ”

” 解剖学的知識による機械学的推論から一歩もふみ出し得ない治療上の基礎理論は要するに理論でありまして、吾々はいまだ事実の上に真理を見ねばなりません。手技療術が理論以前に存在していた事実は、手技療術のうちに理論以上の生命に対する理論の存在していることを悟り、その事実にむかつて理論を求む可きでありまして、理論から出発して生命を牛耳る程、理論は力あるものではありません ”

そして野口氏は、日本における手技療術の沿革の項を次のように結ぶ。

” 整体操法を制定するに当たり、手技療法の沿革をしらべますと、真に優秀な技術や又正当な見処に立つ技術が必ずしも多くの支持を受けていたとは申せませんでした。しかし世の風潮は百年か百五十年経れば変わるものであります。いつか本当のことを見る時が来るものと思ひますが、それ迄認められなかつた優秀な技術を残しておき度い、そうした考へが整体操法に特殊操法を設けた理由でありますが、すでにこの世を去つた人々の技術を探す術も無く、その面影でその技術を求むることは容易なことでは無く、まことに残念であります。優秀な技術、立派な見処をもち乍ら、この世で認められずに去つた幾多の人の心を想ふ時、吾々は感慨深きものがあります ”

続いて話は、いよいよ整体操法の制定に入っていく。 

 

2018年7月31日 (火)

「整体操法読本 巻一」を読む その1

現在一般に入手できる野口晴哉氏の著作に中に、整体操法に関しての具体的な記述というものは案外少ない。また、整体操法がどのような経緯で成立したのかといったことも、ほとんど語られていない。

しかし、すでに絶版になっているが、かつて創始者野口晴哉氏によって整体操法そのものについて書かれたものがあった。その名も、『 整體操法讀本 』(整體操法協會刊)である。(以下 整体操法読本と表記)

野口晴哉著 『 整体操法読本 巻一 』 は、昭和22年4月25日に整体操法協会から発行されている。

その第一章 「整体操法とは何か」 の第一項 「本能の医術」 は、次のような文章から始まる。

 

“ 整体操法とは手で体の不整を整へる技術であります。手で体を整へるといふことは人間は昔から行つていたのであります。
私たちが腹が痛いと思はず腹を抑へ、頭が重ければ頭を揉む。さういふ習慣は欧米の人にも東洋の人にも山の中の人にも海の島にいる人にもあるのであります。
そしてかうしたことは考へて行ふので無く、思はず行つているのでありますから、人間の体の裡にさういう能力が在つたのでは無いかと考へられるのであります。
人間の本能の裡に手で体を整へるはたらきが在るとしたら、転んだ子の打った処を思はず押へたり、苦しんでいる人の背を撫で擦つてやつたりする行為が、弱い者に対する自然の情によつて喚びおこされて行はれたといふことも想像出来ることであります。
それ故手で体を整へるといふことは昔々から存在していたのでありまして、誰が発明したとか、発見したとかいふもので無く、吾々自身の生命の裡に存していた本能の医術であります ”

野口氏は、第二項 「治療行為の歴史」 では、本能的に手で叩くとか、揉むとか、押さえるとかいうことが、今の私たちがあくびやくしゃみをするように、考えないうちに反射的に行われていたであろうと推測し、更にそのこと自体が体を整えるということさえ知らず考えずに行われていただろうという。

しかし治療行為の歴史は、体の要求によりおこなわれる本能的な行為から、徐々に頭で考えておこなう治療へと進んでいった。

野口氏は、本能による医術と頭で考えて作られた医術とは、その出発点が違うのであるから、その目的も結果も当然異なるという。

本能的に行われる行為は、自分に対しても他者に対して行われる場合も、その体の裡にある体の平衡を保とうとする欲求によって、体そのものを整えようとして、体の治ろうとする力を呼び起こすべく行われる。
それに対して頭で考えた医学は、いろいろの病症の不快や苦痛を取り除くために、外から力を加えることによっておこなわれる。
内の働きを揺すぶり起こすのと、外からとりあえず苦痛を取り去ってしまおうとするのでは、その行為の結果、体のあり方に違いが生じてくるのは当然の帰着であろう。

体は、自らの自然治癒力によって病気や故障を乗り越えれば強くなっていくし、反対に必要以上に庇われれば、だんだんと力を発揮できなくなり弱くなる。
そして、庇うほどに体の自然な回復欲求は鈍麻して、ますますどうすれば苦痛がなくなるのかと頭で考えるようになる。

かくして、

 

