白山治療院関連リンク

無料ブログはココログ

« 功夫口訣4 ~ 上顎を収める ~ | トップページ | 功夫口訣6 ~ 謹防三害 ~ »

2016年6月10日 (金)

功夫口訣5 ~ 十趾抓地 ~

中国武術では、架式(立ち方・姿勢)、歩法において、「十趾抓地」 ということをいう。「十趾抓地」 とは、足指で地面をつかむということである。
「抓」 は、日本語では 「つまむ」 とか 「つねる」 だが、中国語で 「つかむ」 の他に、「捕らえる」、「引っ掻く」 という意味もある。

功夫には、空手の騎馬立ちのルーツともいわれる 「馬歩」 という架式がある。流派によって多少違いがあるが、例えば伝統的な少林拳では、両足の幅は肩幅の1.5倍(もしくは足三長分)、足は平行にしてつま先を開かない。大腿部が地面と平行になるまで腰を落とす。体は前傾させず、膝は足先を出ない。さらに両膝は、外に張り出すように開く。

Yahoo!の画像検索で探すと、馬歩の画像 がたくさん出るが、正しい馬歩の要求を満たしているものはほとんどない。以前BSで武井壮が少林寺に行って拳法修行を体験する番組がやっていたが、一般的な運動能力としては抜群であろう彼も、馬歩は全く形も取れていなかった。武術には、スポーツとはまた違った体の使い方があるということだ。

この馬歩という一般的な運動理論から大きく逸脱した一見無理な体勢を取るためには、趾(あしゆび)で大地をつかまなければならない。しかも、特に小趾側で大きく巻き込むようにつかめないと、壁にもたれない空気椅子のごとき不自然で不可思議な架式をとることができない。(母趾は外を踏み、小趾は内をつかみ、土踏まずは虚を含む)
小趾側といっても、目に見えている小趾だけでは全くの力不足であり、全身とのつながりも弱い。大地をつかむ趾は、見た目の趾からさらに足の中に入った中足骨までを趾として使えなければならない。

 

手も足もそうだが、そもそも見た目に分かれている指は本来の指よりも短い。手で言うならば、手の平側から見て指の付け根の関節を曲げてみると、実際に曲がっているのは見た目の指の付け根よりも下で、手相でいう感情線あたりから曲がるのがわかる。つまり、骨格的には指の付け根は、見た目よりもずっと深いところにあることになる。つまり、指は見た目よりも、もう少し長いということだ。

更に手の中には、指の延長に中手骨という 「隠れた指」 がある。親指の付け根と小指の付け根をつけようとしてみると、手の平の大部分が動いて指が寄っていくのがわかる。手の平がすぼまる感じだ。手の平の中の隠れた指が動いているために、こういう動きが可能になっているのだ。
こう見ると、指の付け根は手根骨ということになる。骨格的には(機能的にも)、手の平に指がついているのではなく、手の平の付け根の手根骨から指は伸びているというのが本来の在りようである。

 

20年ほど前になるか、とあるアレキサンダー・テクニーク関連の本を読んだときに、体の地図ということが書いてあった。間違った体の地図を使っている人は、つまり自分の身体の構造に対する認識が間違っている人は、不自然な体の使い方になるということが書かれていた。
このことを知ったのは、当時の私にとっては、大きく目を開かされる出来事だった。大げさではなく、まさに青天の霹靂であった。それ以来、自分の体の測量と地図の書き直し作業を楽しみながら延々と続けて今に至っている。

ピアノを弾くのでも、体の地図が間違っている人は、目に見えている指だけを動かそうとするので、指が滑らかに動かない。指が感情線あたりから曲がるという感覚のある人は、楽に弾くことができる。更に指は中手骨から動くという感覚がある人は、もっと指を自由に使うことができる。
プロのピアニストなどは、当然のように中手骨、もっと言えばその付け根の手根骨まで駆使して演奏しているのだろう。

整体操法の手の内も同様で、操法が様になってくるころには、自然と手の中を細かく使うようになっている。

 

さて、話を足に戻すと、趾を中足骨まで繋いで使うということは、更に進んで踵から趾先までを有機的、合目的的に一つに使えるところまで行き着く。要求通りに馬歩の体勢が取れるには、ここに至らなければ難しい。
以前、足裏の 「縦のアーチ」 と 「横のアーチ」 に備わっている 「弾力」、「支持力」 を上手く使って操作するというようなことを書いたが、これはまさに足の裏を踵から趾先までを一体化させて使っている状態である。

よく足指でタオルをたぐり寄せる運動を推奨している人がいるが、ここで言っている足指を活かすというのは、ただ足指だけをもぞもぞと動かすということではない。もちろん足指が自由に動くに越したことはなく、足指が自由に動けば気持ちもいいし健康にもいいが、身体運動の全体的なパフォーマンスの向上にはそれほど繋がらない。(といっても、動かなければ活かしようもないのだけれど・・・)
例えば、力士が押されまいとして踏ん張るときに、足指で土俵をつかむような動きをするだろうか。それではかえって力を失い押し込まれてしまうだろう。それよりも、踵から指先までを一体化させて土俵に張り付くようにするのではないだろうか。
足指が使えるというは、まさにこういうことで、足が踵から指先まで繋がって働けるということである。

「十趾抓地」 は、手で例えるなら、手の平に余る大きなボール、バスケットボールやビーチボールのようなものを手全体で張り付かせるようにつかむ様に似ているかもしれない。

以前足首の締めということを書いたら、「脛の下の方(足首の上)に力を入れるのですか?」、と訊かれて不覚にも一瞬固まってしまったのだが、足首の締めと呼んでいる操作は、どちらかというと足裏の操作といった方が近く、上記のアーチの支持力や 「十趾抓地」 の別表現といっても当たらずとも遠からずである。

ちなみに手首の締めも同様で、手指の張りと掴みの拮抗、すなわちバスケットボールを張り付かせるように掴むような操作をするときに手首あたりに生じる感覚を表現している。

« 功夫口訣4 ~ 上顎を収める ~ | トップページ | 功夫口訣6 ~ 謹防三害 ~ »