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2016年7月19日 (火)

「手こひ腹あせ膝くしむ」 その1

このブログでは、足の親指など体のある部分を切り取って身体操作の骨(コツ)らしきものを紹介しているが、実際に整体操法で運用する場合に果たしてどこを主として意識すればいいのかということがある。

足の親指なのか、肩甲骨なのか、重心を落とすことなのか、はたまた股関節を弛めることなのか・・・。
もちろん、操法は丹田を中心に動くということが大前提としてあるので、そこをないがしろにはできないが、それはそれとして、その時々の自分の身体操作の思うようにならない部分を改善する手立てとして、「足は親指、手は小指」 のようなある種の骨(コツ)を適宜運用すれば、操法の上達やコンディションの調整に役立てることができるのではないだろうか。

 

操法に限らず身体運動では、最後は全体性ということが求められる。部分の加算ではなく、全体として 「一」 であるということだ。
それはあらゆる芸事や武道・武術でも理想としているところであるが、常にそのように動ける心身を作り上げ保ち続けるのはやはり至難の業である。
しかし、全体をリードする動きの起点となる部位を特定することで、かえって全体性を保って動くことができるという面がある。今から半世紀以上も前に、その原理に気づき、研究し、体を一つに使う方法として提示していた療術家がいる。正体術の創始者、高橋迪雄氏である。 

高橋迪雄氏は、大正から昭和の初期に正体術普及協会を通して活躍された人物である。正体術に関してはここでは詳しく述べないが、骨格の不正をただす一種の瞬間的脱力体操で、橋本敬三氏は正体術をもとに 「操体法」 をつくったともいわれ、また野口整体の 「矯体操法」 や 「整体体操」 にも大きな影響を与えているであろうことが見て取れる。

さて、その体を一つに使うための方法とは、体のある一部位に意識を置き、そこを起点として動いていくというまことにシンプルな方法である。
体はその時々によって動きの焦点となる部分が存在していて、その部分に先導させて体を使うことで、自然な動きが導き出されるというものだ。
最近のボディワークなどでは、あまり珍しくない手法なのかもしれないが、この時代にすでにこうした理論と方法論を提唱していたことには少なからず驚きを感じる。

その動きの起点となる体の部分を見つけ出すための方法があり、それはうつ伏せの姿勢で腕を体側に沿って手の平を下にして置き、いわゆる背筋運動のように体を反るようにする。(手の平も床を離れ、持ち上げる)
手、腰、肘、腹、などの部分それぞれに意識を置いてその姿勢を取ろうとしてみると、何の苦も無くスッと形が取れる瞬間がある。例えば手を意識しながら体を反らしたときが最も楽に体が反れるとしたら、そのときの体の動きの中心は手にあるということなのだ。

このブログ記事のタイトル 「手こひ腹あせ膝くしむ」 とは、「手首・腰・肘・腹・足首・背・膝・首(頭)・尻・胸」 の10部位のことであり、この順番にテストをしていくことで動きの焦点を見つけていく。
この順番にも意味があり、検査をする上でなるべく近接する部位が順番的に並ばないようにしてあるのだ。
氏曰く、

1より10に至る順序は指定通りに励行されたい。お互いに相へだてたる部分を組み合わせたのは、意識する場合の混乱を防ぐためで、かなりの苦心を払って構成したものである。

高橋氏は、この順番を

記憶の便宜上これを 「手こひ腹あせ膝くしむ」 と唱えて、呪文のように口癖にしておくことが望ましい。

と言っておられる。(「正体術」 たにぐち書店)

検査法のやり方と、見つけた焦点の使い方について書かれたところを二つほど引用してみる。(同上)

(一)手首に意識を置く

やりかた

ゆっくりと、うつ向きに寝て手首を上図の位置まで上げようとする。その時他の部分も自然に上図の形になれば、その時は手首が主となっている場合である。中図や下図のように、手首のみが上がり、他の全身各部分がこれに伴わないのは、この時調子が手にない証拠である。

適用法

調子が手にある場合には、何事も手首でやるつもりで行動する。例えば歩くには手首さえ振るつもりで行けば、全身が自然に前へ出ることになる。坐るには手首を腿のつけ根に置く。こうして万事手首を先頭に使う気持ちで行動すればよろしい。即ち物を持って行動する場合にも、手首に意識を置く。

 

(四)腹に意識を置く

やりかた

上図の通り、臍と恥骨の間を伸ばすような気持ちで、腹を下に押しつける。腹に調子がある場合には、全身が我しらず上図のような形になる。下図は調子が腹にない時の一例で、各部分が上図のようにはならない。動作が一致しないわけである。

適用法

腹に意識を置いて行動すれば、全身各部分は自然にこれに伴う。古来臍下丹田に心を据えるというのは、この場合をいう。しかし調子が腹にない場合は、いかに臍下丹田に心を凝らしても、思うように自在に行動するわけには行かない。

文中に上図、下図などとあるように、「正体術」(たにぐち書店)の中には、検査法が図で示されている。
検査法の体を反らす最終姿勢は、実は全てが同じではない。どこに意識を置くかによって、微妙に完成形は異なる。
このあたりの細かいところが、高橋氏の観察力が窺えるところであり、同時にこのシステムの完成度の高さを示しているところでもあろう。

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