“ 今日におきましては自分が健康であるか病気であるか、自分以外の他人の診断をまたねば、又機械による検査をまたねば判らなくなつてしまつたのであります。
活き活き元気であることより、病気がなければそれが健康であるやうに考へやうになり、治療行為といふことが、ただ病気を速く
(ママ)治すことのみを目的として行はれるやうになつてしまつたのであります。
しかし病気はないが元気がない、苦痛はないが働くとすぐ疲れ、眠れば夢見、覚めれば可しと可からずに包まれて焦ら焦らくらしている人ばかりが増えたのでは、いつも怠けたい人が腹を立ててばかりいるやうになつて、人間は生きていることの欣びを感じないうちに死んでしまうやうになつてしまひます。
働きたい要求で働き、食べたい要求で食べ、眠りたい要求で眠る人が日にすくなくなつて、皆時計と睨み合つて、その針によつて働き食べ眠らないと不安になつて、いつしか裡の要求を忘れてしまつたのでありませう。
こういふ世の中に本能の医術を普及して人間の生命についての本能的な感覚を鋭敏にし、活き活きした生くる欣びを皆で感じられるやうにしたい為、手で体を整へるはたらきを人間に取り戻す方法として整体操法を組織したのであります。 ”

 

人間には、手を用いて体の働きを整える本能的な力がある。頭で考えて行う治療行為から、その本能の医術に立ち返るべく、整体操法は組織されたのだ。

 

2017年3月19日 (日)

「うつ伏せ」 の続き・・・

先日メインブログの白山治療院通信の方で、「うつ伏せ」 に関する記事を書いた。整体操法では、うつ伏せで両手を体の脇に降ろしてもらった格好になってもらい背骨や骨盤、肩甲骨の状態を調べたり、調整したりする。

腕を降ろしてもらうのは、本来はこの格好が最も力が抜けて背骨などの状態を読みやすいからである。
本来は、というのは、頚椎や胸椎などに問題がある場合、この姿勢が苦痛であることもあるからだ。そうなると、かえって体に力が入ってしまい、上手くいかないこともある。
そういう場合には、腕を自由にしてもらったりして楽な姿勢になってもらうこともあるし、ときにはあえて苦しいその格好で操法することで効果が上がることもある。

腕を降ろしてもらったうつ伏せ姿勢は、すっかり力が抜けているから体の状態を調べやすいというのはその通りなのだが、実はもう一つ操法する側の安全対策の意味もある。

不特定多数の人を操法する立場にある場合、はじめて操法する相手がどういう行動をとるか予測が難しいこともある。
うつ伏せの状態から急に振り返って喋ろうとしたり、何かの刺激から突然体をよじったりすることもないとはいえない。こうしたときに、場合によっては相手の体を押さえていたこちらの手や指を痛めてしまうこともあり得る。

長年操法をしていると、相手の急なくしゃみや、くすぐったいとか痛いとかで体をよじったりすることには大抵反応できるものである。頭で考えるよりも速く、体が反応してその瞬間にスッと力を抜くことができる。
(しかも、くしゃみの速度にぴったり合わせて指を離さずに力を抜いて動くことで、操法の流れを途切れさせずにそのまま何もなかったかのように続けられるものだ)

しかし突然思わぬ行動に出る人の突発的な行動に、いつでも必ず対処できるとは限らない。(そういう人の動きは、生理的反射よりもかえって読みにくいのだ・・・)
こういうことを考えたときに、腕を下げてもらった状態でのうつ伏せというのは、受ける側の人が急に力を入れて動きにくい姿勢なので、まあまあのリスク軽減になるのである。

さて、うつ伏せになってもらうときは、たいてい顔の向きは自由にしてもらう。ただし、胸椎の第5より上は顔を横向きにしていると棘突起が曲がってしまうので、ごく丁寧に調べるときや伏臥のまま操法する場合は、顎を立てるなりして真っ直ぐに向いてもらう。
(普段さらっと背骨を調べるときは、顔の向きによって上部胸椎が回旋していることを考慮して見ている。触った感触で必要があると感じれば、真っ直ぐ向いてもらい細かく調べていく)

ちなみに、第5胸椎の棘突起を挟むように押さえたまま顔を右に左にと向いてもらい、どちらかで強く抵抗が起こるようであれば、胸椎の第1から第5の間に異常があることが多い。
(たいていは顔を向きやすい側に異常がある)

同様に第3胸椎で左右どちらかを向いたときに強く抵抗が起こるようなら、頚椎のどこかに異常があるとみていい。
明らかに頚椎に異常があるのに第3胸椎に抵抗が起こらなかったら、その場合はたいてい第3胸椎そのものに問題がある。

2016年10月12日 (水)

日本の気 中国の気

日本語には、「気」 にまつわる言葉はとても多い。

「元気」、「病気」、「陽気」、「陰気」、「根気」、「暢気」、「本気」、「やる気」、「気持ち」、「気力」、「気丈」、「気まま」、「気軽に」、「気が合う」、「気が散る」、「気が強い」、「気が小さい」、「気がつく」、「気が向く」、「気がある」、「気がはやる」、「気が滅入る」、「気合い」、「気遣い」、「気働き」、「気色」、「気分」 などなど・・・。

