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2015年8月

2015年8月31日 (月)

「足は親指 手は小指」

野口整体では、身体操作のセオリーとして、「足は親指、手は小指」 という。これは日本の武道・武術の世界でもよく使われる言葉である。

足は親指に、手は小指に 「意識を置く」 というような意味で、腰・腹を中心に体を一つに使うための秘訣のようなものである。


さて、野口整体の整圧(型を以て押さえ愉気すること)では、母指を用いることが多い。もちろん、他の指を用いる場面もあるし、腹部の操法では母指を除く他の四指をそろえて使うことが多い。しかし、特に 「跨ぎ」 の型で脊椎及びその椎側の筋肉に働きかける操法などは、母指を用いることが専らである。
では、親指で押さえるのに小指が大事とはどういうことだろうか・・・。

母指を用いて 「 処(ところ)= 急処・調律点 」 を整圧しようとする場合、母指そのものに力を入れてしまっては、かえって母指を働かせることができない。また、母指に力を入れてしまうと、指先の感覚が鈍麻して、「処」 の状態を読むことができなくなってしまう。
そこで、逆に母指以外の指を働かせることで、母指に無用の力みを生じさせず、母指を活かして使うことができるのだ。硬結を捉えるのでも、当てている母指よりも、四指を上手く使うことで、硬結を逃がさずに捉えることができる。
四指は基本的にある程度開いて張るが、その中でも小指の張りをやや強調する。小指の張りと母指を拮抗させることで、五本の指を理想的に働かせることができる。

また野口整体においては、小手先芸になることなく、丹田からの気を以て整圧するために、「 型 」 というものが成立した。整圧の 「 型 」 は、体全体を機能的に使い、全身を一つに使うための身体操作法であり、指の力を使わずに指を使うための方法であるともいえる。

そして、その 「 型 」 で押さえるという中で、手の小指に意識をおくということが重要になる。小指に意識を置くことで肩が自然に下がり、脇を通して手と腰が繋がる。手指と腰が繋がることで、体全体を連動させて一つに使うことができるのだ。

「手は小指」 に意識を置くことによって、小は手の内における母指の高機能化を実現し、大は体全体での整圧(型による愉気)を可能にしているのである。

そして、全身を一つに使うためには、手の小指に意識を置くとともに、「足は親指」 に力が集まらなければならない。そうすることで、「 腹 」、「 腰 」 を中心に手足がつながり、本当に体を一つに使うことができる。
整体操法に於いては、「手は小指」、「足は親指」 は、別々の秘訣ではなく、実際は合わせて一つの秘訣なのである。

さて、「 足は親指 」 だが、例えば 「跨ぎ」 の操法などでは、重心は足の親指から母指球 (母指の付け根、中足骨骨頭部あたりの盛り上がり) あたりに集まる。整圧の最終局面では、母指から母指球あたりに力が集約し、決して踵は浮かせるわけではないが、床と踵の間に紙一枚挟んでいるような感覚になる。
実際、踵の下に敷いて置いた厚紙をサッと引かれて、きれいに抜けるようでなければいけない。

もちろん、完全に足の親指、もしくは母指球に体重を乗せてしまっていたら、それ以上動くことができないし、かえって重心制御の能力が低下してしまう。足の裏は、柔らかく広く使いたい。その中での、母指(球)が働きの中心になるということである。

また、必ずしも常に母指球に重心が乗るとも限らない。例えば 「跨ぎ」 による椎側の操法などでも、実際は背骨の左右にある 「処」 を同じように押さえるわけではない。「処」 の状況によって、左右それぞれの圧や角度などが変わるので、足裏の重心も左右で配分が変わったり、右足は母指寄りで左足は踵寄りに重心をずらすような局面も当然ある。

しかし、どのような局面でも親指に意識を置くということは重要である。それが抜けると、足の裏の重心のコントロールに精妙さを欠いてしまうし、体の各所の繋がりが悪くなり手足がバラバラになってしまう。

足の親指は、単に力を入れるとか体重を乗せる部位ということではなく、どちらかといえば足裏の微妙な重心制御のステアリングのようなものであり、また全身を統一して使うためのキーポイントだと考えた方がいいようだ。

「足は親指」 は、親指に力を入れるというよりは、冒頭で紹介したように、「意識を置く」 ポイントと考えたい。「手は小指」 も同様である。
足の親指、手の小指に意識を置いて体を使うことで、全身の動きを協調させ、丹田に力が集約し、全身を機能的かつ統一的に運用することができる。

本来は、型を取って整圧すれば、自然と丹田に力が集約し、手は小指、足は親指に力が集まるのが理想である。意識してそう「する」 のではなく、自然とそう 「なる」 のが、「型」 が身についた、「型」 で動けるようになったということだ。

しかし、もちろんそれは鍛錬の結果そうなるのであって、始めはそうするように意識して体を作っていくしかない。

「意識を置く」 とは、「気を通す」 と言い換えてもいい。つまりは、「足は親指」、「手は小指」 に気を通すことで、全身の 「気」 の統御が実現しやすくなるということである。
「型による愉気」 である整圧においては、「足は親指、手は小指」 は、まさに重要な秘訣でもあり、それは同時に大事な基本であるともいえる。

 

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