挙げていけば切りがないほどだが、日本語に 「気」 に関する言葉が多いのは、昔日の日本人が、目に見える動きに先んじて動く 「気」 の働きを、それこそ五感以前の 「気」 で感じ取っていたということだろう。

これらの 「気」 に関する言葉を見てみると、

・ 「元気」、「病気」 など、体の健康状態に関係すること。

・ 「陽気」、「陰気」、「暢気」、「気が強い」 、「気が弱い」 など、性格や気質に関係すること。

・ 「気が散る」、「気がはやる」、「気遣い」、「気分」 など精神活動に関係すること。

などに大別できるが、日常的に使われる 「気」 言葉は、天気、気象、気体、気流などの [ Weather ] や [ Air ] 関連以外は、多くは人間の生きていることに関わるものである。

 

さて、日本では心のありようを 「気持ち」、というぐらいで、「気」 と 「心」 は分かちがたい概念である。

ところが、日本の漢字の輸入元である中国に目を転じてみると、中国では 「気」 はあまり心の働きとは関係しない。

日本語では、「気がつく」、「気が合う」、「気がはやる」、「気づかい」、「気働き」、のように精神活動に 「気」 を使うが、中国語では、それぞれ 「注意到」、「合得来」、「着急」、「担心」、「机敏」 となる。
中国語では、多くの場合精神の働きに 「意」 や 「心」 は使っても、「気」 は用いられない。日本では、「気は心」 などというが、中国では 「気」 は物質であるので、原則的には心の働きを含んでいないのである。

(空気・気象・気体などの [ Weather ・ Air ]  的な使い方は、日中でほぼ共通している)

たとえば、日本で 「陽気」 といえば、多分に、「性格」、もしくは 「気分」 的な意味合いが含まれているのだが、中国では 「陽気」 は性格のことではなく、哲学的な概念における陰陽の 「陽」 の 「気」 のことを指す。

中国では、気は物質であると考えられている。古代中国(春秋・戦国時代)の哲学者は、宇宙は気が集まってできていると考えた。水蒸気が集まれば水になるように、気が集まれば形になると考えたのだ。さしずめ 「気」 は、物質を形成する最小単位とでもいったところだろうか。

 

整体の愉気は、注意を集めること、すなわち心の集注密度が高まることによっておこなわれる。心、意識の集注によって 「気」 の感応が起こる。

ちなみに、野口整体の世界では、気の集注、意識の集注のように、「集注」 という字を当てるのが専らである。集注という語は、「集中」 の意味でも使われるが、一般的には、「注釈を集めた本」 という意味で使われることが多い。
野口先生が、「集中」 ではなく、「集注」 という字を使われたのは、先生の愉気には単なる [ Concentrate ] だけでない、「集め」、「注ぐ」 という方がしっくりくる感覚があったためかもしれない・・・。

まあ、それはさておき、愉気とは対象に注意を集めることで実現するのだが、中国の鍼灸や気功の世界でも、「意が至れば、気が至る」 という。
(ちなみにこれに続く語は、医学や気功などでは「気が至れば、血が至る」 であり、武術の世界では、「気が至れば、力が至る」 となる)

意識の集注によって気が集まるという点においては、整体でも中国医学でも同様である。しかし、上記のように中国の気には 「心」 は含まれていないので、意識すれば気が集まるというだけであるが、整体の愉気では、そこに 「どういう心理状態で・・・」 ということが問題になってくる。

野口先生の著書には、愉気をするときに、「本当に治るだろうか・・・」、「このまま悪くなってしまったらどうしよう・・・」、といった不安や焦り、気張りなどの心を愉気してはいけない、ということがあちらこちらに書かれている。
不安や心配、焦りなど陰気を愉気しては意味がない、明るく愉しい陽気を愉気しようということが、整体以前の霊術 ・ 療術で用いられていた 「輸気(気を輸る)」 という用語を野口先生が 「愉気」 という言葉に生まれ変わらせたきっかけであるという。

野口先生以前の霊術(による治療術)や療術の世界の 「気」 の概念は、中国の 「気」 や、インドの 「プラーナ」 の影響を受けたものが多かったように見受けられるが、それらを学び整体という体系を作り上げた野口先生は、新たに本来の日本的な 「気」 、心を含んだ 「気」 の世界に立ち返ったのではないかと思う。

さてさて、では愉気をおこなう場合どういう心で向き合えばよいのかといえば、野口先生は 「天心」 ということを説かれた。
すなわち、平静の心、自然のままの心でスッと手を当てる、ということである。不安や心配も雑念だが、「早く良くしてあげよう」 などというのも、一見ポジティブな心の向きに思えるが、それもまた雑念であることに違いはない。
天心とは、生まれたままの心であるという。もっと言えば、生まれる前に意識以前に持っていた心である。

親がケガをした子供に、思わず手を当てる。撫でさする。抱きしめる。また、苦しんでいる人を見るに見かねて、自然と手を当ててしまう。そういう心ならば、天心といえるだろう。

また、子供が一心に遊んでいるときは天心である。そういう時には、「ごはんですよ」 などと呼ばれても気づかない。天心には、そんな自然な集中力もある。

 

整体は、「人間相互の愛情と誠意によっておこなわれる」 とされる。整体操法を生業とするものは、それを基本的な信条として持ちながらも、テクニックとして天心を作り出すこともまた必要になる。
いかに精神修養に努めても、人間である限り体調にも心理状態にも波がある。凡人には、常に聖人のように愛情と誠意に満ち溢れていることは難しい。
しかし、聖人にはなれなくても、瞬時に天心を作り出すことは訓練でできるようになる。大部分は経験の積み重ねであるが、気合法や深息法、活元運動、その他いろいろな精神集中法や呼吸法なども基礎になる。

 

表題の、「日本の気、中国の気」 であるが、もちろん日本人も中国人も同じ人間なのだから、「気」 に違いがあるわけではない。中国人にも愉気はできるし、日本人にも気功の大家はいる。あるのはただ、「気」 に対する思想の違いだけだ。
しかし、認識が変わるだけで、実際におこる現象が変わるのもまた真実なのである。

 

2016年7月25日 (月)

「手こひ腹あせ膝くしむ」 その2

体の一部に意識を置くことで、そこを起点として体を自由に伸び伸びと滑らかに使うことができる。その起点となる箇所の見つけ方が、前回の10種類の検査法である。
あとはその部位を意識して動くだけでいい。

体の調子を取っている特定の部位は、同一人でいつも同じというわけではなく、その焦点は移り変わる。それは、野口整体の 「体勢の移り変わり」 にも通じるところがあるかもしれない。

高橋氏によると、検査法をおこなうのは朝食後が最適であるという。

これを行う時間は、朝食後が最適である。即ちその日一日の行動に必要なからだの使い方の、意識して主眼とすべき箇所を、まず最初に見出さんがためである。
また食後は寝起き当時に比し、からだに変化が生じ、その状態が大体その日一日の基準となるからである。

また、

衝突したり、或は精神上に重大なる衝撃を受けたり、または天候や気温が急変した場合等には、しばしばからだに変動を生じ、主とすべき点もこれに従って変化する場合がある。睡眠や入浴もまた身体の使い方に変化を生ぜしめることが多い。

とのことである。

 

慣れてしまえば、この検査法にこだわらなくても、その日の焦点となる箇所は見つけられるようになる。

私は治療院までの通勤が徒歩で20分くらいなのだが、その20分の中でその日の体調を知り、また調整しながら歩いている。
この時に、ついでに 「手こひ腹あせ膝くしむ」 の順に意識を置いてみて、その日の動きの焦点を見つけている。

 

体のどこを中心として動くのか、もしくはどこが起点となって全体を主導するのかということは、それぞれの身体技法の中で基礎として決まっていることが多い。
楊式太極拳などでは、上級になると手が体を導くようになる。意拳では、頭が全身を率いていく、という。そして、整体操法では、丹田を中心に動いていくことが基本となっている。

それぞれの流儀で中心もしくは起点となる部分は決まっているのだが、生理的に体の 「調子」 がそこにないときは、なかなかうまく動けないことがある。そんなときに、この正体術を利用すると、無理なくスムーズに体を運用できることがある。
流儀の求める動きの作法はもちろん重要なものであり、それをないがしろににするわけにはいかないが、流儀の求める動きの中心は基本的に意識しつつ、正体術の教える中心を同時に用いていけばよりフレキシブルに体を運用することができる。
二つの部位を同時に意識するというのはちょっと難しいような話だが、もともと普段から意識している流儀の定める中心はすでに潜在的に意識されているので、実際はそう難しいことではない。
一見ダブルスタンダードのようではあるが、そもそも人間は矛盾を含んだ存在であるのだから、そのあたりは臨機応変でよいのだと思う。

 

さて、この正体術の効用は、その場で動きのパフォーマンスが向上するというだけではない。長い目で見ての効果の方に正体術としての真骨頂がある。

この方法によって得られた正しい体の使い方を習得することによって、当然誤った体の使い方によって体を壊すリスクは大幅に少なくなる。
同時に、体を正しく自然に使うことを通して、より健全な体の発達を促すことができる。体は正しく使い、正しく休めれば、使うほどに強くなるのだ。

2016年7月19日 (火)

「手こひ腹あせ膝くしむ」 その1

このブログでは手指や腕、足の親指など体のある部分を切り取って身体操作の骨(コツ)らしきものをいくつか紹介してきたが、実際に整体操法で運用する場合に果たしてどこを主として意識すればいいのかということがある。

足の親指なのか、肩甲骨なのか、重心を落とすことなのか、はたまた股関節を弛めることなのか・・・。
もちろん、操法は丹田を中心に動くということが大前提としてあるので、そこをないがしろにはできないが、それはそれとして、その時々の自分の身体操作の思うようにならない部分を改善する手立てとして、「足は親指、手は小指」 のようなある種の骨(コツ)を適宜運用すれば、操法の上達やコンディションの調整に役立てることができるのではないだろうか。

 

操法に限らず身体運動では、最後は全体性ということが求められる。部分の加算ではなく、全体として 「一」 であるということだ。
それはあらゆる芸事や武道・武術でも理想としているところであるが、常にそのように動ける心身を作り上げ保ち続けるのはやはり至難の業である。
しかし、全体をリードする動きの起点となる部位を特定することで、かえって全体性を保って動くことができるという面がある。今から半世紀以上も前に、その原理に気づき、研究し、体を一つに使う方法として提示していた療術家がいる。正体術の創始者、高橋迪雄氏である。 

高橋迪雄氏は、大正から昭和の初期に正体術普及協会を通して活躍された人物である。正体術に関してはここでは詳しく述べないが、骨格の不正をただす一種の瞬間的脱力体操で、橋本敬三氏は正体術をもとに 「操体法」 をつくったともいわれ、また野口整体の 「矯体操法」 や 「整体体操」 にも大きな影響を与えているであろうことが見て取れる。

さて、その体を一つに使うための方法とは、体のある一部位に意識を置き、そこを起点として動いていくというまことにシンプルな方法である。
体はその時々によって動きの焦点となる部分が存在していて、その部分に先導させて体を使うことで、自然な動きが導き出されるというものだ。
最近のボディワークなどでは、あまり珍しくない手法なのかもしれないが、この時代にすでにこうした理論と方法論を提唱していたことには少なからず驚きを感じる。

その動きの起点となる体の部分を見つけ出すための方法があり、それはうつ伏せの姿勢で腕を体側に沿って手の平を下にして置き、いわゆる背筋運動のように体を反るようにする。(手の平も床を離れ、持ち上げる)
手、腰、肘、腹、などの部分それぞれに意識を置いてその姿勢を取ろうとしてみると、何の苦も無くスッと形が取れる瞬間がある。例えば手を意識しながら体を反らしたときが最も楽に体が反れるとしたら、そのときの体の動きの中心は手にあるということなのだ。

このブログ記事のタイトル 「手こひ腹あせ膝くしむ」 とは、「手首・腰・肘・腹・足首・背・膝・首(頭)・尻・胸」 の10部位のことであり、この順番にテストをしていくことで動きの焦点を見つけていく。
この順番にも意味があり、検査をする上でなるべく近接する部位が順番的に並ばないようにしてあるのだ。
氏曰く、

1より10に至る順序は指定通りに励行されたい。お互いに相へだてたる部分を組み合わせたのは、意識する場合の混乱を防ぐためで、かなりの苦心を払って構成したものである。

高橋氏は、この順番を

記憶の便宜上これを 「手こひ腹あせ膝くしむ」 と唱えて、呪文のように口癖にしておくことが望ましい。

と言っておられる。(「正体術」 たにぐち書店)

検査法のやり方と、見つけた焦点の使い方について書かれたところを二つほど引用してみる。(同上)

(一)手首に意識を置く

やりかた

ゆっくりと、うつ向きに寝て手首を上図の位置まで上げようとする。その時他の部分も自然に上図の形になれば、その時は手首が主となっている場合である。中図や下図のように、手首のみが上がり、他の全身各部分がこれに伴わないのは、この時調子が手にない証拠である。

適用法

調子が手にある場合には、何事も手首でやるつもりで行動する。例えば歩くには手首さえ振るつもりで行けば、全身が自然に前へ出ることになる。坐るには手首を腿のつけ根に置く。こうして万事手首を先頭に使う気持ちで行動すればよろしい。即ち物を持って行動する場合にも、手首に意識を置く。

 

(四)腹に意識を置く

やりかた

上図の通り、臍と恥骨の間を伸ばすような気持ちで、腹を下に押しつける。腹に調子がある場合には、全身が我しらず上図のような形になる。下図は調子が腹にない時の一例で、各部分が上図のようにはならない。動作が一致しないわけである。

適用法

腹に意識を置いて行動すれば、全身各部分は自然にこれに伴う。古来臍下丹田に心を据えるというのは、この場合をいう。しかし調子が腹にない場合は、いかに臍下丹田に心を凝らしても、思うように自在に行動するわけには行かない。

文中に上図、下図などとあるように、「正体術」(たにぐち書店)の中には、検査法が図で示されている。
検査法の体を反らす最終姿勢は、実は全てが同じではない。どこに意識を置くかによって、微妙に完成形は異なる。
このあたりの細かいところが、高橋氏の観察力が窺えるところであり、同時にこのシステムの完成度の高さを示しているところでもあろう。

2016年6月 3日 (金)

「拮抗」 ~ 渾元力 ~

 「相手の力を使って操法する」 という中に、受け手と術者の間の力の 「拮抗」 ということがあるが、それ以前に術者自身の身体運用の中にも 「拮抗」 はある。

例えば、跨ぎの操法などは、自分の肘と膝(実際の接触点は前腕と大腿部)を着けて、膝で手指の圧をコントロールするのだが、このときに肘と膝の間には力の 「拮抗」 がある。
ごく簡単に言えば、両膝を寄せる力に、寄せさせまいとする肘の力(または膝を寄せようとするのを肘で押し広げようとする力)が 「拮抗」 しているということだ。この肘と膝の 「拮抗」 が元にあった上で、更に寄せる膝の力で圧をコントロールすることになる。
ブレーキを効かせながらアクセルを踏む感じであるが、この 「拮抗」 の力は潜在的な効きであって、それほど大きな力ではないので、実際は体感的にそこまでの抵抗感はない。
この肘と膝を着けて動作するというのは、座位の操法などでもよく使われるのだが、たとえ小さな力でも、必ず肘と膝の間にお互いに押し合う 「拮抗」 が必要とされる。

これは見た目にもわかりやすい 「拮抗」 の例だが、実は操法をおこなう体の中では目に見えないところにも絶えず 「拮抗」 的身体操作が働いている。

前々回の記事では、「脇を張ると脇を締めるは反対の働きではない」 と書いたが、それは 「脇を締める」 という中には、「脇を張る」 という動きが含まれているという意味である。「脇を締める」 という力の中に、同時に 「脇を張る」 という力が共存していると言ってもいい。

また、意識操作の上でいうならば、脇を張って肘を絞るとか、肘を張って脇を締めるという操作感覚もある。 下肢でも同じように、大腿を締めて膝を張るとか、股関節を開いて膝は寄せるなどの使い方もある。

肘を絞るとか手首を極める、足首を締めるなどというのも、体の中での 「拮抗」 によって作られる運動である。
これらの動作には、微妙な 「捻じり」 が含まれているのだが、そもそも 「捻じり」 そのものが内部に 「拮抗」 がなければ技術として活かせない。

 

さて、中国武術の中に 「意拳」 という一派がある。この意拳では、身体各部の力の拮抗を非常に重要視している。

意拳では、腕を上げる動きの中にも下がる力があり、押す中にも引く力が内包されていることが求められる。
そしてさらに、前に押す手(腕)には、上から押さえられても、下から持ち上げられても対応できるように、前後・上下・左右の全方位に対して常に潜在的な力がかかっている。

相手を押すときに、前方へ押す力しか働いていなければ、いなされれば前へつんのめってしまう。意拳の場合、常時全方向へ潜在的な力の効きがあるので、躱されても体勢を崩すことはない、ということになる。

意拳の最も基本的な練功法は、站椿といって 「立つ」 訓練である。一定の姿勢をとってひたすら立ち尽くすのだが、この時に上記のような身体各部の力の 「拮抗」 を感じ取りながら力の感覚を養っていく。
意拳では、この 「拮抗」 する力を、相争う力という意味で、「争力」 と呼ぶ。また、押しながら引く、上がりながら下がるという矛盾した力から、「矛盾力」 ともいう。

站椿では、この争力を全身に及ぼし、全方位に力の効きを行き渡らせていく。身体各部に争力が働き、それが全身に統合された状態を 「渾元力」 と呼ぶ。また、上下、前後、左右方向を支え、また発する力という意味で 「六面力」 ともいう。

武術である意拳の渾元力は、当然ながらその力量は大きい。故に、それをそのまま整体操法に転用できるわけではない。
しかし、体の使い方の問題としては大いに役立つところがあり、また逆に武術にも整体で養った感覚はかなり活かすことができる。

2016年2月 7日 (日)

「誘導」 と 「拮抗」 

野口整体における整体操法は、「操法」 というぐらいであるから、相手の体を操る技術である。そして、「操る」 という中には、受け手をぐでんぐでんに脱力した無反応の状態にしてこちらの好きなように動かすということではなく、相手の自立性・自律性を失わせないまま、相手の動きを 「誘導」 するという意味がある。

そのとき受け手は、こちらに動かされているのか自分から動いているのか判然としないような感覚、もしくは自然にそう動いてしまったというような感覚になっていることが望ましい。つまりは、相手に抵抗・反発を起こさせないように動きを 「誘導」 するのである。

 

そして、その操る法、「操法」 において、誘導と表裏一体となっているのは、相手の反発を引き出すことである。操法においては、多くはその相手からの反発を使って体を調整しているのである。

例えば、座位、立位などでは、相手の態勢をあえて崩して、相手がバランスを取り戻そうとするその力を利用して体を調整したりする。

整体操法では、相手の抵抗、反発をこちら側の力と合わせ、「拮抗」 させることが、身体調整技術の基礎の一つになっているのである。これが、操法は 「相手の力を使って調整する」 ということの意味の一つである。

 

正しく相手の反発を引き出せるようになるためには、まずは相手に抵抗を起こさせないように触り、動かすことができなければならない。それができるようになって、はじめてこちらの意図するように相手の反発を引き出し、その反発を利用することができるようになる。

相手が息を吸ってくるときに盛り上がってくる腹部や背部、腰部などと、こちらの押さえる力を合わせ、「拮抗」 させて調整するということは、整圧においては基礎となっている。

技術として相手の吸いの息を利用するには、ただ相手の自然の呼吸を使うのではなく、息を吸わせることそのものを術者がコントロールできなければならない。大きく吸わせる、強く吸わせる、急速に短く吸わせるなど、相手の体に与えたい刺激によってこちらが吸わせたいように吸わせるという技術である。

この場合も、まずは相手に抵抗されないように、素直に息を吐かせていく技術が元にある。相手にしてみると、自然に息を吐いてしまう、もしくは気がつけば息を吐かされてしまっていた、という感覚である。
基本的には、自由に息を吐かせることができて、はじめて自由に吸わせることができるようになる。ひいては、相手の呼吸を操法の技術として使えるようになるのである。

 

整体操法とは 「体術」 であるので、当然のことながら術者の身体操作能力と操法の効果はある程度比例する。そして、そもそも術者の体の 「在り方」 が、受け手の体の変化に大いに反映していく。

例えば、術者の体がガチガチに強張っていれば、その体を以て操法しても、受け手の体をゆるませることは難しい。
術者の呼吸がせわしなければ、受け手の呼吸がゆったりと深くなっていくということは無い。
それゆえに、整体操法をおこなうものは、常に自分の体を鈍らせないように保ち、またより向上させようと修練に励むのである。

相手の体に抵抗を起こさないように誘導するためには、術者自身の体が抵抗なく動けることが求められる。強張りがなく、引っかかりがなく、つっかえない、思ったように動く身体が必要である。

同様に、相手の力を引き出してこちらの力との拮抗をうまく使うには、本当の意味で止まることができ、動かないことができ、受ける力、支える力が術者の身体操作として備わっていなければならない。

操法をおこなうものは、「誘導」 や 「拮抗」 といった技術の基礎をより安定させるために、そのような体を構築し、その力を高めようとし続けることになる。

技術を磨くことは技術者として当然のことであるが、並行して、また別に技術を揮うための体作りというものも必要になってくる。技術を高める訓練の中でその技術を可能にする身体がつくられていくことは当然あるが、力士が四股を踏み、ボクサーがランニングをするように、整体でもある程度体作りというものが必要になってくる。
活元運動、合掌行気法、深息法、気合法などは、まさにその基礎的なものである。

2015年10月 7日 (水)

「腕がいい」

少し前の話だが、TVでお笑い芸人が技量を示すジェスチャーで、自分の前腕を叩いているのを見て何かちょっとした違和感を覚えた。

その仕草はつまり、お笑いの 「腕がある」 ということのアピールなのだが、もしかして本来叩くべきは上腕、つまり二の腕なのではなかろうか?

子供の頃に、「あの大工さんは腕がいい」 というようなことを大人が話しているのを聞いたときに、思い浮かべたのは職人さんの筋肉の発達した立派な腕であったが、どちらかというならば前腕ではなく、力こぶのできる方の上腕の方を想像したような憶えがある。
これは、ポパイに代表されるような大きな力こぶが、子供の頃の力持ちの象徴だったのかもしれないが、今でも 「腕がいい」 と聞くと、どちらかといえばイメージは上腕にフォーカスされる。

 

「腕がいい」、の対義語というのは思い浮かばないが、反対の意味で使われる言葉は、「小手先」 であろう。
「小手先だけの」、「小手先で片付ける」、「小手先芸」、などなど・・・。小手先には、その場しのぎ的で、「本物」 ではない軽薄さが込められている。

しかし、整体は手指を用いて体を整える技術であるので、実は、「小手先が利く」 ことが高度に求められる。ただし当然のことだが、それこそ 「小手先だけ」 で操作するのでは、技術として全く用を為さない。

本当に小手先が利くためには、手首、肘と連動し、前腕が働かなければならない。手指・手首を動かす筋肉の多くは、前腕の筋肉だからだ。
また、前腕は、橈骨・尺骨の二本の骨が通っており、一本の上腕骨で構成されている上腕に比べて、構造上細かい動きを作ることに秀でている。
前腕の高度な働きは、単なる小手先芸を 「手が利く」 、「腕が利く」 ところへと昇華させる可能性を持つ。

 

もう十年以上前の話になるが、駒川改心流剣術民弥流居合術四心多久間四代見日流柔術など五流儀の宗家である振武舘黒田道場の黒田鉄山先生に、一時期ご指導を受けていたことがある。
黒田先生は、武術において力の絶対否定を旨とされている方である。腕なども一見ほっそりとされているのだが、重い真剣や居合刀(練習刀)を使われるためか、近くで拝見すると腕の筋肉は見事なものであった。特に前腕の筋肉は、肘に近づくに連れ驚くほど発達されていた。
剣を遣うには、当然手の内というものが重要になるわけで、黒田先生の柔らかさの極致といえる精妙な手の内の修練は、前腕の筋肉を極度に発達させたのであろう。

黒田先生が、極限まで力を抜いて柔らかく片手で持った木刀は、いくら力を入れて、また体重をかけて引っ張っても、まさに手の内に張り付いているがごとく、全く引き抜くことができない。それどころか、そのまま先生が歩き出すと、相手の方がずるずると引きずられてしまう始末である。
これはもちろん、単に前腕だけの働きで起こる現象ではなく、黒田先生の全身を一つに使う身体操作から生まれるものではあるが、あの細かい筋肉一つ一つまでが佳良に発達されている前腕の働きも大きく関与していることは間違いないであろう。

 

さてしかし、ここで 「腕の立つ」 剣の使い手というものを想像してみると、やはり 「立つ」 のは、前腕ではなく上腕、つまり二の腕の方ではないかと思う。

よく時代劇などでは、竹刀よりも軽々と刀を振り回しているが、実際の日本刀の重さはかなりのもので、腕の力だけで振り回すことなど到底適わない。いきおい、体全体を有機的に使って刀を操作することになる。
その時に活躍するのは、割合的にいえば前腕よりも体幹に近い上腕ということになろう。

ここで働くのは上腕といっているが、上腕の筋肉に力を入れるという意味ではなく、より大きく動かなければならないのが上腕であるということである。実際にその上腕を動かしているのは、上腕と肩甲骨・鎖骨を繋ぐ三角筋、上腕と体幹を骨格の上で繋げている肩甲骨の筋肉、そして広背筋などの体幹の筋肉である。
(ちなみに上腕二頭筋・三頭筋などの筋肉は、上腕を動かすためではなく、肘から先の前腕を動かす働きをしている)

 

骨格的に見ると、腕は胴体に直接つながっているわけではなく、上腕骨は肩甲骨に接続し、肩甲骨が肋骨の上に擬似的な関節を形成しているような構造になっている。
肩甲骨は腕の土台であり、その土台の肩甲骨が肋骨の上を滑るように動いて上腕が動く仕組みである。

腕のいい板前さんも、腕利きの職人も、その高度な手捌きは、体幹と手先を繋ぐ 「活きた」 二の腕が保証している。
手指を用いて体を整える整体操法では、手首、手の内、指が精妙に働く必要があるので、前腕が高度に働くようになるのは大事なことである。しかし、その肘から先の動きを安定的に支え、また体幹との連動を司っているのは上腕ということになる。

操法を見ても、この人は上手い、腕がいい、と思わせる人は、上腕が活きている。上腕が働いていない人の操法は、まさに手先で間に合わせている感じが否めないし、実際に操法の効果も本人が思っているよりも上がらない。

上腕が活きていると、腰腹から指先までの動きが分断されずに、体全体が一つの目的に向かって協調して美しく働く。また、そうした体の運用からは、より深い相手との気の感応が得られる。

「足は親指、手は小指」 と同様だが、「腕がいい」 というのも、腕に力を入れるということとは全く違う。それどころか、腕の力は抜かなければならない。
腕の力を抜くというのは、だらんと脱力するということとも違い、腹・腰・脇など体幹の力の集中に対して、相対的に力みがないということである。

記事冒頭のお笑い芸人は、芸人としてはいわば中堅どころに位置するのだと思われる。もっとベテランで芸が練れている芸人さんでは、もしかすると二の腕を叩くのかもしれない。
また、件の彼も、あと何年かすると、二の腕をパンパンと叩いているかもしれない。

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